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【小説】「どうして小説を書くのか?あるいは米軍と戦って最後にハチ公にタッチしたら勝ち」


シェイクスピアならハムレットが大好きだ。

主人公が逡巡するのも好きだし、最後に**するオチもすばらしい。怒涛のラスト。初めて読んだときは鼻血が出るくらい興奮した。たしかに救いのない悲劇。でも悲劇がどうしてこんなに興奮するのだろう。単純に暗い話を書けばいいのではないらしい。

ああ、わたかった。「人生とは演劇のようなものだ。各々が舞台にあがって、泣いてわめいて去っていくだけだ」と言ったシェイクスピアの名言(ゲーテだったらごめんなさい)を体現しているのかもしれない。人はいずれ死ぬ。それまでに何をしたかだ。最後にみんないなくなるのは既定路線だ。それまでに何を言って、どう終わったかだ。


日本の将来について明るい話題を聞かなくなって久しい。失われた10年が20年になり30年になってやっと気がついた。これは失われたんじゃない、そもそも最初からなかったのだ、と。最初から存在しなかった「希望」を夢見ていただけで、そんなものは90年代初頭のバブルの崩壊からなかったのだ。砂上の楼閣、蜃気楼のオアシス、ジャパンの経済成長率。失われたと思うから被害者意識が前面に出て暗くなる。失われたんじゃない、最初からなかったのだ。チルチルミチルの青い鳥。追っかけてもしょうがない。

でも明日のパンが買えない。

ではどうするか? 日本円が紙くずなら、米ドルを直接手に入れればいい。外貨獲得。ではどうするか? Googleがテストプレイヤーを募集している。新しいゲーム。優勝すれば賞金1万ドル。しつこいが「1万ドル」だ。本日のドル円レートは知らないけれど、日本円換算で*百万円だ。自宅にいてゲームをするだけで(勝たないと意味がないけれど)*百万円ももらえるなら夢みたいな話だ。久々に明るい話題。おれはやる。勝って1万ドルを手に入れて当面のパンの費用に充当する。


5人1組で参加するバトルロワイヤルらしいので、同じように無職かニートで暇そうにしている中学時代の同級生に声をかける。みんなもう3*歳。危険な年齢。

「Googleのテストプレイヤーやらない? バトルフィールドとか荒野行動のパクリみたいなゲーム」

ブルー、レッド、パープル、ブラック、グリーン。おれたちのログインネーム。さすがに本名で登録するわけにはいかないので、色で識別することにした。

グリーンはおれで、ブルーはクラス委員長だった伊藤(現在無職)で、レッドは喧嘩だけが取り柄だった田中(現在無職)で、パープルは父親の影響でディープ・パープルが大好きだった陰キャの野中(現在無職)で、ブラックは、ブラックだけはなんと働いていて、公務員かなにかで高給取りらしいけれど参加してくれることになった。

「独立記念日の3日間でしょ? だったやる。ちょうど有休あまってるし」

こうして仮面ライダーブラックが大好きだった桜井が加わって、おれたちはGoogleの新しいゲームに参加する。



7月3日 初戦 「日本」VS「コスタリカ」


トーナメント初戦の相手はコスタリカだった。

なんとなく中米にある国ということは知っているけれど(アフリカだったらごめんなさい)、そして犯罪多発地帯で銃の扱いに慣れているのかもしれないけれど、事前に調べたりはしない。なぜなら戦うのはゲームの世界のゲームの都市。普段から長時間におよんでバトルフィールドをプレイしているおれたち(無職だから当然のように時間はありあまるほど、湯水の如く無尽蔵に費やすことができた)の前では、赤子同然だった。

戦闘の舞台は世界10都市からランダムで選ばれる。初戦はインドのニューデリーだった。コンノートプレイス。真ん中にある石碑に最後にタッチしたほうが勝ち。

相手が操作に慣れるために、その場で飛んだり跳ねたりしている最中に(たしかに操作性が独特で慣れが必要だった)、おれたちは散開戦術で四方八方から乱れ撃って開始7分で勝利した。制限時間が60分のうちの7分だ。

