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「僕がここにいる限り、君は誰からも傷をうけない」



5歳のときに母が死んだ。目の前で。銃で撃たれて。

「ふう」という吐息が最後の言葉だった。映画みたいに「心配しないで。ママは大丈夫だからね」なんて言わなかった。ただ静かに「ふう」とつぶやいただけだ。目を閉じてそれっきり。

そりゃないよ、とは思わなかった。男が近づいてきたからだ。5歳児でもわかった。今度は僕が撃たれる番なんだと。母のそばでしゃがみこむ。手を握る。握り返してはくれない。ビニルの人形みたいな指先。

男が足元に到達する。歩行音はまったく聞こえなかった。顔をあげる。目があう。恐怖も幸せもない眼球。そのまま母に向かってもう一発撃った。



いまだに花火が苦手だ。射撃音に似ているから。爆竹はもっとダメ。喉に嘔吐が込み上げてくる。我慢すると目頭に涙が浮かぶ。何度も何度も。夏祭りは部屋のなかで毛布をかぶってじっとしている。友達には風邪ってことにして。高校生になってワイパックスを処方されたけど、ほとんど効果はなかった。これは病気ではなくて僕自身の問題なのだ。

母の葬式の記憶はない。僕はどこか暗い場所にいる。祖母が抱きしめてくれたことは覚えている。母とは違う手、違う匂い。母の実家か、斎場か、それとも病院か。

父はどうしていたのか?

僕の泊まっていた病院に一度だけ来た。夜遅く。枕元の小さなライトが点灯する。顔に光があたる。まぶしくて目が覚める。父が丸椅子に座っていた。僕をじっと見ている。能面みたいに無表情。

「いっしょに強くなるぞ」

この試練を乗り越えて大人になろう、という比喩的な意味ではなかった。文字通り、強くなる、ということだった。肉体的に。

とんでもない親父だった。

近所の山で僕を置き去りにした。「ひとりで戻ってこい」いやいや、普通に考えて無理だから。泣いてもわめいても能面は車を発進させて見えなくなった。観光地でもなんでもない山。熊も出没する山。後で知ったけど標高は400メートルあった。下山するだけでも幼稚園児にとっては拷問だ。完全なる児童虐待。時代が平成で良かった。今なら父は逮捕されている。

初夏の夕暮れ。舗装されていない草ぼうぼうの道。ひとりでメソメソしながら歩いた。歩くしかないのだ。幸いにも太陽はなかなか沈まなかった。怖くて漏らして下半身は冷たかった。父の名を呼んでも無意味だった。

背丈よりも高い草むらが揺れる。また叫ぶ。うー、とか、ぎゃー、とか言いながら走る。足にからまる。水溜りにつっこむ。カミソリみたいに鋭い葉っぱで指を切る。トゲをわしづかみにする。全身が傷だらけ、痛みだらけだ。寂しくて心細くて無駄だとわかっていても叫んだ。

「ママー! ママー!」

どういうことだ? ママがいないなんてどういうことだ? あの男が撃ったからか? なんでママを撃つ必要がある? ママがなにをした? なんでパパはママを守らなかった? パパの役目はママを守ることじゃないのか? なんで僕がこんな目にあう? 神様はどこにいる? 神様はどこ? どうしてなにもしてくれない? ただ見てるだけならママを救えなかった僕とおんなじじゃないか!

日が沈む。足元は真っ暗。かろうじて白っぽい夜空。もう涙は出ないから声だけ出して泣いた。うー、うー、うー。冷たい地面にお尻をつく。もう無理だ。もう動けない。ここまでだ。そのとき父の指が触れた。温かい手のひらが僕の頭をグシャグシャにした。見上げたら父も泣いていた。暗くて涙は見えない。でも泣いていることはすぐにわかった。なぜなら僕と同じように叫んでいたからだ。身体を揺さぶって僕よりも大きな声で叫んでいた。

父が泣いたのは後にも先にもあの時だけだった。



世の中には理不尽なことなんていっぱいある。人はそれを運命とか宿命とか呼ぶ。そう呼んで慰めにしたいだけだ。否定はしない。すべてを理解して腹落ちして生きていくには、80年という時間は短すぎるのだ。

気がついたら僕の周囲には強固な壁があった。一見それは壁には見えないのかもしれない。社交辞令の挨拶とか笑顔とかあたりさわりのない会話はする。でも、みんなが楽しそうに話している、その輪の中に「ほんとうに」入ったことは一度もない。いつもどこか遠い場所から自分のいる輪っかを眺めていた。僕がみんなと話したいことは、こういうことじゃないんだと、いつも思っていた。

家では一人で絵本を読んで過ごした。父は帰りが遅かったから(当時は保険の販売員をしていた)、近くに住んでいる祖母が晩御飯をつくってくれた。でも、そのうちスーパーのお惣菜になり、小学校に上がってからはコンビニの弁当ばかりになった。ハンバーグ弁当。からあげ弁当。のり弁。このローテ。祖母も忙しかったのだろう。食事の内容はなんでもよかった。お腹さえ満たせれば。ちゃっちゃと食べて、絵本(小学校に入ってからは図書室で借りた本)のつづきを読んだ。世界は理不尽だけど、本のなかは平和だった。必ず終わりがくる。


父は僕を物理的に強くするため、小学校の入学と同時に、キックボクシングのジムに通わせた。自由意志のように仕向けて、強制だった。

「となりのS市に、キックボクシングのジムができた。高校時代の同級生がやってる。ケンも行きたいよな? 強くなりたいよな? 強くなってママのかたきをうちたいよな?」

YES以外の返事はどこにもなかった。

キックボクシングがどんな運動なのかもわからず、日曜日に車に乗せられて、雑居ビルの2階に連れてこられた。階段が急でハシゴみたいで怖かった。手すりが錆びていた。触れると赤い破片がポロポロと落ちた。ドアを開けると床一面がふわふわのマットだった。大きな窓の向こうに海が見えた。生臭い、魚の死骸みたいなにおい。小さな船がおもちゃみたいに浮かんでいた。

