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恩と怨

無事、父の一周忌と祖父の三十七回忌を京都の菩提寺で終えることが出来ました。
全ての法要が終わった後、ご住職さんのお話の中で’恩と怨’のことについて
語られていました。

他の人から与えられた恵み、いつくしみのこと。神仏あるいはこの世界全ての存在からさずかる恵みも指している。

うらむ。うらみ。あだ。かたき。
聞きながら…ふ〜む同じ’おん’でもすっごい違いやな〜とお思いました。
こんな風に改めて’恩’と’怨’の意味を書いてみましたが’怨’の意味を書いているだけで恐ろしく感じました。反対に’恩’の意味を書いている時は心がとても健やかに感じます。

ご住職さんが’人は恩は忘れても、怨の方がいつまでも忘れずドロドロとした
ものが自分の中で渦巻いていたりしますよね。これが人間です。’
と言われていました。
確かに…してもらった’恩’は忘れて、あの時あんなことされたなどと思い出し
’怨’むき出しとなり一人腹を立てているっということあるあるです。
ひどい時になると自分の中で’恩’10%、’怨’90%ともの凄い割合となり
’怨’は自分の毒となり、その毒でやられてしまった〜という自分の毒で
のたうち回るという’あほらしい循環’に陥るということがあったりします。

100%’恩’になったら、これはもう仏様です。もうこの世にはいませんと
住職さんが言われていましたが、100%にならなくとも自分の気持ちが
とても楽でいられるように50%以上の’恩’を常に感じて生きていけたら
いいな〜と思いました。

’恩’と’怨’。’怨’をとことん味わい、もうええわ〜と思い’恩’に変換する、
そしてまた何かがあり’怨’で許さ〜んととことん味わい、また’恩’に変換
そのうち100%の’恩’へとなり人生終えられればいいな〜と
しみじみ思った’京都での法要’となりました。

しかし…このご住職さんのお話が毎回とても興味深く、いつも家族で
YouTubeされたらいいのにな〜と言っています。オススメしてみようかしらん。

写真は法要の前夜、みんなで訪れた老舗の京都のスペイン料理屋さん。
何10年振りかに訪れたのですが、そこには私達が過ごした
’京都時間と味’がありしみじみと嬉しい気持ちになりました。
ありがたいですね〜。変わらぬ味とサービスを守り続けておられるお店の方に
感謝、感謝です。これも’恩’ですね。

楽しいGWとなりますように♪


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