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「オーダー車だから良く走る自転車とは限らないんだよ。」というお話(47)

前回の公開から少々期間が空いてしまいました。

ようやくポタリングが心地よい気候になりましたが、近年はそういう時期がとても短いので、多少、noteの更新は遅らせても良いから自転車を楽しみたいな、と思ってしまい…。

また、10月はヒロセの走行会のあった月。自転車に乗っていると、走行会が行われる地までの往復車中で廣瀬さんと交わした様々な話題を思い出し、あれもこれも記しておきたくなり、ついつい文章が長くなってしまって…。

さておき、今回も前回に続き、「オーナーさんの個性が具現化したヒロセ車」を、オーナーさんとセットで、具体的にご紹介して行きたいと思います。



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設計にまつわること 33 「オーナーさんという最重要パーツについて その10 オーナーさんの個性が具現化したヒロセ車 - B」


今回ご紹介するのはMT氏とA氏。

お二人に共通するのは、積極的にご自身のオーダー車の設計に関わってらっしゃったところ。

採用して欲しい工作や事柄を、絵や図面を描かれるなどして、具体的に、廣瀬さんに提案されていたのです。提案はキャリア等の造形の場合もあれば、自転車のジオメトリに及ぶこともありました。

ここが、例えば前回ご紹介したM氏などとは異なるところです。

M氏と廣瀬さんとの関係性は、M氏が「F1ドライバー」で、廣瀬さんが「車体のデザイナー兼メカニック兼トレーナー」といった感じでした。

今回ご紹介するお二人と廣瀬さんとの関係性は、同じデザイナーチームの一員といったところでしょうか。

お二人とも「オーナーさんへの理解から入り、その個人にとって最高の一台を、毎回、白紙の状態から構築していく廣瀬さんの設計思想、哲学」に心酔され、しだいに自らも設計に関わり、ご自身オリジナルのアイデアをも盛り込みたいと思われるようになっていかれた…。

もっとも、車体に乗るのは発注者であるご本人なわけですから、「副デザイナー兼F1ドライバー」とも言えるかもしれませんね。

お二人ともに、「ならでは」のユニークな車体、工作を実現されていましたが、決してご自身のアイデアを他のお客さんに自慢したり、押し付けるような真似はされませんでした。
お二人とも、ひたすら純粋に、「廣瀬さんとの、自分の為だけの自転車作り」を楽しまれていたよう、私の目には映っていました。

「他の人の評価など、どうでも良い。敬愛する廣瀬さんと二人三脚で、自分自身が心底満足出来る自転車を実現させたい。」

ですから、ヒロセの他のお客さんたちは、お二人の自転車に施された工作が、オーナーさんご自身のアイデアや発想から実現されたものであることをご存知無い方が多かったように思いますし、その工作の意図や意味も伝わってはいなかったように思われます。
ネット越しに、車体の画像のみをご覧頂いている方々と同様に…。


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3 「MT氏の場合」

MT氏はヒロセのお客さんの中でも、自転車の「乗り味」に関し、特に旺盛な探究心をお持ちの方だったように思います。

常に「この車体の乗り心地をより良くするには、どこをどう弄ったら良いだろう?」と頭を使われ、前後のタイヤの重さや空気圧を変えてみたり、パーツを変えてみたりして、日々研究、実験を繰り返されていた方…。

そして、日々の探究と実験の中から新たな仮説が生まれ、手持ちの自転車にその仮説を反映することが不可能だった場合、反映可能な新たなオーダー車をヒロセで作り、自らの考察の妥当性を確認されていた…。
つまり、MT氏にとって、ヒロセでのオーダーとは、自らの自転車理論の具現化だったのでは無いか…。そして、それこそが氏の一番の趣味だったのでは無いか…。

私個人はそのようにMT氏のことを拝見していました。

MT氏に関して、私が廣瀬さんから最初に伺ったエピソードは以下のようなものでした。

「MTさんは、エルスやサンジェといったフランス製の高級ランドナーや、イタリアの有名工房のロードといった高級車を乗り継いで来たんだけど、ヒロセを知ってからは、それらを全て売り払い、以降はもっぱらオーダー車をヒロセで注文されるようになった人なんだよ。なんでも冷やかし半分で乗ったヒロセ車が、これまで自らが乗ってきた高級車に比べ、あまりに良く走るのに吃驚しての行動だったらしいよ。」

試乗だけで無く、廣瀬さんとの度重なる対話を通し、ご自身が過去乗り継がれてきた来た高級車たちが何故「良く走らなかったか」について、廣瀬さんの分析を聞き、それを理解、納得されて、ヒロセの常連さんになっていかれたようです(高級車たちが「良く走らなかった」その理由に関しては、この連載の最初の方で、あれやこれや具体的に記させて頂いていますので、興味ある方は過去記事をお読み頂ければと存じます)。

前回ご紹介したK氏もM氏も「乗り味」に関して非常に「舌の肥えた」方々でいらっしゃいましたが、具体的な自転車の設計はもっぱら廣瀬さんに委ねておられました。
しかし、乗るだけで無く、「パーツ変更等の自転車いじり」をも趣味にされていたMT氏は、廣瀬さんとの付き合いを通し、しだいに自らも設計に関与されるようになっていかれたようです。

MT氏は前回のお二人に比べれば、アスリート的ではありませんでした。
レースやブルベといった大会とは無縁な方。日々のポタリングと、たまに自転車での気ままな個人旅行を楽しまれる方でした。

氏の自転車探求のテーマは「より速く」では無く、「より楽しく」「より快適に」だったように思います。

それ故に、アスリートタイプとはかけ離れ、なおかつ「楽をすること」ばかりに頭を使いたがる「へたれポタリスト」な私にとって、MT氏のオーダー車、MT氏と廣瀬さんの会話、オーダー光景等は、K氏やM氏のそれと比べても、とても勉強、参考になるものでした。


例えば、この連載でも何回か登場した下の画像のミニベロ。

これはMT氏のオーダー車です。

部材選択と設計上、どうしても前周りが硬くなりがちで、また、走りがせせこましく、忙(せわ)しなくなりがちなミニベロ車の弱点を、MT氏と廣瀬さんが、興味深い視点からの柔軟な設計により回避した一台になっています。

