Noi_無_02 南風

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村はずれに、駅舎がある。一日に何本か、短い電車が通り過ぎていくだけの寂しい駅だ。誰かが降りてくることもあるけれど、誰も降りてこないことの方がずっと多い。ノイは、そうした電車のうちのひとつに乗って、この村にやって来た。アズやヒナタもそうだし、ハルも最初はそうだったと、本人たちの口から聞いた。
「みんなそうなんだ。それで、静かな場所が好きなやつは、気に入ってそのまま住むこともある」
「もし、そうじゃなかったら?」
「そうじゃないやつは、また電車に乗ってほかの土地に行く」
初めて村に来た日、役場の受付でハルはそんな風に話した。村を気に入った人のことを話す時も、残念ながら気に入らなかった人のことを話す時も、ハルはゆったりと笑っていた。ハルにとっては、どちらも同じくらい嬉しいことらしい。飛んでいく風船を見送る子供のような顔だった。優しい人なのだろう。ノイはそんな風に思った。多分それが、ハルの笑顔を好きだと感じた最初の瞬間だった。
駅に着いてすぐ、改札に一人で立っていた親切そうな駅員が、村の簡単な案内をしてくれた。駅があるのは北。踏切を渡ってさらに北には小さな商店街があって、その向こうは森。東に大きな広場、西と南にぽつぽつと民家があって、その先は海。駅員は最後に案内板を指差した。広場の隣に村役場があって、村長さんもそこに居るから、何日か泊まるつもりなら一言言っておいた方がいいよ、と。それでノイはハルに会ったのだった。役場というわりに、そこで働いているのは、ハルと、もう一人の、おっとりした受付の女の子だけだった。窓からこぼれ落ちてくる午後の木漏れ日が、古くて埃っぽいにおいのする役場の室内を、ゆらゆらととろけさせていた。二人だけだと、中々大掃除まで手が回らなくて。あちこちに積み上がった資料類をちらっと見て、ハルがまた笑った。
ノイがこの村で降りようと思ったのは、ほんの気まぐれだった。電車の窓から見たとき、なんとなくここの地面には、いいものが埋まっているような気がしたのだ。ノイは昔から石や化石が大好きで、だから、気の向くままにあちこちに電車を乗り継いで、色々な古い石と友達になるのは、とても素敵なことだった。それをそのまま話すと、ハルの笑顔の中に、少しだけ困ったような顔が混じった。その理由は、今でもノイには分からない。
もしもここに住みたいなら、住民登録をしないといけないから、まずは住所を決めなくちゃ。そう言われた気がする。どうしてノイがここで暮らすようになると分かったのだろう。ハルは、ちょうど引っ越しが一件あったばかりだから、と言って、その空き家は、晴れてノイの家になった。結局その家は、ノイが掘り当てた化石や鉱石でぎゅうぎゅうになってしまい、本当の主であるはずのノイは、最近ではもう、ハルの家に寝床を移しかけているというわけだ。