「いらっしゃい」と笑顔で出迎えてくれたのがシンイチさんだった。父の高校時代の同級生。「とりあえず、パンチ、うってみて」

とりあえず右手を前に出した。

父が鼻で笑った。「それは自動販売機でジュース買うときの動作だ」

シンイチさんは笑わずに、「最初はこんなもんだよ。3ヶ月もすれば、誰でもそれなりにうまくなる」とフォローしてくれた。

「誰でも」というのは本当だけど、「それなりに」というのがミソで、上達には大きな差があった。僕はずっと下手だった。4月にキッズ・クラスに入った5人のなかで、僕だけがいつまでたってもミドルキックが打てなかった。


夏のある日、帰り道で父が、「バランス感覚が悪いんだ」と言った。激しい雨で、車のワイパーが忙しそうに左右に動いていた。「ストレッチのときも、おまえだけフラフラしてる。今日から毎晩、片足立ち。10分ずつな」

相変わらずむちゃくちゃだった。ジムでやってる1分間の片足立ちだってできないのに、10分なんて無理。父はなにもわかってない。口で命令するだけ。

そもそもジムに通わせたのも、父がパチンコするためだ。託児所がほしかったんだ。僕をジムに預けて、S市の駅前にあるパチンコ屋(僕の町にあるよりも大きかった)に通っていた。フィーバーしたら(幸運にもあまりフィーバーしなかったらしい)、キッズ・クラスが終わる11時になっても迎えに来ないことがあった。

雨がフロントガラスを叩きつける。割れそうなくらいに激しく。昼間でも真っ暗で、対向車がヘッドライトをつけていた。ワイパーは最大限の速度で動いていたけど、道なんてほとんど見えなかった。

「強くなっても、ママは戻らない」と僕は言った。強い語気に怒りをこめて。

父はしばらく黙ってから、ウインカーを出して、車を停めた。ひたすら雨の音。ワイパーのむなしい響き。

「たしかに、ママは戻らない」と父は静かに言った。

「じゃあ、もうやめようよ? 毎週毎週、1時間もかけて車で通うのも疲れたよ」

「ママは戻らない。でも、ママのかたきをうつことはできる」

「どういうこと?」

「ママを襲った犯人、まだ捕まってないんだ」



小学1年生の秋だったか冬に、同じクラスのイケガミにしょっちゅう絡まれるようになる。「おまえの母さん、殺されたんだってな?」と、顔を見るたびにニヤニヤ笑って近づいてくる。小学生は残酷だ。オブラートに包むという社交辞令を知らない。僕は言い返せなくていつも黙っていた。

「殺されるなんて、そうとう悪いことしたんだろ? おれの母さんが言ってた。悪いことしたから、バチが当たったんだって」

目に涙をためて、うつむいてその場を去ることしかできなかった。イケガミは身長が大きいし、お腹が出てるし、なにより声がでかい。ドラえもんに出てくる「あれ」にそっくりだった。

「おまえには悪い血が流れてる」「おまえの家族はのろわれてる」「おまえは悪魔だ」おいおい、イケガミ。そのボキャブラリーはどこから仕入れたんだ? 低俗なホラー映画ばっかり見てる家族に囲まれてる、おまえのほうが哀れだよ。

2年生になっても絶望的に同じクラスで、嫌がらせはエスカレートした。このままだと一生つづく。死ぬまでずっと目をはらして、気がついたらなんにも見えなくなるんだ。

僕は意を決した。給食のあとの昼休み。イケガミが例のにやけた顔で近づいてきた。「なんか臭いな」と鼻をつまむ。「カ・タ・オ・ヤだから、風呂に入ってないんだろ?」

顔が真っ赤になった。たしかに風呂には毎日は入っていなかった。また涙があふれる。臭いのか? 僕は臭いのか? 臭いのかもしれない。でも、おまえに言われる筋合いなんかこれっぽっちもない。イケガミを見上げる。嬉しそうな顔でニヤニヤしている。僕が泣けば泣くほど面白いんだ。

教室のみんなに聞こえる大声で、「ヒロセって、めっちゃ、臭いよなー?」と呼びかけて爆笑する。

射程圏内。

すばやく右足を引き、重心をのせて、こぶしを突き出す。ストレート気味のアッパー。相手の方が背が高いから、右手はそのままボディーを直撃。右手を引く反動で、左手も入れる。フックの要領。

右と左が「もろ」にお腹に入って、イケガミはそのまま膝をついて、給食のカレーライスを全部吐き出す。ゲーゲー言いながら「痛いよー、痛いよー」と泣いている。誰かが先生を呼びにいく。僕もその場で立ったまま泣いた。泣きながら思った。イケガミ、おまえのカレーのほうが臭いよ。


大人だったら傷害罪だけど、小学2年生だったので、子供同士がじゃれあっていて「たまたま」お腹に手があたったということで、僕はなんのおとがめもうけなかった。イケガミも保健室からすぐに戻ってきた。

その夜、祖母にお願いして風呂に湯をはってもらい、石鹸で念入りに身体をみがいた。とくに耳の後ろ(ここは一人ではなかなか洗えない部分で、イケガミにも指摘された)、脇の下、下半身の前と後ろ、足の指を、何度も洗った。

風呂から出たタイミングで父が帰ってきた。「めずらしい。風呂に入ったんか。女でもできたか?」無視して子供部屋に移動し、布団に新しい身体をつっこんだ。仕返しされたらどうしよう、と考えたけど、最近やっとマスターしたミドルキックを打ってやろうと決意した。眠りはなかなかやってこなかった。