なお、この一台についての詳しい考察は、以下の過去回で行っていますので、宜しければご覧ください。

第29回では、細いフォークブレードの採用意図や効果について記しました。

第28回では、ホイール直径の異なるオーダー車三台のジオメトリの比較をしていますが、これは廣瀬さんのホイールベース設計に対する考え方をお伝えする為でした。そして、この三台はいずれもMT氏のオーダー車

MT氏の自転車は、ハンドルとサドルとBBで作る三角形の形と大きさが、おおよそ、決まっており、故に異なるホイール径のヒロセ車を比較するのにもってこいだったのですね。

MT氏に限らず、ヒロセの常連さんはポジションが決まっている人が少なくありませんでした。自分にとって最適なポジションがしっかり出ている方が多かった印象があります。


複数台自転車を所有する理由

MT氏は何台ものヒロセ車を所有されていました。私が存じ上げているだけで700Cが二台、26X1.5が一台、他にミニベロ、買い物車の計六台。

「一人で何台も自転車持ってるの? そんなに持っててどうするの? 一度に乗れるのは一台だし、究極の一台があれば良いじゃ無い?」と思われる読者も、中にはいらっしゃるかもしれません。

しかし、TPOで自転車を履き替えたい人というのは存在するのですね。そして、そこにはそれなりの合理性もあったりします。

芝のグランド用サッカーシューズを履いて体育館でフットサルをするのは滑って危ないですし、床も傷つきます。そしてフットサル用の靴にも床用と人工芝用があったりします。

行く場所や、気候や、移動する距離にあった自転車を履きたい。
さらには、その日の気分や、入る店や、行事によって靴を変えるように、自転車を履き変えたい…。
かくして、下駄箱内や玄関に並ぶ靴たちのように、いつしか自転車が何台も溜まっていってしまった方もいらっしゃるのでは無いでしょうか?

MT氏にはオーダー車ごとに、それぞれ大まかに走りたい道や、行いたい旅といったテーマがあったよう、私は拝見していました。

上のミニベロで言えば、
ホイール径が小さきから、坂や信号が多い道での漕ぎ出しが楽。
ホイールベースが長いから直進安定性もキープ可能。
両ホイールの上には大きなスペースがあるから荷物も沢山つめる…。

つまり平地や下りでやたらめったら飛ばしたりせず、のんびり景色を楽しみながらする旅行にはもってこいの「履き物」です。

2015年の走行会にて、分割式ワイヤーをつなげ、出発前の準備をしているMT氏
ヒロセのワイヤー分割工作。ワイヤーや台座が漕ぐ脚に干渉しないよう、斜めに設置されているのもポイント。

さらに言えば、「乗り味」に五月蝿い、グルメなMT氏は、「ホイール直径毎に異なる自転車の『乗り味』」、それ、そのものを楽しまれていたのかもしれないね、と私は勝手に邪推しています。
「風景や道草を楽しむためばかりに自転車に乗るのでは無い。自転車に乗ること自体がすでに快楽なのである。」と。

そして、自転車毎に与えてくれる快楽が異なるからこそ、複数の自転車を所有し、その日の気分で、様々な自転車を楽しんでおられたのでは無いか…。


以下、「自転車毎の『乗り味』の違いと快楽」について、少し考察してみたいと思います。自転車を複数台所有している私の自己弁護も兼ねて…。


快楽装置としての自転車

廣瀬さんの言葉に「その人にぴったり合った良い自転車っていうのは、しばらく乗っていないとまた乗りたくて仕方がなくなる自転車だと思う。」というものがあります。

この言葉の中には「自転車に乗ること、それそのものが快楽である」という意味が内包されているよう、私は感じます。自転車は単なる移動や運搬の為の道具では無く、依存性のある快楽装置でもあると。

使用する食器によって食べ物の味が変わるという現象があります。
ガラスのコップで飲む。紙コップで飲む。缶から飲む。同じ飲み物でも味が異なって感じることがあります。
お箸の素材が木なのか鉄なのかプラスチックなのか。それによってもお料理の味は変わる…。
食事は人類にとって大きな快楽ですから、それに関する道具の探求心はすさまじいものがありますよね。

MT氏の場合、この料理(道)はどういう食器(自転車)で頂くのが美味しいのだろう?。それをTPOで決められているような感じだったように思います。
同じ道でも乗る自転車を変えれば別の「乗り味」がする。この道はどの自転車でいただくと「美味しい」だろう? と。

さらには「その日得たい『乗り味』を提供してくれそうな自転車と道を探す」という思考の順番もあったかもしれません。
その日得たい快楽がまず頭にあり、それを最も提供してくれそうな自転車を選び、さらに、それにぴったりの道を探すという順番です。

ホイール径によって巡航スピードを変わります。平地ではミニベロより、700Cの方が平均速度は高くなりがち。スピードが違えば、皮膚や体毛に当たる風の強さ、つまりは体表への刺激が変わります。
また、ジオメトリやホイールの径や空気圧やハンドルの材質の違い等によっても、手のひら、お尻、足裏に伝わってくる振動の強度やリズムは違います。
フレームやホイールの剛性感によって、こちらの入力に対する車体の反応も異なる。つまりその車体の征服感が異なります。
頭と地面との距離よっても視聴覚への刺激や平衡感覚は変化します。

道も舗装路か砂利道か砂地か、上りか下りか、直進が多いかカーブが多いかなんかで、振動や平衡感覚など、様々な刺激、脳への入力が異なります。さらに、そこに天気というパラメーターも加わる…。

自転車ごとに、走る道ごとに、得られる快楽(快感、苦痛、刺激)が異なるので自転車を複数台所有したくなるのかも(苦痛というのもまた、快楽の一つです。苦痛によっても脳内麻薬は分泌されますからね。近頃よく聞く、「サウナでととのう」という現象は正にそれでしょう。心臓に負担をかけますし、依存に繋がりかねませんから、心臓も意思も弱い私はやりませんが)。