「こんな楽勝ならずっと無職でいいわ」とパープルがグループチャットに書き込む。

「いやまだ初戦だし」とブルー。冷静沈着なのは相変わらず。

「おれひとりでやったようなもんじゃん」とレッド。たしかに開始早々に猪突猛進して敵陣に突入して、ほとんどひとりで倒してくれた。ゲームのなかでも喧嘩っ早い。

「道順とかわかってたの?」とブラック。

「もちろん知らん。海外に行ったことないし」



7月3日 2回戦 「日本」VS「スロバキア」


舞台はイギリスのロンドン。時計台のなかにある「なんとかの像」に最後にタッチしたほうが勝ち。スロバキアはヨーロッパの国だから地理は向こうのほうが詳しい。おれたちはブラック以外はイギリスに行ったことはない。

「通りは避けて、裏路地から攻めよう」

ブラックの先導で縦隊で進む。角をいくつか曲がって、公園を通過し、古い石造りの建物に侵入する。これが時計台らしい。ただの教会にみえる。中に入ってしまえば室内戦なんてどこも同じ。先に陣取ったほうが圧倒的に有利。

スロバキアの5人のうち最後の1人がけっきょく姿を見せてくれず、制限時間いっぱいまでかかったけれどおれたちの勝利。本日はここまで。明日11時から準々決勝。(Google本社のあるLA時間で19時スタート)

「相手はイギリスだな」とブルー。トーナメントの結果も全部出そろった。

「日本と同じで無職のゲーマーが多いからやっかいだ」とパープルが弱気になる。「あいつらクスリやりながらでも正確に撃ってくる」

「戦闘の場所次第だと思う」とおれは書き込む。「ヨーロッパなら向こうが有利だし、アジアならおれたちが有利だ」

「ヨーロッパならだいたい行ってるから先導する」とブラック。「とりあえず10都市のグーグルマップは眺めておいてね」

もちろん、誰も予習なんてしない。酒飲んで寝る。


寝たと思ったら着信で起こされる。ブルーからだ。「ごめん寝てた?」「今何時?」「すまんすまん、広瀬には、言っとこうとおもって」「なに?」「ブラックには気をつけろ」「は?」「あいつは裏切るかもしれない」何を言ってるのかわからず電話は切れる。おれが切ったのかもしれない。翌朝に履歴を見たら着信が3時12分。夢ではない。




7月4日 準々決勝 「日本」VS「イギリス」


開始の直前に聴いたことのないファンファーレが鳴る。画面上に「シークレットモード」の表示。背景が真っ白になる。真っ白な空間に、おれたち5人が突っ立っている。バグか?

「なんだこれ?」とレッド。

「どうやら、11番目の都市らしい。いや、都市というか」とブルー。

「南極大陸だね、ここ」とブラック。

遮るものの何もない雪原。地平線の彼方が空と同化している。ゲームだから寒さは感じないけれど、手抜きのようなマップ構成。遠くに黒いペンギンが見えると思ったら英軍だった。

「迷彩をホワイトに切り替えろ。背景が真っ白で、距離がつかめない。全員、匍匐前進」とパープルがめずらしく指示を出す。でもその指示のおかげで、敵の一斉射撃を間一髪で避けることができる。距離が近すぎる。さすがのレッドも頭を上げることができない。「ファイア!」とブルーが怒鳴る。おれも「ファイア!」と応戦する。ちなみにゲーム中はチャットに書き込む余裕はないので、音声通話だ。回線が重くなるけれど非常事態なので致し方ない。

「リロード!」とブラックが叫ぶ。弾切れに気が付かないほどの緊張感。慌ててリロードする。残弾がみるみる減っていく。ファイア! リロード! ファイア! リロード! 

