「坂本弁護士一家殺害事件から30年  ~事実や教訓を正しく後世に伝えたい」というジャーナリストの記事の発見

どんな時にも、楽しいことを見つけるのが得意だった彼女を、周囲の人は「幸せ探しの名人」と呼んだ。

 2人が結婚した時、坂本さんはまだ司法試験に合格していなかった。都子さんが働いて家計を支えた。勤務先は、東京・銀座の法律事務所で、所長は宇都宮健児弁護士。当時は、消費者金融の多重債務、過酷な取りたて、高金利などが問題になっていた。豊田商事による金ペーパー商法などの消費者問題の被害も深刻だった。宇都宮弁護士は、弁護団の東京における中心的な存在。都子さんは、弁護士や被害者を支える事務局の要だった。

- 坂本弁護士一家殺害事件から30年  ~事実や教訓を正しく後世に伝えたい(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20191103-00149458

 Twitter検索の「江川紹子」で見かけた記事になりますが、ほぼ間違いなく前に読んでいると思いながら、確認のつもりで読み始めたところ、上記の引用部分で、これは間違いなく読んでいない、つまり知らなかった記事の内容と思いました。

 それらしい記事は前に読んでいる覚えがあって、坂本弁護士と宇都宮健児弁護士との関係性というのも前に少し見かけているような気がしましたが、結婚する前の坂本弁護士の妻が、宇都宮健児弁護士の法律事務所の事務員で、それも事務局の要だったというのは、全く知らずにいたと思います。

 2019年11月3日というジャーナリストの江川紹子氏の記事ですが、これは本当の、このタイミングでのとても不思議な発見に思えます。Twitterで「江川紹子」を検索していたのも、このところTwitterアカウントでの情報発信が少なく、自身の記事の紹介も見かけていなかったからになります。

 坂本弁護士一家の事件は、平成の初め頃で、当時、司法試験の合格者は年間500人台と言われ、最難関の国家試験とも言われていました。

 旧司法試験になりますが、平成7年から9年頃には実際に勉強をしていた時期がありました。特別視されていたのが論文の試験になりますが、今考えても努力というだけでは合格が現実的ではなかった試験制度に思われ、その他の要素で左右されていた気がします。

 1つは採点をする試験官との相性ですが、これは裁判官と弁護士の関係性にもそのまま当てはまりそうです。

初動捜査に失敗した神奈川県警
 最初に坂本一家の異変に気づいたのは坂本弁護士が所属していた横浜法律事務所の同僚弁護士だった。すぐに家族が警察に届けた。この時、実行犯らが3人の遺体を3カ所に埋めて教団本部に戻ってくる以前だった。同僚弁護士らは、事件前に法律事務所を訪れてきた早川の強面が強く印象に残っており、その名前を警察に告げていた。坂本宅の実況見分を行った神奈川県警の鑑識課員は、肉眼では見えない血痕が多数あるのを検出するなど、暴力の痕跡はあった。現場にオウムのバッジも落ちていた。にもかかわらず、事件捜査の責任者である当時の神奈川県警刑事部長は、一家が自発的に失踪した可能性があるとして、非常に消極的だった。

 事件の翌年、実行犯の1人岡崎が教団を離脱。この際、教団の現金や預金通帳など約3億円分を持ち逃げするが、金は取り戻されてしまった。岡崎は、龍彦ちゃんの遺体を埋めた場所の詳細な地図や周辺の写真、遺体の遺棄状況を記した図を神奈川県警や法律事務所に送り、そのことを麻原に告げて金を要求した。麻原は、その要求に応じた。神奈川県警は、岡崎が出したことは突き止めたが、岡崎は事件については否認。県警は地図で示された現場について、捜索は行ったものの、遺体を発見できなかった。

 地下鉄サリン事件後に始まった警察の捜査により、1995年9月、龍彦ちゃんの遺体は、まさに岡崎が送った地図の場所から発見されている。

- 坂本弁護士一家殺害事件から30年  ~事実や教訓を正しく後世に伝えたい(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20191103-00149458

 警察に批判的なジャーナリストの江川紹子氏のツイートや記事は、これまでに沢山見てきましたが、これだけ具体的なのは初めて目にしたもので、警察の失態が強烈に印象づけられています。

この事件の捜査に成功していれば…
 坂本弁護士一家の事件で捜査や追及から逃げ切ったことで、麻原はより大胆になり、教団の武装化に乗り出す。彼らを肯定的に取り上げるメディアの存在も大きかった。オウムは次々に人を勧誘し、金を集め、勢いを増し、松本・地下鉄両サリン事件などを引き起こす。

 もう少し初動捜査がしっかりなされていれば、せめて送られてきた地図に基づいた捜索活動を入念に行い遺体の発見に至っていれば、坂本一家の事件は早期に解決したのではないか。そうすれば、その後の事件で命を奪われる人も奪う人も出なかっただろう、と悔やまれる。

 警察やメディアの関係者には、ことある毎にこの大失敗を思い起こして欲しいと思う。

- 坂本弁護士一家殺害事件から30年  ~事実や教訓を正しく後世に伝えたい(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20191103-00149458

 上記の引用部分を読む限り、まさに歴史の語り部のようなジャーナリストの江川紹子氏ですが、他の検索批判では無理すぎのこじつけや軽薄浅薄さが際立つ印象となっています。

調査研究の重要な資料である裁判記録の活用を
 こうした裁判の記録を見れば、一連のオウム事件がどのようにして起きたのか、関係者の証言や物的証拠を確認することができる。教祖が、自分の責任を逃れるために、どういう言動をしていたのかも分かる。

 オウム関連の全裁判記録は、死刑の執行を指揮した上川陽子法務大臣(当時)が、「二度とこのような事件が起きないようにするための調査研究の重要な参考資料となり得る」として、すべて保管期間満了後も「刑事参考記録」として永久保存とする指示した。

 ところが、この記録をオウム事件の調査研究に役立てようにも、保管している検察庁が、なかなか閲覧に応じないのが現状だ。裁判記録は検察庁の所有物ではない。

 30年と言えば、ちょうど世代が交代する歳月である。事件からこれだけの歳月が経てば、人々の記憶も薄れる。裁判での証言を子細に知っている人は少ない。そして、事件に関与した当事者はすべて死んでしまった。そんな中、一連の事件が「弟子の暴走」であるかのように言う者も出て来ている。

 事件の真相や教訓が正しく後世に伝わり、このような事件が2度と起きないようにするためにも、裁判の記録を活用できるようにしていくべきだ。

記事に関する報告

江川紹子
ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

- 坂本弁護士一家殺害事件から30年  ~事実や教訓を正しく後世に伝えたい(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20191103-00149458

 記事が複数のページに分かれていなかったのも珍しいですが、けっこうな長文でした。それも締めくくりが裁判記録で、検察庁が閲覧に応じないという不満の発露になっていました。

 法廷での裁判官と被告人とのやりとりというのも、その細かさが珍しく思えましたが、退廷にも繋がっていました。教祖の被告が退廷させられたという話は知っていましたが、この経緯は初めて知ったと思います。

 ジャーナリストの江川紹子氏の語り部は、実際どうかと思うところがあるのですが、比較できる事実の材料はありません。ただ、他の検察批判の内幕を見ていると、具体的な疑問点が随所に盛りだくさんでした。

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