翌朝、イケガミは下駄箱で待ち伏せしていた。仕返し、ではなくて、なにか言いたそうな顔で立っていた。告白前の女の子みたい。無視して、でもしっかりと距離はとって、教室に向かった。昼休みも遠くからちらちらと見ていたけど、気が付かないふりをして図書室に行った。『ぼくは王さま』のつづきを借りるためだ。『ズッコケ3人組』を読みはじめるのはもう少し後。

放課後になって、帰り道でいきなり後ろから、「あれって、空手?」と声をかけられた。振り向くとイケガミだった。一人きりで、なんだかいつもより弱々しくて、TVで見た寝起きのコアラにそっくりだった。

「空手じゃない。キックボクシング」と僕はこたえた。こたえながら、いつ殴られてもいいように半身になった。大事なのは相手との距離感。シンイチさんにいつも言われていること。

「おれもやりたい。どこで習ってんの?」

「S市」と僕は峠を2つ超えた先にある、港町の名前を言った。

「S市って、遠すぎるわ。無理だわ。サッカーでがまんするわ」とイケガミは穏やかな表情で笑った。


イケガミの家は庭付きの大きな一軒家だった。庭には池があって、石橋があって、鯉が泳いでいた。金持ちはたいてい魚を飼う。犬とか猫よりもステータスが高いらしい。応接室(という特別な部屋があることも意味がわからなかった)に巨大なソファーがあって、そこが子供たちの遊び場だった。遊び場といっても飛び跳ねるとかではなくて、座ってただ携帯ゲームを操作する場所。僕はゲームを買ってもらえなかったので、イケガミの家でプレイするのが楽しみだった。テーブルの上には子供用のノートPCもあった。

「これさえあれば、世界中の、なんでもわかる」とイケガミは電源を入れた。たしかに最新のニュースとか、ゲームの裏技とか、アニメも見れた。

世界中のすべてが調べられる。

僕はずっと検索したいことがあった。イケガミがトイレに行ったすきを見計らって(トイレは長い廊下の突き当りにあって、往復にまあまあ時間がかかった)、習いたてのローマ字を思い出して、キーボードをたどたどしく打ってみた。

「広瀬真冬」

検索の実行ボタンを押すと、3年前のニュースが出てきた。



イケガミの腹を殴ったことは、父には言わなかった。言ったら怒られると思ったからだ。ママの「かたき」をうつとき以外は、他人に危害を加えるなと教わっていた。あの父もたまにはまともなことを言う。

年末のTVドラマで、たくさんの武士が一人に仕返しをしていた。弱い者いじめだと主張したけど、「かたき」をうつなら、いいらしい。

シンイチさんには正直に話した。いじめられたからボディーを打ったと。彼はいつものように「なるほど、なるほど」と天使の笑顔でミットをかまえた。「じゃあ、今日はその、黄金のボディーブローを、みせてもらおうかな」

僕は真剣にミットを打った。強くなる。もっと強くなる。強くなって、母を襲ったあいつも、いつかこの手で倒してやる。

あの男の感情のない目は一生忘れない。


その日、ジムの最後のストレッチが終わっても、父は迎えに来なかった。シンイチさんが携帯に電話をかけても、呼び出し音がなるだけだった。めずらしくパチンコがフィーバーしているのだと思った。僕はいつものように入り口のそばにある丸椅子に座って、シンイチさんが注いでくれた冷たいアクエリアスを飲んだ。

「ありがとうございました」とサクライさんが頭を下げた。1年生から同じキッズ・クラスの女の子。僕と違ってハイキックがめちゃくちゃうまい。育ちのいいお嬢様で、お父さんはしょっちゅう海外に出張に行っているらしかった。

彼女のお母さんが入り口まで迎えに来ていた。お母さんもきれいな人だった。二人はゆっくりと、落ちないように手すり(先日やっと新しくなった)につかまって、急な階段をおりていった。


日曜日の午前中はキッズ・クラスだけなので、誰もいなくなったジムは静かだった。シンイチさんは入り口のそばにある机でパソコンに向かっていた。

「この世は不公平だ」と僕はぼそっとつぶやいた。「生まれるときに、親とか、運動神経とか、金持ちとか、なにも選べない」

シンイチさんは笑って、「ケン坊も別に悪くないじゃん」と僕を見た。

「みんなのお母さんは生きてる」と僕は言った。「殺されてない」

シンイチさんは、なるほど、なるほど、と繰り返してから、ライオンみたいに大きなあくびをした。

「傘、貸してくれませんか?」といきなり後ろから声がした。サクライさんがドアの前にいた。顔に水滴がついている。いつのまにか窓の外は真っ暗で、雨が降り始めていた。

シンイチさんが、「ケン坊、倉庫から、ビニ傘もってきて」と奥を指した。

僕は立ち上がって、一番奥にある小部屋に進み、ポリバケツに入っているビニール傘の集団から、きれいそうなのを2本つかんだ。サクライさんの顔を直視できなかったので、横を向いたまま手渡した。「ありがとう」という彼女の声がくすぐったかった。

それからシンイチさんは無言でパソコンをずっと操作していた。ジムのホームページを更新しているらしい。父との会話の内容を総合すると、ジムの借金がだいぶあって、集客に頭を悩ませているらしかった。「夜逃げすんなよ」と父がからかっていた。「ビラ配るの手伝ってよ」とシンイチさんも笑ったけれど、たぶん本気だった。


