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【日記】「本心の塊があるとして、僕らはその一部分しか他人に見せていないよね」


僕らが孤独を感じるときって、誰かと分かち合えないときじゃないですか?

考えだったり、気持ちだったり、悩みだったり。

なんとなく、ここまでは他人に話ししてもOKかな?という線引ってみんなあると思うんですよ。ここまでは話しても引かれないだろう、とか、ここまでなら理解してくれるだろう、とか、ここまでなら「一般的な人間として言及してもOKだろう」とか。空気を乱さないだろう、っていう。

意識的にせよ、無意識的にせよ、僕らはある一定の枠の中でしか、話してない。もちろん、それが良いとか悪いとかではなく。

いきなり、込み入った人生の複雑な悩みとか(たとえば一般的にはよろしくないと思われるような悩みとか)は、距離が近ければ近いほど話しにくかったりする。みんなでわいわいガヤガヤ仲良くやってる時に、いきなり深刻な会話は難しい。

教室の後ろでみんなで楽しく会話してる時に、「じつは、幽霊が見えるんだよね、、」みたいに急に言われても、「えっ!?」て、みんなシーンてなるじゃないですか。幽霊は例えですけど。

ちなみに幽霊系の話は昔大好きだったんだけど、近くに見える人がいて、実際の話し聞くとシャレにならないので、最近は遠ざかっています。


深刻な話とか、真剣な話とか、重ければ重いほど、おいそれと口にできない。だから言い訳かもだけど、物語のかたちをとって、表出させようとするのかもしれない。お釈迦様も、たとえ話(物語)を駆使しますよね。おとぎ話もそうなんだろうな。

インターネットができたとき、僕らは孤独から救われると思ったけれど、表面的な会話や楽しい会話ならいくらでもできるけれど、深い深い場所まで潜る必要のある会話は、難しいのかもしれない。(難しいとか言って、僕が逃げてるだけかもしれない)

ある程度の体裁を整えて、他者に通じるように言語化する必要があるし。

そういうの(言語化)を全部とっぱらって、うんうん、そうやなあ、と空気で会話するのって、やっぱり実際に人に会って、空間を共有しないと難しいのかもしれないね。

で、なにが言いたいのか?



そう、これ。

で、なにが言いたいの? っていうツッコミが自分に入るので、僕は石ころのように口をつぐむのかもしれない。

疫病で人に会えない時間が長くなってきたけれど、さすがにそろそろ、人と面と向かって会って、空気を通して、空間で会話したい。

僕は教室の後ろで、真剣な話をするのが好きだった。なにを言っても受け入れてもらえる、なにを言ってもいい、理解されなくても聞いてもらえる。そういう場所があるといいな。




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