もう少し単純化して言えば、自転車好きには「自転車欲」というものがあるのかもしれませんね。「食欲」と同じ「欲」。

自転車ごとに、満たされる「欲」の大きさや質が違う。
その日の気分、体調等によって、自転車で満たしたい「欲」が異なる。

だから、例えば、しばらく海外で過ごすと、無性に和食が欲しくなるように、お食後に甘いものを欲するように、一定期間700Cにばかり乗っていると、無性にミニベロに乗りたい気持ちになったり…。

そう言えば、MT氏にはこんなエピソードもありました。

ある日、MT氏、ネットオークションにて格安で落としたという、およそ20年程前のものと思われるリジッドのアルミ製マウンテンバイクに手持ちのパーツを組みつけた一台で来店されたのです。

「あのグルメなMT氏が何故やたら硬いフレーム、やたらクイックそうなジオメトリの自転車に?」と、訝しく思ったのですが、「人間、毎日フルコースのフレンチやお寿司ばかりでも飽きてしまう。カップラーメンや、ファーストフードを無性に欲っしてしまう時もあるか…。それに、極端に異なる『乗り味』の自転車に乗る事で自分の自転車を見直すことにもなるか…。」と考え直し、一人勝手に納得した次第。

MT氏にとって、自転車は快楽装置だったのでは無いか。私は勝手にそう邪推しています。

自転車に乗ることは、美味しい(時にはゲテモノの)食事を頂いたり、気持ちが静まる、あるいはアガる音楽を聴いたりするのと同様、一つの快楽であり、それにより、数時間、あるいは数日、生きる為の糧を得ていた… のでは無いだろうか、と。

「美味しい道」を「口当たりの良い自転車」でいただく満足感。それを堪能することが明日へのエネルギーとなっていたのではないか、と。

おっと! ふと気が付けば、すっかりMT氏の実像とは乖離し、単なる私個人の「妄想」を書き連ねてしまっていますね…。MT氏にかこつけて私自身の快楽感について記してしまっている…。
MT氏にとってはご迷惑でしょうし、これ以上私の変態チックな思考がバレるのも恥ずかしいので、「自転車=快楽装置」についてはこの辺にさせて頂き、MT氏のオーダー車に話を戻します。



廉価パーツ上等の合理性

MT氏は、自転車への探求心が旺盛だっただけでなく、同時に、徹底的に「(自らの価値観における)合理性」にこだわる方でもありました。
そして、それは、MT氏がオーダーされるヒロセ車の工作やパーツに明確に現れています。

例えば「フレームに余計な火を入れるワイヤー内蔵工作はしない」。これはオーダーにおけるMT氏の信条の一つでした。

確かに、トップチューブに、小さなアウター受けを二箇所ロウ付けするより、ワイヤー内蔵工作の方がパイプに入る火の絶対量は明確に多いですから、作り手に技量が無いと、パイプが歪みます。さらに、無理矢理それを真っ直ぐになおせば応力が残ってしまい、自転車の芯が出にくくなってしまう…。

たとえ、作り手に技量があり、パイプに歪みや応力が残らなくても、ヒロセ式の内蔵の場合、内側にガイド用の細いパイプが内蔵され、その出入り口はしっかりとロウで埋められますから車体重量はかさみます。

展示会用作られた内蔵工作見本
ヒロセ式内蔵工作のワイヤー出入り口

さらに工作の単価も高価ですから、氏の「ワイヤーの内蔵はしない」という選択理由はじゅうぶん頷けるものだね、と私は思います(せっかくですから、ヒロセのワイヤー内蔵工作作業を記録した動画を下に載せておきます)。


MT氏は、工作についてだけでなく、変速機などのパーツについても合理的な選択を実践されていました。

「使って良ければ、たとえ安いもの、グレードが低いものでも全く問題無い。」

つまり、MT氏は「走りには何ら関係の無く、その意匠のみでホリゾンタルなフレームに固執したり、ちっとも変速性能が良く無い、古い、特定の年代に製作された特定の国のパーツに、そのデザインが好きだから、或いは、それを採用するとお仲間に評価されるから、という理由だけで採用するビンテージマニア」とは対極にいらっしゃるような方でした。

下は、MT氏のヒロセにおける最後のオーダー車となった一台の画像です。

トップチューブの地上高がかなり低く、なおかつホリゾンタルな一台。
タイヤのサイズは26x1.5。

ワイヤー内蔵工作は「無し」ですが、ケーブルの取り回しとトップチューブのガイドの位置にはこだわりが伺えます。

細いシートステイに火を入れざるをえず、値段も高いダイナモ工作は採用せず、後ろは市販の安いリフレクター。フロントキャリアにバッテリーライトの台座を設置して法律要件をクリア。

リフレクターだけで無く、ケーブルアジャスターやアウター受けやステム等も、この一台においては、他の常連オーナーさんたちに人気のヒロセ製では無く市販品を選択されています。
それも、TNIのハンドルやTIOGAのシート等、多くが廉価な品々です。

変速機も当時シマノの上から6番目のグレード(最も低いグレード)だったClaris。
このグレードでさえ、MT氏がスポーツ車に乗り始めたころの海外有名メーカー(ユーレーやサンプレ等)の最高級グレードの変速機と比べ、変則性能は遜色が無く、変速段数は多く、メンテナンス性にも優れているから、とのことのよう。

かといってMT氏が、いわゆる「ケチ」かと言えばそうではありません。

「乗り味」の根幹で後から変えが効かないと思われるような部分に関しては、たとえどれだけ工作の値段が高くても採用を厭わない…。

例えば、オーダー車ほぼ全て、なんと買い物用にまで、高価だが、ヒロセではもっとも評価の高い、古いコロンバス社製のパイプを選択されていたようです。

また、安上がりにしたいだけなら、デカールやヘッドバッジを無くせば値段は下げられますが、この自転車のデカールは4箇所。ヘッドバッジもボンドでは無く、ネジで固定する特注品。