「チキンレースだ!」とブルー。回線が重くて最初の「チキン」が聞き取れない。でも言わんとすることはよくわかった。最悪の我慢くらべ。そこにブリザードが襲来する。猛吹雪。視界ゼロ。現在地感覚もゼロ。まったく身動きがとれない。

ブリザードが去って(おそらく実時間で3分ほど)、ただの真っ白な雪原に戻ると、英軍は一人残らず殲滅されていた。倒された5人の兵士の真ん中で、レッドが笑顔で立っていた。ナイフをくるくると回している。

「あいつは、キチ**だね」とブラックが笑った。音が途切れても意味はわかった。



7月4日 準決勝 「日本」VS「シンガポール」


ベスト4進出は、日本、シンガポール、アメリカ、韓国だった。どれも強豪国。(つまり無職のゲーマーが多い)

開始時刻の12時30分の10分前にはログインしておく。万が一、メンバー5人全員が揃わなかったら不戦敗になるからだ。そしてその万が一がシンガポール側で発生する。12時30分に警告画面が表示される。「あと5分以内にログインできない場合は日本の【不戦勝】になります」

どうやらメンバーの一人に回線不具合が発生したらしい。カウントダウンが始まる。5,4,3,2,1。時間は無情だ。誰にも止められない。

「余裕だな」とレッド。

「てか、おれたちも回線ちゃんと確認しておいた方がいいね」とブルー。さすがは腐ってもクラス委員長。「ルーター再起動とか、万が一のためにも、今のうちにやっておこう」

「そういえば、グリーンの回線、重くない?」とパープルがおれに注文を入れる。たしかに音声通話がほとんど聞き取れない。

「ケーブルテレビだから不安定なんだよね。明日はネットカフェに行く」と返信する。

「どこの?」とブラック。

「吉祥寺の」とおれは老舗のネットカフェを伝える。

「じゃあ、わたしも合流する」

こうしておれとブラックは11時に吉祥寺駅で待ち合わせする。決勝戦が始まる1時間前。ブルーから電話で聞いた「ブラックに気をつけろ」の台詞が頭をよぎる。物理的に会うのはたぶん3年ぶり。彼女の結婚式以来。



7月5日 決勝 「日本」VS「アメリカ」 ゲーム開始の1時間20分前


井の頭線のエスカレーターを下りたところに20分前に着いたら、すでにブラックが立っていた。身体にフィットした茶色のワンピース。合コンにでも行くような格好。男性陣がチラチラと視線を送っている。

おれに気が付いて手をふってきた。「緊張してほとんど眠れなかった」と目を真っ赤にしている。「アメリカは強い。ほんとに強い。たぶん負ける」

そこから先はブラックの独壇場だった。ほとんど独り言。人が行き交うJRの切符売り場の前で、猛烈な速さでしゃべった。

「やつらは絶対に最後まで目的地に近づかない。周囲に隠れて、獲物が近づくのをじっと待つ。一人、また一人と順番に倒していく。制限時間の59分になってはじめて姿を見せる。でもその姿を見たものはいない。なぜなら、59分になるまでに、対戦相手は全員やられるから。目的地まであと一歩のところで折り重なって倒れる対戦相手。ほくそえむ米軍。もうすでに全試合の動画が上がってる。全部見た。少なくとも10回以上。圧倒的な強さ。たぶんわたしたちも負ける」

ここまで目をキラキラさせながら一気にまくしたててきた。顔は可愛いのに昔から対戦ゲームに関しては誰よりも強くてマニアックで尋常ならざる集中力を発揮して、要するにあれだ。尊敬に値するあれ。

おれは笑いながら言った。「とりあえず、どっかでお茶しない? ここだと人が多すぎる」


ネットカフェの近くにある「くぐつ草」(地下にある洞窟みたいな喫茶店で電波が悪いけど雰囲気はいい)に入って、おれはコーヒーとサンドイッチを注文し、彼女はオレンジジュースを注文した。顔をパタパタと手で仰いでいる。まだ午前中だけど外気温はすでに30度を超えていた。今日も猛暑日だ。

すぐに彼女は「どうせ負けるなら、アメリカの味方をしない?」と提案してきた。相変わらず話が早い。いつも生き急いでいる。

要するに仲間を裏切れということらしい。「準優勝でも千ドルもらえるし、アメリカの味方をすれば、見返りに賞金の半分がもらえる。全部で6千ドル。悪くはないでしょ?」

たしかに悪くはない。悪くはないけれど、「アメリカが賞金の半分をくれるっていうのは、どういうこと? 向こうのが損じゃない? てか、誰と交渉してるの?」と率直に疑問をぶつける。

