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納得できない仕事を続けてしまう理由/【安定】の罪

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

明らかに「辞めたほうが、よほどマシ」なのに、ずるずると会社に残ってしまうことって、よくあると思うんですよ。それってなぜだろう??と、ずっと考えてきました。悩んできました。

行動経済学の実験があります。
ゲーム1
・かならず50ドルもらえる
・半分の確率で100ドルか0ドルをもらう

ゲーム2
・かならず50ドルを失う
・半分の確率で100ドルか0ドルを失う

プロスペクト理論による模範解答(?)
・お金をもらえるゲーム1は、着実に50ドルをもらう
・お金を失うゲーム2は、失わない半分の確率に賭ける

人間の脳は、縄文時代から変わっていない(らしい)ので、
・食べ物は、とりあえず確保
・ピンチのときは、一縷の望みにかける
これが生き残りの要件です。
当面の食べ物があるのに、バクチをして飢えるのは愚かです。少量でも着実に口に入れておきましょう。
「絶対にケガをする」ルートと「死ぬかも知れないが無傷かも知れない」ルートがあるなら、幸運なら無傷かも知れないルートを選びます。自分が死んでも、別ルートを選んだ仲間が遺伝子を繋いでくれるでしょう。

これって、人生の選択、仕事にも当てはまるのではないか。
上記のような金額と確率がはっきりとしたゲームは、人間の認知を浮かび上がらせるために単純化し、要素を削りに削った結果であり、あんまり現実的じゃないんです。
「具体的に数値化できないけど、要素の足し引きぐらいは分かる」ぐらいのレベルまでぼやかせると、悩みごとに役立つのではないか。

納得できない仕事を続ける理由

仕事をすれば、得られる収入があるでしょう。月給30万円と決められていれば、毎月30万円が振り込まれます。

もしもその仕事が「イヤ」ならば、実質的に報酬の減でしょう。「生きがい」「生きやすさ」で見たとき、通常の苦労で従事できるならば30万円がそのまま報酬になるが(対価としての労働はする)、嫌で嫌でつらいならば、報酬が目減りしているも同然ではないか。
※税金や社会保険料を除く
※ストレスによる浪費、医療費は除く(更なるマイナス要因)

仕事の報酬から、仕事の嫌さを引くと、
「働きがい」「人生の手応え」みたいなものが求められる。

仕事の収入*確率(収入の変動幅)
-仕事の嫌さ*確率(嫌になる確率)

仕事の収入は「お金を得るゲーム1」に準えられます。記事前半で見たように、ひとは、収入については着実性と安定性を好みます。
だから、「当面の勤め先があるなら、むやみに変えないほうがよい」という判断になりがち。現代日本で正社員ならば、変動確率はほぼゼロにできるので、「辞める理由がない」となります。
※「続ける理由もない」という点は無視されます

かたや仕事の嫌さは「お金を失うゲーム2」に準えられ、かぼそい確率にも賭けてみようという気持ちになります。
・法律が変わり、働きやすいルールができるかも知れない
・世界や国の景気が良くなって、嫌さが薄まるかも知れない
・会社の方針や待遇が変わり、嫌じゃなくなるかも知れない
・部署異動や上司の変更などで、嫌さが軽減されるかも知れない
・ひょっとしたら、ある日突然仕事が楽しくなるかも知れない
・仕事が嫌でなくなるように、自分の価値観が変わるかも知れない
・苦痛の仕事が、忍耐により突然できるようになるかも知れない
・仕事が嫌でなくなる発想法が見つかるかも知れない
・研修を受けると、劇的にモチベーションがわくかも知れない
・給料が上がって、苦痛に納得ができるようになるかも知れない

収入のほうは「安定は至高!動くのは愚行!」です。
仕事の嫌さは、「あるいは、ひょっとしたら、もしや仕事が嫌じゃなくなることがあるのではないか」と期待を引きずってしまいます。納得のできない仕事を続けてしまう理由の一端が説明できたのではないでしょうか。

行動経済学やプロスペクト理論の落としどころは……、
人間の認知には、そういうバイアスがある。
縄文時代ならざるわれわれは、より合理的に(利益が最大化するように)行動しましょう、みたいな感じになります。つまらない仕事にしがみつくことは最適解なのか?を考える材料になるでしょう。

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