「単に安く上げるということを主張している一台では無いんだぞ!」というMT氏の主張が伝わって来るようです。

「トップチューブの地上高が低い」というのが、この一台のジオメトリにおける最も大きなテーマだったようです。

還暦が見えてきたMT氏が、もっともっとお歳を重ねた後も、ツーリングを楽しむことを見据えてのものだと思われます。
低いトップチューブは、体の柔軟性が落ちきても跨ぎやすいでしょうし、道端にとめた車体のトップチューブに横から腰掛けるのも楽で良さそうです。

と同時に、廣瀬さんの体調も鑑みると、この一台がヒロセで最後のオーダーであろうから、ヒロセでのオーダーの集大成として作られたのでは無いか? 
自転車においてご自身が何を大切に思い、何を切り捨てるか…。つまりMT氏自らの自転車哲学を表現した一台として作られたよう、私個人はお見受けしました。

MT氏、このヒロセで最後のオーダー車の一年程前、同じようなコンセプトの注文をヒロセでされていました。それがママチャリの改造です。


MT氏のママチャリ

上はMT氏のヒロセ製買い物用車、つまりはママチャリの写真です。何年製かは伺っていませんが、少なくとも私がヒロセに出入りするようになった2010年よりは前の製作です。

高いトップチューブ高の乗り降りが億劫になってきたMT氏、フレームの大胆な改造を決意されます。トップチューブの付け替えです。

合わせて、フレーム以外の工作もいくつか実施。
下が改造後の写真です。

フレーム以外の改造ポイントは以下の通り。

前周りの「乗り味」の改善を狙い、フロントキャリアの脚のデザインを変更。
位置がずれてしまいがちだったスタンドの対策として、フレームにまわり止めの付いたスタンド用台座を設置。
コンポ、泥除け、前カゴ等のパーツ変更などなど。

新たに設けられたまわり止め付きスタンド用台座

詳しくは、トップチューブを切断する場面から完成までを追った下記のシリーズ動画でご紹介していますので、宜しければご覧下さい。


MT氏、なぜママチャリをここまでお金をかけて改造したのでしょう?

一つは、ママチャリが、とても便利だったからでしょう。

ご自身が歳をとり本格的に足上げが辛くなる前に、廣瀬さんが仕事ができなくなってしまう前に、便利なママチャリを高齢者対応にしたかった。

「だったらママチャリをオーダーすれば?」とも思うのですが、MT氏、改造前のこの一台のフォークとフレームに使ってるパイプの反応、つまり「乗り味」が、とてもお好きだったのかもしれません。

シールが無いので確認できませんが、おそらく、世にも珍しいコロンバスパイプを使ったママチャリのように思われます。

値段さえ度外視すれば、良いパイプはどんなモデルに使っても良いものですからね。

以前詳しく記しましたが、昔のコロンバスパイプは路面追従性が非常に高い。振動吸収性が良く、なおかつ漕ぐ力が逃げない。ラグも昔のチネリ製で、パイプの性能がきちんと発揮される仕様です。

ママチャリはいろんな段差に突っ込みますし、積載する荷物の重量だって上下がある。また混んだ狭い道を走らなければならないこともあるから反応が良い方が安全…。

MT氏としては、「(自身にとっては)世界一のママチャリ」という自負があり、それ故の改造だったのかもしれませんね…。
私も廣瀬さんに教わり、ママチャリ的な日用車を自分の手で作らせて頂きましたが、それを「(自分にとって)世界一の日用車」だと思っていますから。

筆者の自作日用車



自己表現としてのオーダー

「MT氏のオーダーヒロセ車」は、「MT氏の自転車探求の過程で浮かび上がった理論、哲学の具現化」と私は捉えています。つまり、作られたオーダー車たちはMT氏の自己表現である、と言っても良いかもしれません。

下の画像は、MT氏の2016年製作スポルティーフ。

ユニークなサドルバッグアダプターに目が行きがちですが、この一台のキモはステムだったように私は記憶しています。

ある時、MT氏は、このデザインのステムを採用してみたいと思い付いた…。どうしてもそれを自分用のサイズで試してみたかった…。

この700Cは、その発想から具現化された一台だったように記憶しています。

もっとも、廣瀬さんとこのデザインのステムの図を描いては、ああでも無い、こうでも無いと検討されていたことは覚えているのですが、残念ながら細かな内容は失念してしまいましたので、生憎このステムの意味、狙いまではここに記せませんが…。


オリジナルのバッグアダプターシステム

MT氏自ら発想したステムの具現化のためにオーダーされたと思われる上記の一台において、ステムより目を惹くのが大型バッグ用の「MT氏オリジナル・アダプターシステム」です。

これは、このスポルティーフオーダーにおける、ステムとはまた別の、MT氏の第二の狙い、発想、実験だったように思われます。

MT氏の素敵なところは、たとえご自身の発想、選択であっても、実際に体験し、良く無いと思われた工作やモノには固執されないところ。
実際に試した結果、狙い通りの効果が得られないと感じたら、それを潔く認められていたところ。
つまり、ご自身をきちんと客観視できる方だったのですね。
イマイチだった工作や部品は二度と採用されず、良かった工作やモノは繰り返し、採用されていた…。

もしこのスポルティーフのステムの塩梅がすこぶるよろしければ、おそらく、所有している他の自転車用にも作られたのではないでしょうか? 
しかし、このステムが採用されることは無かったように記憶しています。
一方、このバッグアダプターシステムはその後も大活躍することになります。

このシステム、全部が全部MT氏の発想では無いようです。
MT氏がこのシステムを最初にオーダーした時、廣瀬さんへの説明のために持ち込まれたのが下の画像にある海外のHPをプリントアウトした紙でした。

詳しいことは存じ上げませんが、どうやらプリントされているのは「NITTO N05 CAR R-50 サドルバッググリップ」という商品の画像のようです。
ようは、ホイールのクイックレリーズ機構を活用し、バッグを素早く、簡単に着脱する為のシステム。