「旦那がGoogleで働いてて、向こうと繋がってる」とまた率直に返ってくる。話が早い。昨年転職したらしい。相変わらず優秀な人だ。


Googleとしてはアメリカに勝ってほしい。勝ってこのゲームを北米で盛大に売り出したい。だからGoogleは米軍に情報提供している。だから強い。

「さすがにゲームのリアルタイムのログを提供することはしない。それは違法だし犯罪だし公になったらゲームを売り出すどころじゃない。でも、もう周知の事実だけれど、まだベータ版だから不具合がある。具体的にいうと、対戦相手の音声通話を傍受することができる。もちろん、みんなやってる。うちらは面倒だからやってないけどね。でもGoogleはリアルタイムで英語に翻訳して、米軍にわたしてる。どこを守って、どこを攻めるか、ぜんぶ筒抜け」

ここで店員がサンドイッチと飲み物を運んでくる。木製のテーブルが狭くて、おれはメニューを店員に戻す。ちなみにメニューも木製で分厚い。ホテルの引き出しにある聖書みたい。

ブラックはストローの袋をもどかしそうに破いて、コップに突き刺してズルズルと半分ぐらい一気に飲み干す。音を立てて飲むのが彼女のクセだ。暑かったし喋りっぱなしだから喉も乾く。

「つまり」とおれは話をまとめる。「おれたちが負けそうだから米軍の味方をしたほうがいい、ってこと? それとも、勝ち負け関係なく、旦那の味方をしたい?」

「勝てるなら勝ちたい」とブラックは間髪入れずに答える。「旦那は別居中だから関係ない」

「なら、勝っちゃおうよ」とおれはブラックを見つめる。正面から目を合わせると、やっぱり今でもドキドキする。

「どうやって? たとえ音声を切っても、向かうのが強いよ?」と不安そうな顔をする。

おれにいい考えがある

 


7月5日 決勝 「日本」VS「アメリカ」 ゲーム開始の5分前


ログインすると、すでにブルーもレッドもパープルも、みんなロビーで待機していた。全員集合。「おせえよ」とレッドの苛立つ声。「不倫でもしてたか」

「その冗談、最悪なんだけど」とブラックのドン引きする声。

「とりあえず本日の作戦は」とパープルが仕切る。「みんながんばれ」

「なんだそのいい加減な指示」とブルーが笑う。

おれも笑いながら「負けても千ドルだ。でもどうせなら、1万ドル狙ってこうぜ!」と威勢良く声をかけた。


運命の舞台が決定される。「やった!」と思わず全員が叫ぶ。画面に映し出されるスクランブル交差点、Qフロントのビル、そして、目的地のハチ公。

「もらった! 渋谷なら目をつぶっても走れる!」とレッドは開始直後にダッシュする。

日本軍は道玄坂の頂上からスタート。おそらく米軍は、ハチ公を挟んだ対角線上の青山学院大学だ。

レッドの思考なら、真っ先にハチ公前の車両(東横線の古い客車が展示してある)を占拠するだろう。そこなら死角になるし、ハチ公に群がる敵を狙い撃てる。

「ガード下は任せろ!」とおれが続く。米軍がハチ公に向かうには、JRのガード下をくぐる必要がある。そこを抑えれば勝機がある。レッドに遅れて数メートル後ろを走る。

続けてブルーとパープルとブラック。全員でハチ公を真っ先に占拠して、敵をおびき寄せる作戦。あうんの呼吸。米軍が今までやってきたことを、おれたちがお返しする番だ。

直後、眼前のレッドが消える。「撃たれた!」と叫び声。胴体が転がっていく。スクランブル交差点まであと一歩の距離。発射音と着弾音が同時。至近距離。おれもとっさにスライディングする。弾が当たらないように姿勢を低くして、遮蔽物を探す。

