見出し画像

夢を追うのに年齢制限があるのか

廣瀬碧季、34歳。夢を追っている。

今年の2月に至るまで、小説を書くことは好きでも、小説家になる、なりたいとは言わなかった。誰にも。自分の書いた物が本になったら良いなくらいは言ったかもしれないけれど、小説家になりたいのだと明言したことはなかったと思う。

子どもの頃から夢見がちな人間だった私は、色々なものに憧れた。歌手、役者、クラリネット奏者、教師、声楽家になることにも憧れたし、私が音楽を続けるのなら声楽が一番良いだろうとも言われた。

その中でも長いこと口に出さずにずっと思っていたのが、小説家になるということだった。

歌手や役者はかなり早めに諦めて、クラリネット奏者に声楽家は20歳くらいまでは考えていた。教師も長いことなりたいと思っていたけれど、今となってはその道に進まなくて良かったな、と思う。

なぜ小説家になるということを口に出さなかったのか。答えは簡単だ。周りに創作をしている人なんて居なくて、創作をしているということを口走ればそれがイタいことだと揶揄されるから。

創作自体は小学生の頃からしていた。夢想家だからすぐに物語の中に入って、物語を作る。詩作をしたりするのも好きで、ノートに何冊も詩をしたためた。中学に入ると、文章で何かをあらわすことが好きになった。ゴーストライターとして、文集の文を書いたり、読書感想文代行をした。(これは良くないことだけれど)

本格的に小説を書き始めたのは17歳。それでも小説のルールなんて知らない。ケータイ小説に毛が生えたくらいの物語を量産していた。そこから仕事をし始めて、どんどん忙殺され創作もしなければ本も読まない時期が来る。

その当時の私は仕事場に拘束される時間が約15時間という生活を送っていた。華の20代前半、私はたった700円の時給で月20万円近くを稼いでいた。月の出勤時間は200時間をゆうに超え、仕事漬けの超弩級のブラックな環境を当然のようにこなしていた。

家に帰れば体中が痛くて、一度寝転ぶと二度と起き上がれないんじゃないかと思う位の日々。

そんなこんなで、いろいろしているうちに今度は結婚、妊娠、出産とくる。このくらいからストレス発散のためか、小説を書きたくなってくる。子どもが保育園に行き始め、自分も仕事をし始めると少し気持ちが落ち着いた。

20代後半、仕事をしながら時折カクヨムで書くようになる。どうしても小説を書きたい気持ちになった。自分が小説家になりたいのだな、とはっきり自覚したのはこの頃のようにも思う。それまではぼやっと思うくらいだった気がするので。

そこで挑戦すれば良かったのかもしれないが、その後私は病気になる。気分障害。もっと言うなら双極性障害というのが私の病名らしい。私はⅡ型で、軽躁と鬱を繰り返すタイプ。

何も出来なくなった私は、本に縋るようになった。小説をむさぼるように読んだ。どこか余所の世界に行きたかった。死にたいとかそう言うのではなくて、消えてしまいたい自分を繋ぎ止めるために余所へ行きたかった。

そして今年。仕事は辞めて2年ほどになる。(とはいえ、私は一応会社役員でもあるので、無職とも違うのかもしれないけれど)とうとう決意した。
余所へ行くためにむさぼるように小説を読んでいた頃から、うっすら思っていた公募への挑戦。私なんかという思いが先に立って結局この数年一度も挑戦しなかったけれど、今年はしようと決めた。

34歳。早くはないとおもう。でも、夢を追うのに年齢制限はあるんだろうか。もちろん、年齢制限がある夢も存在するのは承知している。けれど全てがそうではないのではないだろうか。

いつだって今が一番若いのだから、今挑戦しなきゃダメだと思った。

どこからやり直すか
そりゃ諦めかけた数秒前

櫻坂46 Start over!

と歌う櫻坂46に励まされた。そうして私はなんとか諦めずに挑戦することが出来ている。だから櫻坂には感謝している。この曲を歌ってくれて、パフォーマンスしてくれてありがとうと思っている。

この曲がなかったら、私は諦めていたかもしれない。また繰り返したかもしれない。それに、応援してくれている小1からの親友の存在もなかったら多分無理だった。

私は夢を追う。揶揄されようがなんだろうが関係ない。私は私のやりたいことをやるだけだ。



よろしければサポートお願いします。頂いたサポートは治療費や創作活動に使用させていただきます。