MT氏、これにインスパイアさえ、より使いやすく発展改良させたものを廣瀬さんと作りたく、紙でアイデアを持ち込まれたのです。

お二人のアイデア、工作が結実した姿が下の写真。

ステンレス製のシャフトには革紐用のループが設けられています
サドルに固定するアダプター側にはバッグのループを巻き付ける為の出っ張りも


アダプターを含む、この一台の制作過程を追った動画は下の通りです。


MT氏、このシステムをたいそう気に入られたようで、上記で紹介したミニベロでも使えるよう、このシステムのキャリアとアダプターを後から追加発注されています。

その製作過程を記録した動画が以下の一本です。


そして最後のオーダー車となった26x1.5車にもこのシステムを採用されました。

こちらは、MT氏が26x1.5車の製作に向けて描かれた前後キャリアと前後アダプターのイメージ図。書き込まれた数値や文字のいくつかは廣瀬さんによるものです。

ヒロセのカレンダーの裏に描かれているので、おそらくMT氏がお店で絵を描かれ、それをもとにお二人の間でブレーンストーミングが行われた時のものと思われます。

ここで皆様にお伝えしたいのは、お二人の設計の「煮詰め方」です。

廣瀬さん、お客さんが図を描いて持ち込みさえすれば、その通り作って下さるという訳ではありませんでした。

まずはMT氏がアイデアを説明する。描いた図を持ち込むなどして。

それを見て、廣瀬さんがつっこみを入れる。
「このままでは、この部分の強度が足りないじゃないか!」
「ここの出っ張りが昇降時、体に当たるから不快じゃ無いか!」などなど。

それに対応し、またMT氏が打ち返す。
「じゃあ、ここをこう変えたらどう?」

このようにして、この手のオリジナルのパーツは煮詰められていました。

廣瀬さん、ジオメトリがきっちり書き込まれた図面を持ち込まれ、1ミリ違わず、この通り作って欲しいという方の希望を受け入れ、そのまま製作されることもありました。
それがそのお客さんの強い希望であり、強度や安全面で特に問題が無い場合においては。

しかし、以前も記しましたが、私はそういうお客さんの姿勢を「なんだかちょっともったいないね」と、醒めた目で、はたから眺めていました。

そこにオーダー側の大きな自己満足はあるでしょう。自分の脳内最高自転車が高い技術力で具現化されるわけですから。
しかし、そこには廣瀬さんが人生を通して探究してきた自転車の知見が全く反映され無い…。だから、もったいないね、と。

図面通りに作る作業は、それはそれでチャレンジではあるのでしょうが、それを製作中の廣瀬さんの表情はどこか寂しげでした。
それを見て、私は「一方通行のオーダーというのは、きっと心の内では、物足りなかったり、つまらなかったりするんだろうな。」と感じた次第。

MT氏は、こういう一方通行の発注はされませんでした。

ご自身のアイデアが、廣瀬さんの知識と組み合わさることで、より、優れたものに変わると知ってらっしゃったから。
意見を戦わせることが勉強になり、なおかつ、それが何よりも楽しいことであるとご存じだったから。

MT氏、時には、自分にはわからない、判断が付かない箇所はわざと空白地帯にしておき、廣瀬さんに考えてもらうというテクニックも使われていたかもしれません。

実際、廣瀬さんが独創性を発揮し、MT氏との打ち合わせにはなかった工夫を施されている例もありました。

そして、MT氏も、それを「俺の原案と違うじゃないか!」と立腹するのでは無く、喜んで許容されていたのでした。

上の図。「バッグ」の左側からエンドにかけて長い縦線が描かれていますが、これは輪行時の地面を表している線です。

この自転車は分割式泥除けを採用しています。

図では輪行時は外されているバッグが描かれてしまっているので、とてもわかりずらいのですが、「リアキャリアの後部とエンドが地面と接することで、タイヤと泥除けの後ろ半分を外した自転車が自立し、なおかつ、構造的に弱い『分割式泥除けとサドルについたアダプター部分』が地面と触れないようにする」という約束事を表した図なのだと思います。

完成したキャリアを見ると、地面と接する後ろの部分が当初の図面とは異なり、末広がりに広くなっています。輪行時、車体を立たせて置いた時、より安定するようにとの考えから実施された変更です。

かようにお二人は対話を通し、当初のアイデアをどんどん膨らませておられたのですね。これは一方通行の発注では起こり得ないことだと思います。


この一台の製作過程を追ったシリーズ動画もございますので、下にリンクを載せておきます。


変質する過程の物語

MT氏が、果たしてどれだけの数のオーダーを、いつ頃からヒロセでなされて来られたのか、私は存じ上げません。

私が知る「もっとも古いMT氏のヒロセ製車」は下の画像のロードスターです(はたして今もお持ちかどうかは存じ上げません)。

古いイギリス車のジオメトリや機構を忠実に再現された一台で、シートチューブの角度等がイタリアのロードやフランスのランドナーとは大きく異なります。当時こうした特異なジオメトリのオーダーを受け入れて下さる工房は珍しかったかもしれませんね。

この一台、当時でも、いわゆるビンテージ車というカテゴリーに当てはまる意匠では無いでしょうか?

MT氏、廣瀬さんに出会う前は、ある意味ビンテージ指向だったのかもしれません。フランスの老舗ランドナーやイタリアンロードをお持ちだった訳ですし。

しかし、廣瀬さんと出会い、自転車の価値は、ビンテージ的な意匠や、高額希少パーツの利用や、メーカーや工房の名前で決まるわけでは無いことを知った…。
そして、良く走る自転車には、きちんとした理屈と理論があることを学んでいかれた…。
廣瀬さんと対話を重ねる中、徐々に自らの自転車哲学を変質され、ビンテージ車に対する憧れや、雑誌に載っている「玄人さんたちの物理的視座を無視した文系的な価値観(つまりは単なるご自身の趣味嗜好の正当化)」に対する幻想が無くなっていき、次第に、ご自身の欲求、欲望を素直に反映させた、MT氏ならではのオーダーを実現されるようになっていかれた…。

MT氏のオーダー歴を俯瞰すると、音楽家や画家なんかの成長過程をうかがうような印象を受けます。
最初は模倣から学び、徐々に個性が発揮されるようになったアーティストの遍歴を拝見するような…。