     ○

朝食のあと、約束通りハルに髪を結ってもらった。ノイの要望通り、てっぺんでくるりとまとまった、やわらかいお団子だ。ハルは食器を洗って仕舞い終えるとすぐにまた役場に戻り、ヒナタはそれにくっついて行き、ノイとアズは、もう一杯ずつ牛乳を飲んでから、二人で遅れて家を出た。玄関の鍵は閉めない。くすんだ白木の壁と、赤い瓦屋根を背に、庭を抜けて、右手に海岸を見下ろしながら歩く。そろそろ昼の顔になりつつある太陽に照らされ、日よけの帽子を被ったアズの顔は、目元が一段と黒く落ち込んで見えた。アズの顔はいつも帽子の影の中にある。ヒナタはそれで余計にアズを怖がるのではないかとノイは思うのだけれども、ヒナタはノイが急に抱きついても怖がるし、村のみんなに話しかけられてもおどおどしているから、結局、彼が怖くないのはハルだけなのかもしれない。
「アズは、今日は何をするの」
尋ねると、アズは細々と民家が集まる方へ顔を向けた。木立の向こうから頭を出した数本の煙突のうちの一つから、朝食の煙が上がって、晴れた空に消えていく。あそこの家では何を食べるんだろう。かりかりのベーコンエッグだろうか。煙の奥を見据えて、アズは静かに言った。
「おとといの風で、藤棚が壊れたと聞いた」
「直しに行くの?」
「ああ」
アズはこっくりと頷いた。そういえば、化石堀りに夢中で、今年はまだ藤を見に行っていない。きっと今なら、薄紫の花がいっぱいに咲いていることだろう。ぶどうに似た形の花が、見上げた格子状の藤棚からシャワーのように溢れて、傘が必要なのではないかと思うくらい、きらきらしているのだ。花はきれいだから好きだ。石と同じくらい、きれいだと思う。
「一緒に行っていい? お手伝いしたい!」
ノイが弾んだ声で言うと、アズは立ち止まり、ノイをじっと見て、首を5ミリくらい傾げた。アズの場合、そもそも立ち止まるということ自体が、何かを見たり考えたりしている合図だ。いっぺんに二つのことをするのが、あまり得意ではないのだ。
「トリケラトプスはいいのか」
朝にノイが話したのを覚えていたのだ。アズはけっこう、人の話を聞いているのか聞いていないのか分からない時があって、実際興味がない話は聞き流してそのまま忘れてしまい、ハルに怒られていることも多い。だから、アズがノイの話を聞いていたということは、ノイを嬉しい気分にさせた。少なくともアズが、ノイの話は聞くに値すると思ってくれているというのは、なんだかひどく安心することだった。ノイはにっこりして、頷いた。
「恐竜さんは明日も待っててくれるもん」
藤棚は、果樹園のそばの、小さな広場にある。到着すると確かに、組んで紐で縛ってあった竹梁の一本がほどけて、下の草原に落ちてしまっていた。落ちた竹梁は、地面が柔らかかったこともあって無事だった。藤棚の直す箇所を確認したアズは、ノイを連れて一旦ハルの家に戻ると、自分は脚立と材料を抱え、ノイには道具類を持たせた。直すのには一時間もあれば十分だった。無事に元の姿に戻った藤棚を下から見上げ、ノイは、ほう、と溜め息を吐いた。物を直すのと化石を掘るのは似ている気がする。どちらも本来の姿に戻してやる仕事だからだ。壊れたままの道具や、暗い地面に埋まったままの化石のことを考えると、喉の下のあたりが切なさで苦しくなって、それはあまり好きではない。ノイの数少ない、好きではないことのうちの一つがそれだ。
座って藤の花を見上げていると、片付けを終えたアズが隣に立った。
「助かった。手伝ってくれて」
ここでもやはり、アズはにこりともしなかった。軍手を外してポケットに押し込むアズを見上げて、ノイは言った。
「これでお花も安心できるよね」
「・・・・・・明日は、俺が手伝おう」
「化石堀り? いいの?」
「ああ」
力持ちのアズが居るなら、これほど頼もしいことはない。何せアズはノイすら片手でひょいと担げてしまうのだ。それに、二人でやればきっととても楽しいだろう。嬉しくなって、ありがとう! とノイが言うと、アズはまた、ああ、と言って頷いた。
「あのね、トリケラトプス、明日だけじゃ難しいかもしれないけど、完成したら絶対会ってあげてね。それで、ヒナタとハルにも見てもらうの」
特にハルは、きっと笑って褒めてくれるだろう。ノイの大好きなあの顔で。想像してにこにこしていると、ふとアズは、藤棚を見上げていた顔をこちらに向けた。藤の花の紫色が混ざった木漏れ日の下に居ても、やっぱりアズの顔は帽子の影を受けて暗くなっていた。
「あいつが笑うのが好きか」
ノイは驚いて、目をくるくるさせてアズを見つめた。どうして分かったのだろう。アズの真っ黒な瞳が、じ、と揺れて、直後にノイは、自分の頭が重くなったのを感じた。アズの手だった。アズは、ハルのようにノイの髪をくしゃくしゃにかき混ぜたりはせず、ただぎこちなく、そこに手を置いただけだった。
「・・・・・・あいつも、お前の笑った顔が好きだ」
手はすぐに離れていった。アズの手はがっしりしていて、重かった。庭仕事だけでなく、簡単な大工仕事もこなすアズの手は、沢山のひび割れや爪が割れた痕があって、直接触ったらこちらの手が切れてしまうのではと思うくらいにがさついていた。ノイは、今の今までそれが少し怖くて、それから何となく悪いことのような気がして、あまりじっと見ないようにしていたのだが、もしかしたら勘違いだったのかもしれない。何も言えないでいると、あぜ道の向こうから、おうい、と声がして、ハルが歩いてきた。うしろにヒナタも居る。アズは、たった今自分がノイの頭を撫でていたなどとは微塵も感じさせないような素振りで、ハルを振り返って、終わった、と報告した。
「お、もう直してくれたのか。それに、ノイもいるじゃん、ちょうどよかった」
「どうしたの?」
「どうしたって、ほら」
昼飯。そう言ってハルは手に提げていた四角いランチボックスを掲げて見せた。時計がないから気付かなかったが、いつの間にかそんな時間になっていたらしい。ランチボックスを見たとたん、急にそれを思い出して、胃の少し上のあたりが切なくなった。
「腹減っただろ。役場の給湯室でサンドイッチ作ってきた」
役場には小さな冷蔵庫とガスレンジがあって、簡単な料理ならできるようになっている。かわいい模様のビニルのシートはないけれど、四人でボックスを囲い、藤を眺めながら、草原に座って、ピクニック気分でのんびりと食べた。サンドイッチは、卵のものと、野菜とハムのもの、二種類が分けて詰められていて、ノイは両方一切れずつ食べた。ハルのサンドイッチは具がたっぷりと多いから、それで満腹になった。特に、つぶれた卵がこれでもかと挟まった方は、食べるともう片側から具がはみ出すので、うまくやらないといけない。失敗したヒナタが口の周りと手を汚してしまったのを拭いてやりながら、ハルはアズとノイを見た。
「お前ら、午後はどうするんだ?」
あぐらをかいてポットに入った紅茶を自分のカップに注ぎながら、アズが答えた。
「特に、何も。川で釣りをしようかと思っていた」
「なんだ、そっか。俺も今日は午前で終わりにしたし、どうしようかなあ」
ノイはぱっと顔を上げた。二人とも、午後は丸ごと暇なのだ。この二人にしては、珍しいことだった。折角だから、皆で何かしたい。もう少し具体的に言うと、四人で一緒に遊びたい。ノイはすぐに行動に移すことにした。めいっぱいに顔を輝かせて、ノイは勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、遊びに行かない?」
「いいけど、どこに?」
そう聞いたのはハルだったが、見上げた顔は三人分だった。ノイは満開の笑顔で宣言した。
「海!」

