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8月6日8時15分広島

こんにちは、廣瀬です。

今日と9日は絶対に記事を書くと決めてました。毎年、どこかしらの媒体で私は6日と9日に記事を書くようにしています。

理由はタイトルで察してもらえると信じていますが、これで察してもらえないこともあるというのも私は分かっています。

1945年8月6日8時15分。広島に原子爆弾が投下されました。私はこの日をいつも祈りの気持ちで迎えます。

きっとそれは私が受けてきた教育の賜物なのでしょう。別に祈りの気持ちで迎えない人が悪いということではありません。それは人それぞれだと思いますし、同じ教育を受けてきていても、受け取り方というのは人それぞれでしょう。

けれど私はこの日をきちんと覚えているということに意味があると思って生きています。

私は今年32歳。もちろん戦争を経験した人間ではありません。私の祖父母の世代は戦争を経験した世代ですが、私にはもう祖父母は居ませんし、祖父母は戦争について多くは語りませんでした。

私は長崎県出身で、現在は同じ九州内の別の県に住んでいます。そして感じることは、ああ、同じ九州に居ても、ここではこの日はただの夏の一日なのだな、と言うことです。

長崎県に住んでいた頃、8月6日8時15分になると黙とうのためのサイレンが鳴っていたと記憶しています。でも、今住んでいる県では何の音もしません。普通の一日と同じように、8時15分は過ぎていきます。

それが私は少し不安になります。

私は常々、忘れることは繰り返すことだと思っています。戦争は忘れてはいけないし、繰り返してもいけないことだと思います。とても月並みな言葉ですが、本当にそう思うのです。

原子爆弾によって一瞬にして奪われた命、それは私達と同じようにただ生活をしていただけの一般市民の命です。老若男女問わず、ただそこで生きていただけの人間の命が一瞬で奪われたのです。

原子爆弾の投下の是非を今問うことは難しいです。投下した側には投下した側の言い分があるでしょう。けれど私はそれを中立な視点で見ることが出来ない。その時点で私にはその問いに答える資格はないと思うのです。

でも1つだけ言いたいことがあるとすれば、二度と繰り返してはならないと言うことです。

私たちが当たりまえに享受しているこの平和は、たくさんの命の犠牲によって成り立っているのです。

戦争を経験し、記憶している世代はどんどん年老いて、生の声を聞く機会はどんどん減っていくことでしょう。それは時間の経過とともに起こる、どうしようもないことだと思います。

だからこそ、若い世代がしっかりと記憶を受け継いでいく必要性があると私は思います。自分には関係のないことだと、興味がないからと蓋をするのではなく、過去を見つめる必要性はあると思っています。

平和を考える、というと面倒な人間のようですが、それでもただ享受しているだけでいるのは良くないと思うのです。自分のために、周りのために、平和でいるために、考え続け繋げ続ける必要がある。そう思うのです。

全ての戦没者の方の御霊が安らかでありますことを祈って、今日は終わりにしたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回の更新でお会いしましょう。

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