MT氏は、同じデザイナーチームの一員として、オーダーにあたられていたよう、私は感じていました。
では廣瀬さんの方はどう考えてらっしゃったか? 
廣瀬さんの方から見れば、やはり先生と生徒的な立ち位置だったようにお見受けしました。

以前「廣瀬さんの言葉についての考え方」の回で記したように、廣瀬さん、相手の知識や理解度に応じて、自らの自転車理論や哲学を披露されるような一面がありました。

「自分ほど自転車について突き詰めて考えいる人間はいない」と自負するほど自転車について考えられていた廣瀬さん、相手の理解度に応じて考えるヒントや視座を小出しに提示するようにされていたのですね。

確かに、オーダー自体が初めての方に、やれ残留応力やら剛性バランスやらを伝えても、相手はちっともピンとこないことでしょう。
だからオーダー初心者に対し、廣瀬さん自らは、そういう視座があることを伝えない。

でも、ある程度「ヒロセのオーダー車に、考えながら乗るようになった人」で、「自転車という乗り物を理解したい」と欲する方に対しては、応力や剛性に関する自らの考え方を徐々に伝えられていた。
そのことで、そのオーナーさんが、その意味、大切さを頭と感覚、両方リンクさせて理解できるようになり、自分が製作した自転車へのフィードバックの質が向上し、また、そのオーナーさんによる新規オーダーの可能性が生まれ、その質も変わってくるかもしれないから、と。
オーナーさんと二人、もっと深い共作関係を構築できるようになるかもしれないから、と。

大学で、ゼミの指導者が学生のレベルを上げることで、その研究室の研究ががより濃く、かつ明るく楽しいものになっていく感じでしょうか…。

マスを相手にするメディアにおいては、年毎に内容を濃くしたり、深めていくことが難しいものです。どうしても初心者、新参者を切り捨てることが出来ないからです。
だから、同じテーマの特集を一定の期間を空けて、繰り返すことが多い。
不特定多数を相手にする以上、受け手のレベルに合わせたり、個々人に特化した細かな情報提供なんてものは不可能なんですね。
だから古参の人には「また去年と同じ話の繰り返しか…。違うのは広告と商品レビューだけだな。」とがっかりされてしまうことも。

しかし、「ヒロセの自転車学校」「教室」においては、個々人の意思、理解度によっては、オーダー毎に、どんどんオーナーの理解度が深まり、オーダー内容も濃くなりうる場所でした。

同じデザインチームの一員であれ、先生と生徒であれ、MT氏は、オーダーを繰り返す中で、廣瀬さんから様々なことを吸収され、自転車への理解を深め、ご自身の自転車感を変質されて行かれた…。
その時々のMT氏の自転車感は個々のオーダー車に反映されており、その移り変わりこそが、MT氏と廣瀬さん二人の物語なのかもしれないね、と私個人はとらえています。


*****


以上、MT氏のオーダーについてご紹介しました。

冒頭、MT氏のことを「ご自身にとって良く走る自転車、楽しい自転車とは何か? について日々探求されていた方」と書きました。そして、アスリート的では無い方だったことも記しました。

ロードレースやブルベを走る方が、「良い走りの自転車」を求める動機というのは分かり易いですよね。
芯が出ていなかったり、車体剛性が足りなくて、漕ぐ力が逃げてしまったらタイムロスになってしまいますし、パーツの組み合わせや安全設計が正しく無いと怪我をしかねない。

でも、一般の人が近所を散歩する為の自転車でも、それらは全く同じだと思うのですよね。漕ぐ力が逃げてはもったいないし、安全じゃなきゃ困る。

いや、非力な分、ホイールまわりに不必要な抵抗があったり、入力に対するロスがあちこちで生じてしまうような設計の自転車では、すぐに疲れが出てしまうでしょうし、そんな個体に乗っていたら、下手すると自転車そのものが嫌いになってしまうかもしれません。「快楽」を知る前に。

どんなレベルの人でも、その人にぴったりあった、「良く走る」自転車に乗るのが幸せ。
でも「その人にぴったりあった自転車」というのは言葉にするのは簡単ですが、実現するのはたいへん困難なこと。
優れた知見と技術と哲学を有する専門家の助けが欠かせないのと同時に、オーナー自身の研鑽も必要…。
私は、MT氏と廣瀬さんとの関係を拝見し、このことを学ばせて頂いたように感じています。

また、ヒロセというお店が、世界中のブルベに参加するようなアスリートの方や、ビンテージパーツの蘊蓄を語って悦にいるような「玄人さん」方ばかりが集うショップでは無いと理解させて下さった点でも、MT氏は、私にとって非常にありがたい存在でした。


次にご紹介するA氏も、最初はオーソドックスな、ビンテージとも言える自転車のオーダーから入り、二台目以降において、自らを表現した、個性的な自転車をオーダーされるようになった方です。



4 「A氏の場合」

MT氏のお歳は存じ上げないのですが、私より少し上だったように思います。
そして、MT氏がヒロセのお客さんとなったのは私より何年も前。十年以上前かもしれません。
さらに、スポーツ自転車に乗り始めたのは、その、もっともっと前。
つまり、あらゆる意味で、私からすれば、かなりの先輩だったのだと思います。

対して、A氏がヒロセのお客さんになったのは、私の少しだけ前。
年齢も私と同じくらい。
ですから、私は勝手に同期のような感じで接していました。
もっともスポーツ車の履歴は、私なんかよりはるかに豊富な方でしたが…。


A氏 1台目のオーダー車

下がA氏のヒロセでの最初のオーダー車。スポーツ車のオーダー自体、初めてだったそうです。

撮影はA氏ご本人によるもので、2010年の撮影です。

ケーブル内蔵、ダイナモシステム、オリジナルステムやオリジナルバッグアダプター採用など、注文工作の数自体は多いですが、ヒロセでは既に実績のある、お馴染みのものばかり。
つまり、A氏の趣味は反映されてはいても、その個性(本性?)はまだ発揮されていない一台でした。

