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冬鳥幻想

気づいたとき庭はアトリの群れで一杯だった。落ち着き無く落ち葉をつつき、ほんのわずかな気配にも数十羽が一斉に飛び立つ。しかしすぐまた戻ってくる。前からの住人スズメとカワラヒワは隅に追いやられて。こんなに多くのアトリが、本当は何がしたいのか、何が欲しいのか。集団としての無意識か。集団的欲望に課せられる制約とかあるのか。だが彼らの粗雑な振舞からはよく分からなかった。

メジロは午前中早くにさっと現れた。蜜柑の台の前に小さな鶯色の塊が動くのを見た。しかし餌台の蜜柑を二度、三度つつくと、あっけなく飛び去っていった。しばらく居て欲しいのに。この冬は-7℃。この極寒に蜜柑は凍っていたのだろう。食べられなかったか。飛び去ったメジロの落胆。憂鬱。庭にはまだ花がなく、一番に咲きそうなロウバイもまだ硬いつぼみだ。だからこその餌寄せの蜜柑だが、この庭はメジロには何かが足りなかった。

庭に積もった雪には夥しい小鳥たちの足跡。餌台の下は小鳥の体熱なのだろう、雪は解けて地面と大量のヒマワリの殻が現れている。餌をやりに行く自分の足跡が混じる。貪食なアトリのお陰で、スズメらが餌台から撒き散らしたヒマワリもほとんど食べられている。それは良いことだが、このままでは春までヒマワリのストックが持たない。玄米があるが、彼らは食べるだろうか。しかし食べ残された玄米が春に発芽するのは困る。庭に稲が生えてもしょせん雑草。ヒマワリならば花が咲く楽しみがあるけれども。

朝早く鋭いヒヨドリの声がまだ暗い庭に響きわたった。いくら早起きでも珍しいと思いながらベッドから窓の外を眺めた。声がした方の向こうの川原には、雪が積もったところに昼間に作られた雪だるまがぼんやり見えた。その傍に雪より白い塊が横たわっているようだった。双眼鏡で見るとそれはやや羽根を伸ばした一羽の白鳥に見えた。白鳥の回りには鴨だろうか、水鳥らしい小さな暗い塊が集まっていた。その周りにはさらに大勢のアトリやスズメたちか。白鳥は動かなかったが水鳥たちはごそごそと動いていた。少し夜が明けてきた。しらじらとしてきた空に、川原には雪だるまの前に鳥たちが集まりそれは祭壇のようだった。もう一度ヒヨドリの声が響いた。すると横たわっていた白鳥がゆっくり首をもたげ、羽根を畳んで座り直した。アトリが何かを感じて一斉に飛び立つと、水鳥たちも朝日が射してきた東へ向かい飛び立った。すると体の大きな白鳥も川原を走り出し、東の空へ羽ばたいていった。白い川原には白い雪だるまが残った。夜明けの冬鳥の集会があった南東の空にはまだ煌々と下弦の月が輝いていた。