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転職・退職、人生の路線変更で大切なこと

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

転職・退職、人生の路線変更のときに大切なことを書きます。
今回のタイトルに対する答えは、「キャリアについて要素を分解し、要素ごとに決断すること」です。
清水の舞台から飛び降りるような心地=自暴自棄になってはいけません。要素を分解し、順番に決めていく(とよいのではないか)。

兵法にあらがう

おそらく今日も日本のあちこちで、
「会社がいやすぎる!ここ以外なら、どこでもいい!」
という勢い余った退職・転職がおこなわれているでしょう。
それは、ただのギャンブルです。
レバレッジ200倍の海外FXと変わりません。

自分のキャリアについて、ギャンブラーみたいな気持ちになる前に、手を打たなければいけない。一か八かに追い詰められる前に、軌道修正や路線転換を考え始めなければいけない。

兵士を使い潰すノウハウ(兵法)は、自軍の兵士を「身動きが取れず、退却もできず、カネも食糧も尽きて、一心不乱に突撃するしかない」という状況に敢えて追い込み、火事場のバカヂカラを引き出せ、と教えています。敵軍じゃなくて、自軍の兵士を追い込め、という点に注意です。
自分のキャリアをその状態に追い込んではいけない。路線変更や退却の余地があり、正常な意思決定ができるところで身の振り方を考えたい。
今日の会社では、社員がメンタル崩壊で寝込むか、バックレ(突然の出社拒否)になるまで追い込む!という、兵法準拠のマネジメントが横行しています。各社個別のマネージャーが「兵法の達人」というよりは、現代日本の社会全体の「逃げ場のない感じ」がわれわれを追い込んでいるような気がします。

要素を分解する

たとえばぼくが会社(経理職、社会人歴15年以上)を辞め、大学院で三国志の研究に専念すると決める場合、
「会社はイヤだ!大学院に行くんだ!」
という決め方では、あまりに乱暴すぎます。

ぼくの属性(経理職、社会人歴15年以上)を例に取れば、
①この会社を辞めるか?
②経理職から離れるか?
を分けて考えるとよいでしょう。
論点①では、「もうこの会社で経理をやりたくない。しかし経理職は続けていたい」という結論で留めるのが、きめ細かい判断です。

つぎに、論点②職種を変えたいか考える。
「まだこの会社にいたいが、経理職はムリ」という判断もあり得る。そこは区別して考えましょう、という記事です。

会社のなかで部署異動をすれば不満が解消することがあるかも知れない。日本企業は「ジェネラリスト養成機関」であり、会社のなかを巡回したほうが有利な場合もある。

ぼくの場合、「この会社で経理をやりたくない」とは思うが、経理職そのものは好きです。
経理とは「経営者が実現したいことを、お金やルールの側面から支える」という、意味のある仕事だと思っているし、知識や経験があるから、できることが多い。感謝された実績も多い。
だったら、転職して(業種、企業規模、立場などを変えて)経理職を続けよう、というのがとりあえずの正解になります。

現在ぼくは、「①この会社を続けたくはないが、②経理職は続けていたい」に近しい。
さらに一歩引いて、「人生で何がやりたかったんだっけ?」という観点から、当面は大学院で三国志の研究をしたい、という判断をしようと思っていますが、これも要素に分解し、段階を踏んで考えています。

「働き疲れた。ええい!学生に戻ってやるぞ!」
「何が好きだっけ?そういえば、三国志が興味あるかも?」
という清水の舞台方式ではありません。
三国志をやるにしても、
・(三国志の)何を学びたいか
・どう学びたいか/どこで学びたいか
・だれに学びたいか
・学んだ成果をどのように得て、出力したいか
・学んでどうするか
などを分解し、いまの立場(早稲田大学で博士課程に入学し、渡邉義浩という先生の研究室に属す)に行き着いています。

世間一般の誤解

ぼくの生き方は、世間からひどく単純化されます。

「会社がいやだ、三国志がいい」
という清水の舞台方式だと思われることが多く、
「えらく思い切ったものだ」
「社会人の身分を捨て、好きなことをやって偉い」
みたいな、解像度が低い捉えられ方をします。

世間のほぼ全員にとって、ぼくの人生なんてどうでもいいことなので、この捉え方で十分なのですが(親身になられても逆に困る)、少なくとも自分だけは、より高い解像度で捉えていなければならない。

「この会社で働きたくない」と、「三国志を大学院で学びたいこと」は、当人のなかで、実は意外なことに、ほとんど繋がりがない。別々に決めたことであり、あいだにいくつもの個別の判断があります。
さもないと、自分のメンタルが持ちません。
経済的なリスクを取ること、また研究という困難で孤独な途を(当面は)選ぶのですから、納得がいくまで悩みました。

すべてのプロセスを自分なりに掘り下げた結果、当面の3~5年は、まずこの先生から三国志の研究を学びたい、と優先順位が固まっただけ。「清水の舞台から飛んだ」「一世一代の決断」のような悲壮感や覚悟は、あまりありません。ただの順序の問題、集めたいパズルのピースの順番の問題、という気がします。

「もし三国志と出会っていなくても、いまの会社で働き続けるのは心が堪えられなかった」という判断がまずあるでしょう。

すべての会社は、つねに(だれかにとって)すばらしい。単なるタイミングとマッチングの問題だと思います。
ぼくが今回の記事で書いているのは、抽象的な一般論です。概念として大文字の「会社」の話をしています。どこかの会社が働きにくいとか、社員をザツに扱うとか、そういう趣旨ではありません。

要素に分解して考えているから、三国志の研究で行き詰まっても、「ああ、もとの会社に残っておけばよかった」などとは、まったく思わないでしょう。現職・現環境でメンタルが危機に瀕していたとはいえ、いまだ決定権・主導権がある状態で決めたことなので。

ぼくの場合はサンプルが極端すぎる気がしますけど、
「もういまの会社に行きたくない」「月給はもらえるけど、人生にとって時間と労力のムダにしか思えない」なんて感じるときには、要素に分解して、どこを軌道修正したいのか考えるとよいかも知れません。

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