父が戻ってきたのは12時を過ぎてからだった。濡れた新聞紙を僕に向かって投げた。傘のかわりに使ったのだ。表紙には大きな漢字で「号外」と書いてあった。

「犯人、やっと捕まった」

父はそう言って、深い溜め息をついた。シンイチさんはキーボードを打つ手を止めた。2人ともしばらくはなにもしゃべらなかった。



記憶はどんどん薄れていく。それにともなって想い出も。それにまつわる感情も。このまますべてを失って、最後にはきれいさっぱりと消えるだけなのかもしれない。

母は幸せだったのだろうか。父と出会ったことや、僕を産んだこと。3人で過ごした時間。殺されたら成仏できないとイケガミがまた余計なことを言った。あいつの背中をたたいてから、少しだけしんみりした。

あまりにもかわいそうだ。死んだこともわからずに、そのままずっとさまようなんて。S市の駅前で。ショッピングセンターで。屋上の駐車場で。


父はパチンコ店ではなくて、あのショッピングセンターに足を運んでいた。犯人を探していたのか、それとも母の最後の場所で手を合わせていたのか、僕は知らない。もしかしたら両方だったのかもしれない。

裁判はそれから長く長くつづいた。

犯人が捕まってからしばらくして、「キックボクシング、やめたかったら、やめな」と父は言った。「おれはもう、送り迎え、しないから。行きたかったら、バスで行きな」

僕は迷ったけど、「2年も通ったし、6年までつづける」と父に言った。シンイチさんのことが好きだったし、それにサクライさんとも会えなくなるのが嫌だった。さすがに彼女のことは言及しなかったけれど。

父は「お好きなように」とだけ言った。日曜日の朝、バス代とジュース代の千円札がテーブルの上に置いてあった。


「お母さんは、どんな人だったの?」と僕はシンイチさんに聞いてみた。バスの待ち時間で、いつもの丸椅子に座っていた。「幼かったから、あんまり覚えてない」と正直に言った。

「背が高くて、犬が好きで、港町の子なのに刺身が大嫌いだった」とシンイチさんは笑った。

想像したけど、どんな人なのかまったくわからなかった。僕は真逆だ。背が低くて、犬が嫌いで(あの山で噛まれたっていうのも嫌いな理由のひとつ)、刺身は大好物だ。

「そういえば高校の文化祭のとき、ケン坊の父さんと、おれで、駄菓子屋をやったの。業者から綿菓子の機械も借りて、けっこう本格的なやつ。モデルみたいな子が来て、どうぞって渡したら、もっと大きいのがいいって言われて。もっと大きいのを渡したら、もっともっと大きいのがいいって駄々こねて。しょうがないから、ザラメを入れまくったら、機械が故障して3人で大笑いしたの」

たしかに母はよく笑う人だった。笑った顔しか覚えていない。父は真逆で、ほとんど笑顔は見せなかった。いつも心はここにはなくて、どこか遠くを見ていた。なにを見ていたのか。


2年生の終わりに、サクライさんのお母さんがジムの階段から落下した。ちょうど雪が降っていて、足元が濡れていたらしい。そのまま救急車で運ばれた。サクライさんは同乗して、僕とシンイチさんはタクシーで後を追った。高台にある市立病院。僕も入院していたところ。サイレンを聞くと吐き気がした。必死にサクライさんの顔を思い出した。泣いている顔しか浮かばなかった。今までに見たことがない、かわいそうな顔。

検査の結果がでるまで、僕とサクライさんとシンイチさんは、薄暗い廊下にある硬いソファーでただひたすら待った。日曜日の病院は誰もいなくて、昼間でも怖かった。どこかで甲高いモーター音がずっと響いていた。サクライさんが隣でうつむいている。僕はじっと座っているだけで、なにもできなかった。

CTの結果に異常はなかったけど、頭を打ったということで、念のため一晩だけ入院することになった。

シンイチさんが父に電話をかけた。「サクライさんのお子さん、一晩だけ、あずかってくれない?」

彼女のお父さんは出張中で、すぐに頼れるような親戚も近くにいないらしい。知り合いに電話をかけたけど、誰も出ないと言った。三連休の中日だからしようがない、とシンイチさんはあきらめた。病院側にも懇願したけれど、宿泊は無理だと断られた。

夜になるまえに父が到着した。サクライさんのお母さんに挨拶をして(大人同士で多少の親交はあったらしい)、3人で車に乗った。車中では誰もしゃべらず、父はラジオを流した。


子供部屋で電気を消して「おやすみ」とつぶやくと、サクライさんが小さな声で聞いてきた。

「死んだら、どこにいくか、知ってる?」

僕はちよっとだけ考えて、正直に「知らない」とこたえた。「天国とか地獄とか、いろいろ言うけど、ほんとうはどこに行くのか、知らない」

「こわいね。考えたらこわいね」

「こわいけど、しようがないよ。みんな同じだもん」

サクライさんがこっちを向いて、布団から手を出してきた。僕はためらったけれど、誰もいないからドキドキしながら握った。背丈は僕と同じなのに、手は小さかった。

「きみも、どこかに行くの?」とサクライさんが言った。声が少し震えていた。

ちょっと迷ってから、「僕は行かない」とウソをついた。



悪人こそが救われると説いたのは昔のえらいお坊さんだ。人間は生まれながらにして罪を背負っている。そんな罪深い人間が、生涯にわたって一度だけでいいから仏様にむかって拝めば、それで天国に行けるらしい。でも天国に行くために生まれてきたのなら、どうして最初からこの世界を天国にしなかったのか?