ブルーが背後で「カバリングファイアー!」と叫ぶ。Qフロントに向かって一斉掃射。2階のスターバックスから撃たれていた。パープルとブラックも応戦。敵が止む。その隙におれはレッドの腕をつかむ。腹と脚から出血。そのまま引っ張って街路樹の影に退避。すぐに止血。腹がひどい。これだとゲーム終了までもたない。


援護射撃を切り上げたブルーが、街路樹の後ろに滑り込んでくる。「なんでもうQフロントを占拠できんだよ! ありえねーだろ! クソが! クソッタレ!」と普段は聞けないブルーの罵詈雑言。

「なんか、このゲームって、米軍有利になってない?」とパープルが核心をつく。

「もしかしたら、ステルス迷彩とか着てるのかも」とブラック。そんな新アイテムは聞いたことがない。

「スタートと同時にダッシュして、なんで、勝てねえんだよ」とレッドが悔しそうにつぶやく。止まらない出血。

「ウサイン・ボルトか参戦してんのかな?」とおれ。みんな無視。

パープルが仕切り直す。「しょうがない。Qフロントが抑えられたら、正面からハチ公には行けない。とりあえず裏にまわろう」

おれとブルーは、レッドを担いで、ロクシタンの裏にあるパチンコ屋に入る。過去の動画を見る限り、米軍は目的地より奥に深追いはしない。致し方ないけれど、レッドは動けないからここに放置する。スロットの台と台の間に寝かせる。「番長やっててもいいよ」とおれが軽口を叩く。「できるか」とレッド。

まずはQフロントの沈黙が最優先だ。ブルーとパープルはマークシティの2階に上がって、対面から狙撃することにした。おれとブラックはTOHOシネマズの裏口から入り、地下道を伝って内部に侵入する。

おそらく米軍の配置は、Qフロントに2名、そして今ごろはあの(レッドが占拠を試みた)車両にも2名、遊撃で1名が交番のあたり、といったところだろう。悔しいけれど主導権は完全に向こうだ。


「井の頭線、改札、通過」とパープルから音声が入る。

「今のところは」とブルーが言った直後に爆発音がハウリング。悲鳴。

「ブルー?」と呼びかけるも応答なし。

おれとブラックは反射的にTOHOシネマズの壁に背中をつける。銃を構えて周囲を警戒する。もちろん、ここに敵はいない。爆発は音声の向こう側だ。でも、万が一、おれたちの作戦が敵に筒抜けだったとしたら。何が起ってもおかしくない。


雑音に混じってパープルの声がとどく。(ブルーがやられた)(離脱する)

直後にブルーの音声も入る。「わりい。やられた」と情けない声。「対人地雷。柱の陰にあった。用心深く進んだつもりだったのに。向こうのが上手だわ。渋谷駅も熟知してる。もうちょっと粘れると思ったのに。なんかうまくいかないな。おれの人生のピークはやっぱり中学時代なんかな」

ここで地図上のブルーのマークが消える。ライフポイントが0になって強制的にログアウトされた。


この時点で、レッドがやられて、ブルーがやられて、5対3。確実に不利。

パープルは井の頭線の改札まで戻り、ホームの中央にある階段を上ってマークシティの3階まで退避した。そこから地上に出て、「最後の手段を使う」とつぶやいた。「渋谷で戦うなら、いつかやろうと思ってた作戦」

「なに?」とおれは小声で応答する。

スクランブルスクエアの屋上からダイブする



7月5日 決勝 「日本」VS「アメリカ」 ゲーム終了まであと15分


最後に映画館でみたのは、TENETだったか、007のノータイムトゥダイだったか。

どちらも巨額の予算を費やした超大作。ストーリーのなかで主人公は窮地におちいる。何度も。それが醍醐味でもある。でも、現実世界では何度も困難にぶつかると、「あきらめ」という簡単な選択肢に飛びついてしまう。無理する必要なんかない。イヤなら逃げればいい。

「逃げた先に、なにがあると思う?」

ブラックがおれの両腕のなかでつぶやく。おれは彼女を抱きしめたまま動かない。

もちろんゲームのなかだ。TOHOシネマズのスクリーン1の中央のシート。照明は消えている。スクリーンは真っ白なままで、なんの物語も映し出していない。敵が急襲してくる可能性は限りなく0に近いけれど0ではない。

