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密かに続けていること

noteの毎日更新をしながら、密かに毎日続けていることがある。それは日記だ。今もあるのか分からないけれど、無印良品でだいぶ前に買った366枚くらいあるノートに、今年9月25日から。

9月25日は、小説現代長編新人賞の一次選考結果が載った小説現代が、私の家に届いた日である。この日私は、自分が小説家という職業になりたいのだ、と自覚した。

それまではふわふわっと、なれたらなりたいくらいだった。多分無理だろうの方が先行していて、ダメもとで公募には出した。でも、一次選考結果を自分の目で見て、自分のペンネームを見つけた時、とても嬉しかった。

やっとスタートに立った。私はそう思った。あの時私は、やっと自分が小説家というものになりたいのだと自覚したのだ。あの喜びはきっと、スタートに立てた喜びだと思う。

そこから私は毎日日記を付けている。日記の最後には、毎回署名をする。ペンネームで。

まだほとんどの人が知らない私のペンネームを、いつかは誰もが知っているペンネームにしたいと思った(大それた夢である)。こういったことを思う時は大体躁に入っている時なので大それた夢でも許してほしい。

それまで、自分がそのペンネームの人間なのだ、と自分に深く刻むため毎日毎日、日記に署名している。

かっこ悪くても、これが私のやり方だ。小説を書いているとき、スイッチを切り替えるために私は○○(ペンネーム)だと言い聞かせていた。すると本名でも廣瀬碧季でもない自分のスイッチが入って、小説を書き出せる。

私はなりきるためのスイッチを自分に作ったのだ。

日記はその締めくくりで、誰にも読まれない前提だからものすごく荒い。それでも、毎日の私が克明に記されている。揺らぐ気持ちも、はっきりとした気持ちも、日々のグラデーションを鮮明に記録している。

私の日々は、いつだって不安定だ。

大きな感情の波にのまれて何も出来なくなる時だってある。動けず、考えられず、ただ泣くしか出来ない日だってある。推しに救われる日もあって、だから推しを推し続けているんだなと感じる日もある。

薬がなければ眠れないときもあれば、逆に寝過ぎてしまうこともある。ままならない日々を記すことで、いつか私にとって何かの糧になればいいと思っている。このnoteも全部自分の養分にして私は生きていきたい。


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