自分の欲望に、命に、執着しなければ、人は苦しみから逃れられるらしい。でもそれって、生きながら死んでるみたいなものじゃないか。

僕は古い本を読むことを止めた。救いはここにはなかった。


小学校の5年生になって、色々なことがおこった。僕の身長が急に伸びた。声変わりが始まった。サクライさんがジムをやめた。練習中に腕を痛めて、ピアノとの両立が難しいのが理由だった。夜寝るときにサクライさんのことを思い出すことが多くなった。祖母が施設に入った。父が交通事故をおこした。仕事をやめて酒ばかり飲むようになった。暴れはしなかったけど、酔ってブツブツと言うことが多くなった。「そもそも」というのが父の口癖だった。

「そもそもの始まりは、あいつが、お母さんを、殺したからだ」

悪人が生き延びて、善人が苦しむという話は、図書室のどの本にも書かれていなかった。


6年生になると、酒臭い父が大嫌いで、イケガミの家に入り浸るようになった。あいつの家は部屋がいくらでもあるから、僕一人が寝泊まりしても誰にもバレなかった。ノートPCの保護者モードを勝手に解除して(そういうのは僕は得意だった)、エッチな動画を見るようになった。「大人ってやべえな」とイケガミは興奮しながら言った。「みんな、こんな動物みたいな声だすんかな?」

僕はサクライさんの声を想像した。裸を想像した。でも恥ずかしくなってすぐにやめた。かわりに家に泊まったときの、あの小さな手を思い出した。

ジムだけは休まずに続けた。蹴りもパンチも重くなったと、シンイチさんが褒めてくれた。僕を褒めてくれるのはシンイチさんだけだ。帰りのバスの時間になるまで、駅前のショッピングセンターで時間をつぶすことが多くなった。壁に大きな貼り紙があって、年末に取り壊して新しいビルを建てる、と書いてあった。昔の人が言ったように、すべては移り変わるのだ。

本屋で立ち読みをしていると、中学生の男子2人がエロ本を見て、ゲラゲラと笑っていた。近くにいた小学生に向かって「おまえも好きだろ」と見せびらかす。小学生の男子は無言で首を横にふる。「見ろよこれ」としつこく裸体を見せつけてくる。どんだけガキなんだと僕はあきれる。イケガミの家ならもっと過激なのが山ほどあった。身長なら僕と大差ない。やめませんか、と言おうとしたら、先に「やめたら?」と止めに入ったのがサクライさんだった。

中学生はひるむことなく、ヘラヘラ笑って(いつぞやのイケガミみたいに)、見開きの裸体のページを彼女の眼前に広げた。彼女は目を背ける。後ろを向く。中学生が追い討ちをかけようとした瞬間、後ろ回し蹴り。完璧な距離感。完璧なタイミング。速すぎて何がなんだかわからずに中学生は文字どおり飛んでいく。

サクライさんと僕は目があって笑う。彼女の蹴りは1年生のときから天才的だった。ふたりで走って屋上に逃げる。駐車場の隅にあるベンチに隠れるようにして座る。「やばいね」と言ってまた笑う。バスを一本遅らせて話をする。

シンイチさんがまた女性にフラれたこと(かわいそうだけどずっと未婚だった)、ピアノよりも蹴ってる方が楽しいこと、お父さんがウィーンに行っていること(ウィーンってどこだ?)、そして進路の話。「いっしょにS高行こうよ」と誘われる。県立の進学校。隣町の僕でも知ってる。「中学の3年間、ちゃんとやれば受かるから」と簡単に言われる。簡単じゃないことぐらいはさすがにわかる。「考えとく」と言って僕はバスに乗る。とりあえず夏休みの宿題を終わらせようと決意する。

サクライさんが手を振って見送ってくれる。全身でめっちゃ大きく。僕は恥ずかしいので他の乗客に見えないように小さく振り返す。バスが発車して彼女が見えなくなってから、僕は唖然とする。今度会えるのはいつなんだろう?


8月の花火大会の夕方、僕だけ留守番するとイケガミに宣言した。

「なんで?」と当然のように聞いてきた。「そういえばヒロセって、いつも花火大会にいないよな?」

音が怖いなんて言えないので、「夏風邪をひいた」と嘘をついた。

「嘘つけ」とすぐに見破られる。「さっきまでコーラがぶ飲みして、ポテチも勝手に全部、食ってたじゃん」

「お腹が痛い」とベッドの上で毛布にくるまって、背を向けた。イケガミもあきらめて、「別にいいけど。ちなみに今年の花火、復興記念で、めっちゃ大きいらしいぜ」と嬉しそうに出ていった。

僕は耳をふさいで込み上げてくる嘔吐を何度も何度も我慢しながら目に涙を浮かべてサクライさんのことを思った。



判決は予想どおりで、心神喪失による無罪だった。犯人は病院から退院したその日に、たまたまショピングセンターに立ち寄り、たまたまトイレで警察官の置き忘れた拳銃を見つけて、たまたま駐車場にいた「動くもの」に照準を合わせた。前職は拳銃をあつかう公務員だった。「動くもの」を撃ってみたかったらしい。

犯行後に病院に戻り、3年半後にまた退院して、コンビニで万引き。指紋の照合で拳銃に残っていたものと一致。

結審するまでに10年近くかかった。

犯人はまた隔離病棟に収容された。もう2度と出られないから無期懲役みたいなものだ、とシンイチさんは僕らを慰めてくれた。僕はすでに高校を卒業する年齢になっていた。S市にあるサクライさんと約束した高校。

「よかったね」というセリフが向かい風に消えて聞こえなかった。

彼女の家までのいつもの路地。すずかけの木が左右にきれいに並んでいる。新緑が太陽の光をあびて色濃く輝いていた。夕方になっても明るくて、夏を先取りしたみたいな暑さで背中に汗が浮かんだ。