おれが正面を警戒し、ブラックがおれの膝の上で、背後を警戒している。昔もよくこうして抱き合っていた。最後はどれぐらい前だろう。結婚式の夜だったかもしれない。

逃げた先にあるのはたぶん絶望。と思ったけれど、違う。おれは音声でブラックに伝える。

「絶望、って簡単に言うけど、でも最近思うんだよね。絶望って、要するに、なにもない状態でしょ? なにもないってことは、それってある意味、希望なんじゃないかなって」

彼女は無音のままだ。

「パンドラの箱と同じだよ。絶望の果てにある希望。みんな、小さな希望にしがみついて、身動きがとれなくなってる。それさえ捨てて、ほんとうの絶望になってしまえば、自由になれる」

「小さな希望を守るのが人生だからね」と耳元で鳴る。

「ブラックの希望は、なに?」

しばらく間があってから、「あなたとの関係性かな」と答えた。「正直に言って、深い会話なら、あなたが一番合う。周りでこんなに話せる人はいない。ずっと話してたいなって思う」

おれは先走って、思わず言ってしまう。

「池上と別れて、おれと、やりなおさない?」

イヤホンにノイズが走り、パープルの声が届く。「屋上に出た。予定どおり、59分45秒に飛び降りる。援護よろしく!」


パープルの作戦はこうだ。

ゲーム終了の15秒前にスクランブルスクエアの屋上(地上200メートル)からパラシュートで飛び降りる。おそらく自由落下の加速が足りず、パラシュートの減速効果は不完全だ。でもハチ公にタッチさえできればいい。ハチ公にタッチして直後に地面に叩きつけられても、その瞬間にゲーム終了になればおれたちの勝利。机上の空論? やってみないとわからない。オセロと同じで、絶望の裏は、希望なのだ。

時計をみたら、あと5分後だった。おれはブラックを膝からおろす。「いちゃついてる場合じゃない」

ブラックは007のパクリだと笑う。ふたりで階段を降りて地下道(しぶちか)に向かう。パープルの作戦決行と同時に、おれたちも撃って出るのだ。ハチ公の前へ。ラスト15秒で、敵の注意をぜんぶおれたちに向ける。少しでもパープルが成功するように。

でも地下道を歩きながら、やっぱりブラックがおれたちを裏切る。

「やっぱりアメリカにつかない? パープルの作戦、無謀だよ」と6千ドルが手に入る方を勧めてくる。

「今さらなに?」と、おれはあからさまにイラつく。さっきの質問(よりを戻そう)に対する返事のようにも感じた。

「今さらではないし、わたしはいつも、確実な方を選択してきた」

ブラックが立ち止まっておれを見る。ゲームのなかのキャラクターに感情はない。でもあるように見える。そこにブラックがいる。

「日雇いのおれよりも、高級取りの旦那か。愛がなくても」

「愛じゃパンは買えない」と冷静な声。

お金がない、とヒステリーに泣いていたブラックを思い出す。ああ、思い出したくはなかった。金の切れ目が縁の切れ目。

ブラックはおれに銃口を向けて、迷いなく引鉄をひいた。



7月5日 決勝 「日本」VS「アメリカ」 ゲーム終了まであと60秒


ハチ公前に立っていた米軍兵士は、ブラックの旦那───池上だった。

中学時代の同級生。あいつは親の転勤で3年間だけS市にいた。米国生まれの二重国籍。いつも勝てなかった。勉強もスポーツも、図工も音楽も、最後は初恋のブラックも奪われた。

「相変わらず、決断が遅いね」と彼は機械的な笑みをみせる。階段を上がってきたブラックに近寄る。「でも結果オーライかな。広瀬も驚いてた。あいつはいつも間抜けだ。歳とっても変わらないね。ヘンタイでスケベで単純でどうしようもない」