A氏は、学生時代、スポーツ自転車でオーストラリアを走ったことのある、健脚のサイクリストでした。でも社会人になると仕事に追われ、サイクリングはすっかりご無沙汰。

ですから、この一台は、学生時代に憧れた意匠、パーツで作った、A氏にとっての「青春時代の思い出号」だったのかもしれません。

当時のA氏は、卒業して二十年程度は経っているでしょうから、「学生時分の憧れの具現化」をすれば、それはビンテージテイストになります。
ヒロセの暖簾を潜ったのは、そういう理由もあったのではないでしょうか。つまり、ビンテージ的工作が得意なビルダーさんを探す中、ヒロセに辿り着かれた。

ちなみに、こういう方向でのビンテージオーダー、私個人としてはとても共感出来る行動原理です。
若い頃憧れたけど、高くて買えなかった高級なアイテムを、大人になってから改めて試してみるという試み…。

大人になってから実物を手にすることで、昔は身近な先輩や憧れの人が使っているというだけで、深く考えず、ただただ盲信していた対象を、冷静に見つめることが出来ますし、同じ製品の最新版と比べることで、さまざまなことを理解、発見することもできる…。

当時から今までの間に、そのモノのどこがどう変化したか。その理由は何か、などなど。
自転車だけで無く、楽器や、オーディオや、カメラなんかでも、ほんの四半世紀前のモデルと今のモデルと比べるだけで色々な発見があります。

さらにもっと昔。およそ半世紀前、A氏や私が小学生だった頃に放送されていた空想科学ドラマのアイテムなんかと比べるのもまた一興だったり…。
例えば、ウルトラセブンでウルトラ警備隊の隊員たちが使っていた、相手の顔が映るビデオ通話装置。この「ビデオシーバー」以上の機能を、今のスマホは既に実現していますが、それが腕時計型になっていない点とか、なかなかに興味深いですよね。

A氏は、私同様、自分の最初のオーダー車の製作過程を、自ら写真で記録され、それをまとめたアルバム冊子を制作し、廣瀬さんにプレゼントされていました。

下の画像もA氏による撮影です。

A氏1台目のオーダー車 製作過程の記録

建築関係のお仕事をされているA氏、工学的なことに造形が深く、ご自宅では家具を自作されたり、電気製品をいじるなど、物作りや、そこにおける創意工夫に人一倍興味をお持ちの方でした。

私は、一度、現地集合のヒロセ走行会に参加するにあたり、いきすがらA氏の車に便乗させて頂いたことがあるのですが、そのバックシートは、ご自身の手で、トランポ用に、機能的な改造がなされていました。
そういうA氏だったからこその、最初のオーダーからの見学と撮影だったように思います。
そしてそれが「沼」への入り口でもあった…。


A氏 2台目、3台目のオーダー車

A氏は、製作過程撮影の為、何度も何度も工房を訪れ、その都度廣瀬さんと対話を重ね、ヒロセの自転車哲学、思想に対する理解を深めていかれました。

完成した「1台目のオーダー車」でヒロセの走行会に参加することで、スポーツ自転車に乗る楽しさを思い出されていった…。
さらにMT氏をはじめとする他の参加者たちの個性的なヒロセ車の現物を見ることで、いっそう、自転車探究への意欲が触発された…。
その当然の帰結として、ヒロセで二台目を頼みたくて仕方がなくなった。
そして、そこに、自分の希望、価値観、夢を込めたくなってしまった…。


そうして作られたのが「ヒロセ製オリジナル八段変速機」採用の「スポルティーフ(別名 Super Hirose PLPL8号)」と、両立てスタンド採用の「ツーリングにも行ける買物自転車」でした。

どちらも一台目とは異なり、A氏の個性が色濃く反映されたオーダー車です。

この二台は2013年の「ハンドメイドバイシクル展」にて展示されました。

2013年の「ハンドメイドバイシクル展」にて展示されたA氏のオーダー車たち

以下、この二台を「展示会用にA氏ご自身が描かれた図」とともご紹介していきます。

ちなみに、この図は、「展示会に向けて何か目をひく良いアイデアが無いか?」と廣瀬さんに問われ、注文工作の一覧を図で説明しようと思い付き、私が作らせて頂いたもの。
A氏に車体の絵を描いていただき、それをPCに取り込み、文字を乗せ、「引き伸ばし印刷」したものです。

このスポルティーフで採用された「八段変速のプルプル式リア変速機」は、前回ご紹介したM氏の九段変速ができるまでは、ヒロセ最多段数のオリジナルリア変速機であり、このスポルティーフに採用されたものこそ、その初号機でした。ちなみに二号機が私のランドナーだったように記憶しています。

おそらく、発注時には「世界初の八段プルプルだぜ!」などと、A氏と廣瀬さんの間で盛り上がったのではないでしょうか?

下は、A氏の変速機の動作テストを記録した動画です。

(Subtitles available)Self-made derailleur drive test / 前2後8段のプルプル式変速機駆動テスト


以下、この一台に込められた、A氏の発案、設計による工作を二つご紹介します。

一つ目は「オーナー製ヘッドランプ」。

下は、打ち合わせ用に持ち込まれたA氏の手によるフロントキャリアの完成希望図。ライトが一つのタイプと二つのタイプ、両方とも製作されました。

ライト二つのタイプは、パイプに電線ケーブルを通すだけでも大変そうですよね。

ダイナモの発電で光るLEDのヘッドランプ部分はA氏による工作です。
市販のマグライト(?)の頭部を使い、中の基盤やらをダイナモの発電規格に対応するようA氏ご自身が工作されたものと記憶しています。

ヘッド部分は、ねじ込み式でキャリアに固定される構造。
つまり、廣瀬さんの方は、そのネジのサイズを合わせたキャリアを作ったわけですね。

キャリアのヘッド部が捩じ込まれる部分(メッキ塗装前)


A氏の発案による工作二つ目は、分割してコンパクトに収納可能なリアキャリア。

下は打ち合わせ用の図面です。

MT氏と同様、A氏と廣瀬さんとの間にも、「楽しい駆け引き」が存在しました。つまり、A氏が持ち込むアイデアに、廣瀬さんがダメ出しをし、再度アイデアを提出させるというやり取りです。
そうやって、アイデアを煮詰めることで、より良いものを作り上げようとされていた…。

中には、実現しなかったアイデアもあったのかもしれません。
例えば上の図面に描かれた「サドルバッグサポーターの後部に延長のアタッチメントを差し込む案」は、完成した現物を私は拝見したことが無いので、もしかしたら却下されたのかもしれません(違ってたらごめんなさい)。

下は、分割式キャリア制作中の様子を私が記録した画像。

芋ネジ用のネジ穴の長さを稼ぐ為に、その部分だけ偏心で削り出しているあたり、はたしてA氏、廣瀬さん、どちらのアイデアだったのでしょうね?