サクライさんはもう一度自分に言い聞かせるように、「終わって、よかった」と言った。

本当によかったのかどうかわからないので、僕は黙っていた。

「終わりがあるっていうのは、悪くないことだと思う」と彼女は言った。

「人が死んでも、悪くないってこと?」と僕は嫌味ったらしく言った。判決が出てからずっとナーバスだった。

「そこまでは言ってない」

「同じことだよ」

「あっそう。でも、不老不死なんて逆に怖くない? 何百年も生きるなんて」

「ひとりで死ぬほうが怖いよ」

「じゃあ」と振り返った。「いっしょに死んであげる」と言って、いきなり抱きついてきた。

柔らかい感触を無視して、とっさに逃げた。一瞬触れただけなのに、呼吸が早くなる。

「あのさ、そういうウソ、やめない? 中ニ病みたいで恥ずかしいよ」

「どうして、ウソって決めつけるわけ?」

「だって」と言って言葉につまった。遠くに見える樹木に意識をむけようとしたけど、滲んでいった。

「だってさ、おれ、やってみようとしたんだよ。でも、無理だった。母さんといっしょに、死ねなかった。母さん、勝手にひとりで、死んじゃった。さみしいことさせちゃった。ひとりで死んじゃったんだ」

それ以上はなにも言えなかった。サクライさんは静かに僕の手を握った。振りほどこうとしたけど、できなかった。



すべてが自分の思い通りになんてならない。良いこともあれば悪いこともある。すべてを良くしたいなんて思うことは僕の傲慢なのかもしれない。現代文の先生が「禍福はあざなえる縄の如し」とよく言っていたが、真理なのかもしれない。

父は相変わらずの無職で、長年の飲酒がたたって肝臓を壊した。でも飲むことはやめなかった。「歳をとったら、楽しいことなんか、ないんだよ。だから大人は、酒を、飲む」と言い訳して。

僕の背丈は中学時代に父を超えた。父はただの小さな酔っ払いになった。祖母は昨年、亡くなった。家族がどんどん減っていく。父はあの酒量だから来年には、いや、もういいだろう。まともな意見はまともな人生を送れる人のものだ。

「おまえは、好きに、生きたらいい。人様に迷惑をかけてもいい。どうせいずれ、人は、死ぬ。どんな死に方であれ、いずれみんな、死ぬ。罪をおかしたって、おかさなくたって、みんな死ぬんだ」

父もたまには、まともなことを言う。


高3の夏休み、久々にイケガミに電話をかけた。あいつは学費の高い私立に通っていた。髪を金髪にしても退学にはならないらしい。「久しぶり、どうしたー?」と相変わらず脳天気な声で、引きずられてこっちまで元気になる。

「会って話したいことがある」と僕はあらたまって言った。

「金なら、10万までしか貸さねーぞ」

「ある意味、それよりも高くついたらごめん」

イケガミの父は県議会議員で、その名刺があれば公共施設はフリーパスだった。たとえば県立病院とか。そこにある、

隔離病棟も。


5歳のとき、僕は神様に祈った。もし存在するなら、僕を救ってほしいと。ほんとうに心から祈った。でも母さんは戻らなかったし、父は肝臓がボロボロで長くはないし、祖母も判別がつかなくなって亡くなったし、僕もなにか輝かしい夢や希望があるわけではなかった。

サクライさん?

境遇が違いすぎた。彼女は高校を出たら、留学すると決めていた。東京よりも、アメリカの大学の方が利点が多いらしい。東京にも行ったことがない僕からすれば、あまりにも遠すぎる話だった。

愛はいっときは癒やしになるのかもしれないけど、効果を永続させる方法を僕は知らない。


8月に入って最初の土曜日。模擬試験で県庁所在地に行ってくると父にメッセージを送って、朝早くに家を出た。父が起きるのはいつも昼過ぎだ。バスと電車を乗り継いで片道3時間。座りっぱなしで腰が痛くなった。県立病院には事前にイケガミの父の名前で電話をかけた。

「遠い親戚の子がひとりいまして。子供の頃にかわいがってもらったようで。5分だけでいいので、面会をお願いできないでしょうか?」


海辺にある古い病院だった。森のような木々に囲まれて、潮風は直接は届かなかった。鳥のさえずりが聞こえるけど、姿は見えなかった。プラスチックの看板はペンキが剥げていて、端っこが欠けて電線が見えていた。外壁は茶色く枯れた植物で覆われていた。どこの病院もそうなのかもしれないけど、入ってすぐの待合室は高齢者ばかりだった。天井が低くて(手を伸ばせばたぶん届く)、パイプがむき出しで這っていた。

面会用の窓口を探して、電話で応対してくれた担当者の名前を伝える。廊下で待つように指示された。ソファーは硬くて冷たかった。小学校の頃にサクライさんと並んで座ったことを思い出した。目の前の扉が開いて、車輪のついた可動式の担架が出てきた。毛布から出ている顔は痩せてしわしわで、白い頭髪もほとんど残っていなかった。看護師さんが「がんばったね」と声をかけていた。

最初、呼ばれた名前に気が付かなかった。父と同じ年ぐらいの男性が、僕の前に立っていた。そうだ、僕の今日の名前。返事をしてバインダーを受け取り、氏名と住所を書いて渡す。イケガミの父の名刺も添えて。



「遠いところ、大変でしたね」みたいな社交辞令があった。渡り廊下を通って、自動販売機の前を通過して、エレベーターに乗った。下りてすぐにコインロッカーがあって、私物を預けてほしいと言われた。かばんも財布も携帯も。小さなドアの前で立ち止まった。他とはなにかが違った。すぐにわかる。ドアの窓に、鉄格子がはめられていたのだ。男性がポケットから鍵を取り出して、解錠して、長い廊下をまっすぐに歩いていく。男性にとっては日常だけど、僕はとまどいながら後を追った。

廊下の左手には窓が並んでいた。窓から海が見えた。青く澄んだ暑そうな真夏の海。男性は20メートルぐらい進んで、左手にある部屋のドアを開けて、中で待つように言った。ドアの横には手書きの白い文字で「面会室」と札がかかっていた。部屋は六畳程度の広さで、ガラスのテーブルを挟んでソファーが2組おいてあった。年季の入ったソファーだった。僕は座った。クッションはとても柔らかかった。