ハチ公前の貨車から米兵2名も出てくる。2名はブラックに銃口を向ける。ゲーム終了まで決して油断しないのが彼らの強さだ。

あと15秒。

「そろそろ降ってくるかな」と空を見上げる。

その瞬間、ブラックが銃を乱射する。全員が一瞬だけ空を見上げた、その隙に。米兵2名が倒れる。池上はとっさにハチ公に隠れて応戦する。ブラックは小さく叫んで倒れる。

あと10秒。

パープルが落下してくる。ハチ公から大きく外れて、スクランブル交差点に流れる。流れながら、ハチ公前の池上を狙撃する。1発、2発、3発目で綺麗なヘッドショット。Qフロントの2階から一斉掃射。パープルの命綱のパラシュートが千切れる。自由落下。ハチ公からはるか遠くへ。もう間に合わない。

あと5秒。

おれが飛び出す。ハチ公に向かって全力で走る。死んだと見せかけて、階段の陰にずっと隠れていたのだ。この瞬間を待っていた。最後の最後にハチ公にタッチした方が勝ち。

これが「おれの作戦」だった。

死んだと思わせて生きている。ブラックがおれたちを裏切ったと思わせて、裏切っていない。ゾンビ作戦。逆ハムレット作戦

おれが最後の希望だった。

あと3秒。

猛ダッシュ。ほんとうは100メートル20秒超えの鈍足だけど、ゲームなら速い。脇目もふらずにただハチ公めがけて走る。一直線に。

あと2秒。

Qフロントの米兵がおれを狙う。

あと1秒。

上半身がゆっくりと倒れていく。ハチ公の足元へ。あと少し。ほんとうにあと少し。倒れながら指を伸ばす。でもハチ公まであと指1本分が足りない。「うおおおおお」おれは雄たけびをあげる。上半身と、腕と、手と、指先を、精一杯伸ばす。でも届かない。でも届かなかった。

ゲーム終了。




7月5日 決勝 「日本」VS「アメリカ」 ゲーム終了


ネットカフェの個室のドアがノックされる。目を真っ赤にしたブラックが立っていた。「お腹すいちゃった」

きっとおれの目も赤い。イスから立ち上がると視界が歪んだ。60分間ずっと緊張していたから、貧血みたいな立ちくらみ。

廊下に出てブラックに向きなおる。思わず彼女の両手を握って、大声で叫んでしまった。

「やったね!」

モニターには「優勝チーム【日本】」の文字が大きく点滅して、花火が上がっていた。



7月5日 李朝園 日本優勝の2時間後


好きなもの食べていいよって言ったら、本当に特上カルビばっかり注文するから、すでに会計が1万円を超えていた。でも大丈夫。今日のドル円レートは知らないけれど、*百万円あるからそう簡単にはなくならない。

「冷麺食べない? ここの名物」とおれが言うと「食べる!」とブラックは目を輝かせて即答する。食べても太らない体質は変わらないらしい。

「今日のMVPはやっぱりレッドだね」とブラックがオレンジジュースをズルズルと飲みながら言う。

「いや、おれじゃない? あの作戦考えたし」と対抗する。無視してブラックは続ける。

「最後の最後に、レッドがタッチするなんて、さすがに米軍も気がつかなかったね。裏の裏から、モヤイ像からずっと匍匐前進してたって、すごくない?」

おれはため息をついた。「いや、あの作戦も、おれのだし。重傷に見せかけて死んだと思わせてから、死角から匍匐前進しろって言ったの。チャットで」

音声通話は全部米軍に漏れる。それを利用してうそばっかり言う。そしてほんとうに言いたいことは全部文字のチャットで連携する。互いに信頼してるからこそ成り立つ作戦。

おれの生存も、ブラックの裏切りも、パープルの落下傘も、全員がブラフ(騙し)だった。

ほんとうにハチ公を狙っていたのは、レッドだけ。

序盤で撃たれて(実際に撃たれた)、そこから55分間、じっと息をひそめていたのだ。さっき動画を見たけれど、レッドは最後の最後にハチ公にタッチする瞬間まで、まったくどこにも映っていなかった。完璧。

