4.もしnoteがあと100回しか書けないとしたら


逆説的かもしれないけれど、あと100回しか書けないと決めてから、書くのが楽しくなってきた。楽しいというか、肩の力が抜けたというか。

文体とか内容とか、相変わらず試行錯誤しているけれど、どんな内容であったとしても、あと100回なのだ。

自分的にうまくかけたとしても、そうじゃないとしても、よく使われる言葉でいえば「泣いても笑っても」あと100回だ。

ゴールを決めたらあとは楽なのかもしれない。

ゴールがない状態で、永遠に書いてもいいよ、と言われても先が見えないので「まあ、書かなくてもいいか」となる。今日書かなくても明日は来るし誰も困らない。

でも、本当にいつまでも明日は来るのだろうか?

大学時代の教授の言葉なんてまったく忘れてしまったけれど、唯一、今でもたまに思い出すのが、次のセリフだ。


「我慢するのはよそう。同じような明日が来ると思っているかもしれないけれど、そんなことはないよ。今日、今、やらなかったら僕らは一生なにもできない。だから僕はいつも焦っている」


18歳の世間知らずの田舎者の若造だった僕にも、その先生の言葉は、心の深いところに刺さった。

当時45歳ぐらいだったはずの、大学の教授ですら、焦っていたのだ。焦って日々何かを生み出していたのだ。

他の先生たちのセリフはまったく覚えていないけれど、この先生のセリフだけは、僕はPCのメモ帳に書き写して、今でも大事に持っている。(原文はちょっと違うけれど、機会があれば載せたいです)

残念ながら、先生は病気で他界されたそうで、もういらっしゃらないけれど、でもきっと間際まで何かを作っていたに違いない。

僕はいろんな人の年齢に近づいてきた。残念だけれど、満足のいくような何かを作り出せたとは言い難い。焦りもあるし、でもその焦りも、年齢を重ねれば簡単に諦めに置き換わる。視力や時間や体力を言い訳にして、諦めることなんて今すぐにできるのだろう。

でもだからこそ、あと100回だけは、こうして文章にして残そうと思う。そうしたい本当の理由は、いまはまだよくわからないけれど、とりあえずのゴールとして、区切りとして、人と同じようにnoteの更新にも寿命を決めました。

最後までお付き合いいただけるととても嬉しいです。




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忘れられない先生

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