このときも、自分がなにをしたいのか、理解していなかった。

僕はなにを、誰を待っているのだろう。あいつに会ったところで、なにかが変わるわけではないのだ。世界のルールは僕ひとりでは変えられない。あらがうこともできない。滝に向かって流れていって、最後はのみこまれて、みんなおしまいなのだ。走馬灯のように母とか父とか祖母のこととか思い出すのかと思ったけれど、なにも浮かばずに、ただ部屋のドアが開くのをじっと見つめていた。ドアが開いた。男性のスタッフに促されて、「あいつ」が入ってきて、目の前で、腰をおろした。



久しぶりですね、お元気でしたか? と男から話しかけてきた。スタッフの男性は「では10分ぐらいしたら戻って来ます」と言ってドアを閉めた。男はソファーに深く腰をおろして、まっすぐに僕を見た。裁判所でも何度か目にした顔。13年前とほとんど変わっていない顔。

僕は無言でうなずいた。

それは良かったです。今年の夏も暑いですね。過去最高を更新したとか。どんどん地球は暑くなっていきますね。温暖化どころか熱帯化している。だいたい、人が多すぎるんですよ。人が多いのに、地球温暖化防止でプラスチックの使用を禁止するとか、建前もいいところじゃないですか? S高に行っていたら、それぐらいわかりますよね?

僕は黙ったまま男の眼を見ていた。怒りも悲しみもない瞳。13年前と同じだった。

いいんです。世間なんかどうでも。ほとんどの人はなにも考えてなくて、流されて生きてるんですから。プラスチックが悪ければ悪いと言い、ガソリン車が悪ければ悪いと言い、飛行機に乗るなと言えば多少は遠慮する。そういうものです。でも人を減らしたほうがいい、なんていう意見はだれも言わない。なぜだかわかりますか? 最初のひとりになりたくないからですよ。だれも最初のひとりになんかなりたくない。できるだけ長く生きていたいんです。自分だけはね。仏陀が聞いてあきれますよ。生に執着するなとあれほど言っていたのに。だれもその教えなんか聞いちゃいない。

「だから母を殺したのか?」と僕は話を遮った。

とんでもない。妹はたんなる私の逆恨みです。私にないものをすべてあの子がもっていた。私は同情され憐れみられていた。憎かったんです。あの子の存在が。同じ遺伝子をもっているのに、あの子は幸せで、私は不幸で、あの子には家族があって、私は孤独で。私はずっと孤独だったんです。いつも比較されて生きてきた。金もない、家族もない、仕事もない、将来もない。ゴミのような人生です。ゴミはゴミらしく消えれば良かったって? とんでもない。ゴミにだってプライドはある。最初のひとりになんか絶対になりたくない。絶対にね。

男が一息ついて、窓の外を見た。窓から差し込む光は、部屋全体をまぶしく照らしていた。僕も一瞬だけ外を見た。男はすっと両手を伸ばして僕の首を絞めた。ソファーに押しつけられた。男が馬乗りになる。呼吸が停止する。眼球が熱くなる。轟音がする。頭のなかの何千、何万という血管が暴発して千切れていくような痛みが走った。

汚れた遺伝子は残らないほうがいいんです、と男が言った。

僕はむちゃくちゃに拳をつきだした。男の顔とか頭とか胴体に何発も当たった。でも男はひるむことなく両手に力をこめていった。

あのとき殺せばよかった、と男が言った。

遠くで火災報知器が鳴って、僕は意識を消失した。




『昨日、アメリカでテロがありました。

お母さんはちょうどテレビを見ていて、とても驚きました。こんな表現はよくないけど、まるで映画のワンシーンのようで、最初は信じられなかった。

2番目の飛行機がビルにぶつかって、怖くてテレビを消しました。次から次へとぶっかってくると思ったの。

今日も朝から、ずっとテレビで流れています。

もしかしたら、あなたは、大変な時代に生まれるのかもしれない。でも、大変じゃない時代はないのかもしれないね。

きっとこれからも、予想もできないような、たくさんのことが起こるんだろうな。そういうときに、あなたに、なにを伝えればいいのかなと考えても、考えれば考えるほど、難しいね。

お父さんとお母さんは、あなたに会えることを、とても楽しみにしています。

注射を打ったので、そろそろ陣痛がはじまるかもしれません。

お母さんよりも、長生きしてね。

人生をたくさん味わってね。



この世界が、生きるに値する世界でありますように。



真冬



3月の下旬になって、やっと山道からも雪が消える。日陰にはまだ固まりが残っているけど、暖かな陽射しは徐々にそれらも溶かしていくだろう。木々の間から見える青空は、遠くまで晴れ渡っている。ヘビはまだ冬眠中だから、遭遇する危険もない。

「もうすぐ頂上だから」と僕はサクライさんに言った。彼女は息を切らして、一歩一歩、ゆっくり登っている。ダウンジャケットは早々に脱いで、両手に抱えていた。

「想像したより、急なんだね」

「子供の頃からのぼってるから、もう慣れたけどね」

5歳のときに置き去りにされた山。あの頃からずいぶん変わった。中腹に巨大なソーラーパネルが設置された。東京ドーム何個分とかそういう規模。イケガミの父が開発に関係したらしい(相当甘い汁を吸ったとかなんとか)。登山道も舗装されて、誰が利用するのかわからないけど、清潔な公衆トイレまで完備された。ふもとから頂上まで歩いて1時間。