決勝戦のダイジェストがすでにYouTubeに上がっていた。公開1時間で再生数は百万オーバー。最後の最後の大逆転に、世界中が興奮していた。


〆の冷麺を食べながら、ブラックがボソッとつぶやく。「あれって、やっぱり、うそだったの?」

「あれって?」

「やりなおそうってやつ」

TOHOシネマズのシートで、「池上と別れて、おれとやりなおさない?」と言った直後に、チャットで『うそだよ』と追記していた。

おれは箸を置いてから、ブラックを見つめた。「どっちだと思う?」

「それって、ズルくない?」

「ズルくなくなくない」

「どっちだよ」とブラックが笑った。それから、「そうそう、賞金の全額、あたしがもらったから」と、さらっと怖いことを言う。

「は?」顔面から血の気が失せる。視界が歪む。

「最初のエントリー画面で、メールアドレス、あたしの登録したから」

記憶をたどっても思い出せない。「うそでしょ?」「うそじゃないし、賞金の連絡来てないでしょ?」「そういえばきてない」「そういうこと」

ブラックは「ご馳走様でした」と立ち上がり、座敷を下りて、ヒールを履く。

「いやいやいや」とおれは背後から慌てふためく。

ブラックは振り返って笑顔で言った。「あぶく銭なんかあてにしないで、そろそろ就職したら?」

絶望の裏の、その裏は、なんなのか。

すぐに事務局に問い合わせたけど、すでに時間外だった。(いやそんなはずはない)と大会ルールと規約を読んだけれど、よくわからなかった。

悶々としながら帰宅して枕を濡らしていると、着信があった。知らない番号。普段なら無視するけど賞金の連絡かと思ってすぐに出た。「広瀬?」と男の声。「池上だけど。いきなり悪い。美沙が」



桜井美沙がどこに行ったのだろうと今でも考える。おれの1万ドルと自分の1万ドルの合計2万もあれば、海外でもどこでも行ける。でも行ってどうする? 全部を捨ててなにをする? 現地で仕事を見つける? 生活していく? あまりにも非現実的だ。でも、あれ以来、美沙からの連絡は誰も受けていない。電話もLINEもSMSも通じない。


あとで知ったけれど、おれは美沙のことはなにも知らなかった。彼女は別居じゃなくてちゃんと同居していた。夫婦仲も悪くはなかった。就職はしていなかった。(ずっと専業主婦だった。当人は仕事をしていると言い張っていたけど。旦那が稼いでるから別にいいのに)

どうして細かいウソをついていたのか。理由はわからない。ついてもつかなくても、おれはなにも変わらなかったのに。


「あいかわらずウソばっかり書いてるね笑」

おれの記事にコメントがつく。すぐに本人のページに飛ぶ。アイコンはデフォルト。記事はひとつもない。でも、誰なのかすぐにわかった。作者にメッセージを書く。

「久しぶりです。コメントありがとう。相変わらずウソばっかり書いています。就職はしました。あんなに嫌がっていた昼間の仕事についています。ちょっとは大人になったかな。あなたは元気ですか。みんな心配しています。レッドもパープルもブルーも。池上も。でも、正直なところ、元気でいてくれればそれでいいです。気が向いたらまた連絡ください。もしつらい状況なら、近くても遠くても、迎えに行きます。」

何度も見返してから、削除した。言いたいことは、伝えたかったことは、こんなことじゃなかった。


「どこにいるの? ずっと心配してた。今度こそちゃんと迎えに行く」


もちろん返信はない。後日に投稿者のアカウントは削除されている。でも、おれはそれでもよかった。

ここにウソばっかり書いていれば、いつか気が付いて連絡をくれるかもしれない。それがおれの始まりだし、小説を書く理由のひとつだった。

グーグルマップでロンドンを探す。ストリートビューで時計台に入る。そこに彼女がいる。顔はモザイクだけど、着ている服でわかる。あの日、彼女が着ていた服と同じだ。身体にフィットした茶色のワンピース。隣に男がいる。知らない男。知っていてもどっちでもよかった。彼女が元気そうなら、おれはそれで満足だ。




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