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なんで人が治せるのか わかった 第2話

前回の話はこちら

天才芸術家、草間彌生。性の解放を唱え、水玉ド
ット1本によるボディペインティングで度肝を抜
く裸のストリーとパフォーマンスを50年も前に慣
行した。

そのあまりに常識外れの行動に多くの人たちが魅
了された。人間嫌いで有名だったジョセフ・コー
ネルもその一人だった。彌生を観るなりヤヨイ、
ヤヨイと言ってお母さんの次に愛した。電話に出
なければ何度でもかけ、出れば5時間は平気で話
す。異様な執着心嫉妬心の塊の男だった。

だがその分才能も人並み外れていた。その才能を
買って多くの人が彼の作品を欲しがった。彌生も
彼の芸術性の高さに魅了され、20も離れた彼と
付き合うことになった。コーネルのひどいマザコ
ンからくる男性自身の不能。プラトニックなもの
ではあったが。

そのコーネルが自らの束縛心から彌生を自分のヒ
ザの上に寝かせ、首を絞めるシーンがある。自分
のモノにしたい心ゆえか、崩壊しそうな自我を保
つためか、彌生の首を絞めてしまうのだ。

やめて苦しいじゃない。彌生は叫ぶ。ハっと我に
返ったコーネルはその場からいなくなる。どこへ
行ったんだろうと彌生が探すと、トイレにいて、
「あぁ神さま、ごめんなさい」と懺悔するのだ。

このシーンを読んでいたく共感した。なぜなら過
去に私も同じようなことをしていたからだ。

罵倒する父と傍観者の母から何とか自我を保とう
としていた私は、父の仕事の関係で転校をくり返
しながらも、何とかなじもうと必死だった。

だがいつも、編入するときはのけものにされる。
顔に罰点を油性マジックで書かれ、ダメ男の子の
レッテルを貼られた。しかもそれは体育の女教師
からだ。

父は造り酒屋の出だった。母の情事を目の当たり
にした父は過去を否定した。商売出でいながら、
商売人をことごとく否定する。そんな矛盾を心に
抱えていた。

「勉強さえできたらいいんよ」父の口癖はいつも
これだった。「勉強さえできたらあとは何もいら
ないんか!」反発する私は父を反面教師のように
思った。

外では善人、家では悪人。そんな父を目の当たり
にして私は、頭がおかしくなりそうだった。そん
なときだった。もらった柴犬をいじめの道具に使
い、自己嫌悪に陥っていたのは。

それはある日のことだった。生まれて1歳を過ぎ
たタローは私にとてもなついていた。まだ何もわ
からず、しっぽを振る。お座り、お手、お預けを
忠実に守り、ご飯を食べる。忠実に飼い犬のしつ
けを守る。まさに何でも言うことを聴く犬だっ
た。

だがかわいがる気持ちのその向こう側で、抑えて
いた衝動がうごめいているのがわかった。父への
抑圧していた怒りをどこかにぶつけたかった。首
輪を付けたまま振り回す、もちろん首がしまらな
いようもうひとりの自分が注意をしながらだがそ
れでも振り回すもうひとりの自分は、残虐な心の
現れだった。

ざまあみろ、いい気味だ。私は、善人の顔をしな
がら、心の奥底に、もうひとりの自分が隠れてい
た。まるでそれは天使の顔の奥に、もうひとりの
悪魔が隠れている。天使と悪魔そのものだった。
その気持ちがあったから、コーネルのしたことは
よく理解できた。

小6になると、背丈も父を追い越すようになる。
家でネチネチと否定し続ける父は、まるでアウシ
ュビッツの看守のようだった。こんちきしょうめ
が、痛い目に遭わせてやる。そう想って父の背中
を叩いた。

だがその一方で良心がとがめた。だから力はどう
しても弱くなる。私はさきの残虐性の反対側で、
やはり父を、どこかで大事に思っていたのだ。

だがそんなことなど頭にない父は、ひと回り離れ
た兄を使って、「おい、ヒロを縛れ!」と言って
荷造りのヒモで縛るよう指示した。兄も父の被害
者のはずが、こういうときだけは父の味方になり
私を縛り上げるのだった。

私はいつもは仲のいい兄が、自分を裏切り、父の
味方をしたことが憎たらしかった。そこで兄の顔
にかかるかかからないかの強さで、ツバを吐い
た。すると兄は叩いて縛り上げるのだった。

負けん気の強い私は、ぜったいに謝るもんかと二
階へと上がって行った。まるでミノムシになった
ように這いつくばりながら、段差の高い階段を1
つ1つ上って行った。

「ヒロ、謝ったらいいじゃない」父の言いなりの
母は私に、理由なく謝れという。そんなことをし
たら負けだ。無言で二階に上がり、口にカッター
ナイフをくわえ、縛られたロープを切って行っ
た。

そんな、残虐性と繊細なやさしさを兼ね備えた私
だったから、精神的におかしくなる気持ちも、天
才と犯罪者の気持ちも、その両方がわかるように
なった。

だからこそ、どんな人がきても、どんな状態であ
ってもパっと観て、ちょっと話しただけで理解し
ていく。なぜそんな性格になったのか、なぜそん
な人生を歩んでいるのか。幼い頃の情景が目の前
にバーンと浮かび上がってくる。その追体験を私
が話していくと、クライアントは涙していく。い
や私だけが涙することさえあるのだ。

するとクライアントは、心からわかってくれたと
感じるのか、サっと表情が明るくなっていく。す
ると、あれほど長年悩まされていたことが、次第
に消えていく。母との確執、父とのバトル、不快
な症状、数々のトラブルがだんだんと消えてゆく
のだ。

私は、人の人生に想いをはせるとき、そこはかと
ない想いを持つ。目の前のその人がどんな苦労を
重ねて来たのか。またどうやって行き場を探した
のか、自らの体験を重ね合わせて、理解しようと
するのだ。

わかってもらえなかった悲しみ。それがあるから
こそわかってもらえない人たちの気持ちが、痛い
ほどわかるのだ。

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