「たぶんそのあたりで、おしっこ漏らした」と僕は小さなお地蔵さんを指差した。

「夜だったら、お化け屋敷だよ」

「いま考えると、ほとんど歩いてないんだよね。父さんも適当なところに車を停めて、ずっと見張ってたんだと思う」

どうしてあんな行為をしたのか、父に問いただしたことはなかった。理由なんて色々見つけられるけど、きっとどれも正解ではないのだろう。

急に視界が開けて、水平線が見えた。海からの冷たい風が吹き抜けていく。太陽の熱い光がジリジリと肌を焼く。片手で日除けをつくる。頂上も整備されて、だだっ広い草地になっていた。端まで歩いた。下の方に生まれ育った町が見える。その向こう、山々を超えた先が、サクライさんの港町。それは母の町でもあった。右手に広がる海は、どこまでもキラキラと反射してまぶしかった。

「きれい」と言ったきり、彼女はなにもしゃべらなかった。

4月から僕は東京の大学で、彼女はアメリカの語学学校の予定だった。でもロックダウンが始まって、延期すると彼女は言った。僕の入学式も未定だった。急にこんなことってあるんだね、とふたりとも現実感がなかった。ここは田舎だから感染者はいなかった。でも恐ろしい予感だけはあった。まるで世界大戦の前みたいな雰囲気。いずれにせよ僕は引っ越しを決めていたので、彼女にはしばらく会えない。

「今さらだけど」と僕は言った。「あの時、ありがとう。サクライが火災報知器を鳴らさなかったら、危なかったかもしれない」

彼女は遠くにある海を見つめたまま笑った。「ほんとは、あなたがなにかやらかしそうだから、ついていったんだけどね」


あの日、無理矢理くっついてきた彼女を待合室に残して、僕はひとりで隔離病棟に向かった。私物はすべて預ける決まりだったけど、スマホだけは通話中にしたままポケットに忍ばせておいた。それが彼女との約束だった。

火災報知器が鳴った後、男はすっと僕から離れた。何事もなかったように、元いた場所に座った。呼吸が急に開放されて、僕は激しく咳き込んだ。職員が戻ってきて、「たぶん誤報だから心配ないです。時々あるので」と言った。そのまま僕は退出した。男が背後から、また邪魔された、とつぶやいた。また、という単語が引っかかったけど、僕は振り返らなかった。

ふたりで乗った帰りの電車は、僕はひとこともしゃべらなかった。S駅に到着して、「じゃあ」とだけ言った。西日のオレンジ色の光が、バス停の影を長くしていた。彼女は口を動かしたけど、言葉にならず、手を握ってきた。めずらしく泣きそうな顔をしていた。

バスを待っていると、父からメッセージがあった。「いまどこだ?」「S駅。これからバスに乗る」と返すと、着信があった。「おれも駅前にいるから、乗せてく」「体調は大丈夫なん?」「たまには」

車内は熱気がこもっていて、エアコンが効くまで窓を開けて走った。ひぐらしの鳴く声があちこちから聞こえる。峠までつづく坂道をひたすらのぼる。登坂車線でほかの車に先をゆずっていた。父はもう飛ばしたりはしなかった。

「母さんて、どんな人だったの」と僕は聞いた。ずっと聞きたかったけど、今になった。

「母さんは、」の後が続かなかった。父はしばらく黙ってから、言った。「生きる希望だったな」

その夜、小さなノートを渡してくれた。母の日記だった。「これしかない」とか「これだけだ」とか言った気がするけど、ほとんど聞き取れなかった。



いろんなことを考えてきた。それこそ5歳のときから。でも、わかったことなんてほとんどない。理解したと思っても、それは一部だったり、まったく正反対だったり、単なる誤解だったり、ほんとうに理解できることなんて、ないのかもしれない。

もし母が死ななかったら、父は長生きしたのだろうか? もしあの男が病気にならなかったら、母は死ななかったのだろうか? もし母と父が文化祭で出会わなければ? もし祖父があの町に移住しなければ? もし曽祖父が戦争に行かなかければ? もっと前に、もっとずっと前に。

なにもわからなかった。なぜ僕がここにいるのか。どうして一人きりなのか。世界が僕になにを求めているのか、ぜんぜんわからなかった。あの男が言ったように、悪い血筋なら耐えたほうがいいのかもしれない、とさえ考えた。


サクライさんは、なにも言わずにただ聞いてくれた。

ここはとても静かだった。僕ら以外は誰もいなかった。ただの地元の山。観光地でもなんでもない場所。海が見えて、山が見えて、僕らの育った町が見える。何百年前も、なん千年前も、きっと同じように海と山が見えたのだ。

風が強くなってきて、僕らは互いに上着をはおった。太陽がさっきよりも水平線に近かった。そろそろ下山しよう、と提案した。雲もたちこめていた。

「最後に、せっかくだから、ここからなにか叫んでみたら」と僕は言った。彼女も笑ってうなずいてから、遠くにある海を見つめた。大きく息を吸い込む。ヤッホー、と言うのかと思ったら、違った。

「ヒロセー!」と彼女は力いっぱい大声で叫んだ。


「ずっと、ずっと、いっしょに、いようねー!」


僕は恥ずかしくて笑ったけれど、すぐに泣きそうになった。

彼女は満足したような顔で、僕を見た。「今だから言うとね、実は、もっとずっと昔に、あなたを助けたことがある」

「キックボクシングの、ジムのころ?」

「もっと前」

わからなくて考えていると、彼女は言った。

「あの日、あなたを助けたくて、駐車場で大声で叫んだの」




僕の話はここで終わる。

たんなる作り話だと思った人は、きっと幸せな人生をおくっていると思うので、笑って忘れてほしい。

ちょっとは感じるところがあった人は、僕に近いのかもしれない。未来は誰にもわからないので、今日をなんとかやり過ごして、少しでも良くなればいいよね。そんな望みを、かすかでもいいからもてたらいいなと、僕は自分に言い聞かせています。

いずれにせよ、最後まで読んでくれてありがとう。心から感謝します。

神様がいるのかいないのか、いまだによくわからないけど、今、この瞬間まで生きられて、これを書けたことは良かったです。

彼女とは、今でもたまにやりとりしています。






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