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なんで自分を認めることができないんだろう……

きょうふと、そんなことを想った。いくらやっても、いくら山を登ってきても。そしていくら自分を承認し、賞賛し、認めても、ある日、また山の登り口にいることに気づくのだ。

どうせ自分は……

まだまだだ……

そういうことを想ってはいけない。自分を認めてあげなきゃ。そういうワークはずっとやってきた。だがいつの間にか忘れてしまうのだ。どんなに時間とお金をかけても……。

きょうふと、ある人の本を手にした。10年前に書かれた本だ。その本には私のことをとてもよく書いてくれていた。しかもその人は私のことを認め、ほかの人にはない才能・魅力があると言ってくれていた。私のおかげで人生が上向き、好転していったと言ってくれていた。

それでも10年が経つと忘れているのだ。そういう、数々の奇跡を起こしてきたにもかかわらず、もう一人の自分がいやあれはたまたまだろう、まぐれだ、そんなふうに評してしまうのだ。

ある意味、そういう自分が自滅へと向かわせるのかもしれない。過大なる批判精神が自分の身を、自ら滅ぼすのだ。かの有名なヘミングウェイ以上に繊細な才能があったアメリカ文学界の異才 小説家F・フィッツジェラルドその人がまさにそういう性格だったのだ。

素直な自分と批判精神のある自分が同居する。だからこそ精神がおかしくなった人の気持ちがわかり、心身ともに治ってしまう。どこも悪くはないが、悪いと思い込んでいる、本人にもわかり得ない原因がピタリとわかるからだ。

私は、人生をよくしたい、成功したいとずっと想ってきた。そう想って家が3軒たつほどのお金を投資し、30年をかけ学び、実践してきた。そのなかでわかったことは、世の中の成功法則をはじめ、教えの多くは何かがおかしい。一部分のいいところだけを寄せ集め、例外を観ていない。イメージ化、ワクワク、好きなことしてたらいいという一見カンタンそうに観える成功法則の陰に、そうはやっていない、隠れている部分や埋もれている部分、泣いている人たちのことを観ていないということがわかるのだ。

その証拠にポジティブにワクワクしているはずの本人が突然激痛に見舞われる。家族に病人が出る。事故が起きたりする。これはプラスの反面、マイナスの面を観ていないからだ。観ていないから言わないし教えていない。だからいきなり落とし穴に落ちたりするのだ。

奇跡の願望達成法、驚異の引き寄せメソッドと題した「クリアリング」ワーク。妻のれいことつくったのだが、この教えを知って25年経っても毎日やり続けている。そしてそのおかげで病気もせず、事故も起きなくなり、悪いことが起きてもプラスに転換できるようになった。経済的にも上向き、家族は仲良くなり、いいほうに向くようになった。それでもなお、冒頭お話しした現状に満足できない自分が悩むのだ。

認めることができるからいい、認めることができないから悪い――ではないのだ。どちらでもいいのだ。それこそがフラット思考、ゼロの気持ちだ。ある人が私と関わって、何も感じない状態、無重力状態になった。こういうことは人生60年近く探求してきてはじめてのことだと評してくれた。それだけ業というか向上心というか、邪念というかさまざまな思惑があって人と言うのは生きているのだろう。

ふつうの目立つユーチューブアプローチと真逆のやり方で出してみたが、ふと観ると、苗木が育つように少しずつ少しずつ育ってきているようだ。賞賛、賛同、共感してくれる人たちの応援を、これから徐々に受け取っていこう。

驚異の引き寄せ「奇跡のクリアリング」ワーク(解説音声)


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