やわらかな潮風が吹き抜けていく。南から流れ込んでくる暖かくて湿った風を思い切り吸い込んでから、ノイは靴と靴下を脱ぎ、薄青のジーンズの裾をまくって、波に向かって駆けだした。透きとおった冷たい波が足首で砕けて、ぱしゃぱしゃと宙に舞う。それを眺めていたハルが「はしゃぎすぎて体冷やすなよ」と言っていたが、ここまで来るのにも走ってきたので、ノイはむしろ暑いくらいだった。ヒナタは波も怖いらしく、恐る恐る波打ち際まで近寄っていっては、水が迫ってきて慌てて下がってを繰り返している。ノイはにんまりして、ヒナタの所に走っていった。
「ヒナタ」
びくっとしたヒナタがノイを見る。波のように澄んだ、薄い水色の目だ。ノイはヒナタの前にしゃがんで、その小さな手を握った。
「な、なに?」
「一緒にいこ。怖くないよ」
ヒナタは助けを求めるようにハルを見た。ハルは大らかに「おー、行ってこい行ってこい」と笑っている。それでヒナタは、大自然に挑む覚悟を決めたようだった。裸足になり、ノイと手を繋いで、もう片方の手でそろそろと、打ち寄せてくる水に触ってみる。最初はびくっとしたが、ノイが隣で豪快にばしゃばしゃと水を叩いたりしているので、それに引っ張られて次第に怖さは減っていくようだった。手に慣れてくると、次は足を浸した。それにも慣れてきたところを見計らって、ノイはヒナタの手を引き、ついに海に足を踏み入れた。濡れてさらさらになった砂と、くすぐるような波の感触が気持ちいい。ヒナタを見てみると、初めてだったのだろう、その幼い両目が新鮮な驚きで溢れていたので、ノイは満足して、ハルとアズに手を振った。
「ハルー、アズー!」
「どうしたー」
「二人もおいでよ、楽しいよ!」
ハルとアズは顔を見合わせて、ほんの二言三言の短い会議でどうするかは決まったようだった。暖かい海風に背中をさらしながら、ノイとヒナタは、ハルとアズがざばざばと波を分けて、こちらにゆっくりと近づいてくるのを待っていた。




(南風)
《Flooding》Noi_無_02

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Flooding

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