いずれにせよ、お二人とも、一緒になって発想を煮詰め、まだどこにも無い工作を実現させることを、心から楽しまれているようでした。

オーダーシートの青い文字はA氏によるもの
完成したA氏のスポルティーフ

この一台が登場する動画が二つありますので、下に載せておきます。
お二人の楽しげな打ち合わせ光景なども収録されています。

(Subtitles available)"Super Hirose PL8" RINKO demonstration by orderer / 「Super Hirose PLPL8号」輪行の実演

完成車紹介「2013年製A氏のSuper Hirose PLPL8号」

下は「ツーリングにも行ける買物自転車」の図解です。

「荷物の重さがハンドルに影響しないフレーム直付けフロントキャリア」や、「Vブレーキを改造したセンタープルブレーキ」などは、この一台が作られる以前に、ヒロセで煮詰められ、既に何台かに採用されていたアイデアです。

この一台のもっとも大きな特徴は2パターンのハンドルと籠に対応する「変身」システム。

A氏も私も1960年代中盤生まれ。子どもの頃、電人ザボーガーや、マジンガーZや、ゲッターロボといった変身ロボットや、合体メカに夢中になった我々の世代ならでは(?)の発想の一台と言えるかもしれません。自転車は、まさに人とマシンが一体化する道具ですからね。

ちなみに廣瀬さんのご子息は、A氏や私より少し下の世代。当然、廣瀬さんご自身も変身ロボットや合体メカのアニメやドラマはご存じだったことでしょう。人間とロボットが協力、一体化するアニメやドラマは、玩具とも直結する日本の消費文化の花形ですからね。

廣瀬さん、ご子息を通し、我々世代の中に残る「少年の心」のツボも、ご理解されていたことと思われます。

ドロップハンドルのツーリングバージョン
フラットハンドルと大きな買物カゴ二つの買物バージョン

両立てスタンドと外装変速機の両方に対応したエンド工作も大きな特徴です。

これも、他の方のオーダー車において既に前例がある工作です。

下がその一台。A氏が一号車をオーダーした時より五年ほど前の製作のようです。


買物車のヘッドライトもA氏ご自身の工作。
こちらはハブダイナモからの給電。その為のケーブルの取り回しも実に興味深いものです。

自らの手でライトを設置するA氏
工作の注文で真っ黒になったオーダー用紙と完成した買い物自転車


A氏 4台目のオーダー車

次にA氏が作られたのがヒロセで唯一となった29erでした。そして、この一台がA氏にとって最後のヒロセ車となってしまいました。

折りたたみ式で、なおかつ輪行移動時用のミニホイールが設置されたリアキャリアもお二人の作品。

他にもお二人による数多くの工夫が詰め込まれたこの一台に関しても動画がありますので、詳しくはそちらをご覧下さい。

A氏に書面でインタビューした内容も字幕で掲載しています。

(字幕)「2014年製 29er」 vol.1 フレーム製作

(字幕)「2014年製 29er」vol.2 キャリア製作他

なお、この一台も2015年の「ハンドメイドバイシクル展」にて展示されました。

2015年のハンドメイドバイシクル展の一コマ


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オリジナルの源泉としてのお客さん

自らの自転車を注文するにあたり、積極的に設計や工作のアイデアを提案し、廣瀬さんと二人、唯一無二のオーダーメイド車を実現された、MT氏とA氏のヒロセ車たちをご紹介させて頂きました。

このお二方に限らず、ヒロセのお客さんたちの多くが、さまざまなアイデアをヒロセさんに持ち込み、その中のいくつかが実際に具現化し、さらにその中のいくつかが定番のオリジナル工作になって行きました。

中には、当のご本人は、提案された自覚なんて無い場合も。
その方の廣瀬さんの前での何気ない一言。ちょっとした不満や妄想の言説が廣瀬さんを刺激し、生まれた工作もあったそうです。


ヒロセにおけるオリジナル工作の歴史

例えば、昔のSTIのワイヤーケーブルのルートを変えるパイプなんかがそうだったのかもしれません(私が出入りするようになる前のお話で、生前、廣瀬さんに確認もできなかったので、仮定のお話として記します)。

ヒロセで旅行用自転車をオーダーする方の多くは、フロントバッグの使用を希望されます。しかし、初期のSTIのシフト用ワイヤーはブレーキレバーから真横に飛び出す設計。
そのままだとフロントバックと干渉してしまい、困ったことに。

お客さんの不満を耳にしたヒロセさん、ワイヤーとバッグとが干渉しないよう、ワイヤーのルートを変えるガイドを作りました。
やがて、それを見た他のお客さんが真似するようになっていった…。

パーツメーカーさんからも同様の商品が発売されていたようですが、ヒロセさんの方が早かったといいます。
ヒロセさんの場合、個々のハンドル幅やバッグの大きさ等に合わせて一個一個カーブを作るのですから、より親切な設計だったように思われます。

以前もご紹介しましたが、定番のオリジナル工作だったアダプターとサポーターの組み合わせ(下の動画参照)も、あるお客さんからの「ワンタッチで簡単に着脱でき、砂利道でもバッグが外れにくいシステムがあればな〜…」という願望を実現するために作られ、それを見た他のお客さんに継承されていったシステムでした。

(Subtitles available)Large saddle bag mechanism, Hirose style / 大型サドルバッグの着脱

今回ご紹介したA氏も、一台目のオーダー車からこのシステムを採用されていますし、MT氏は、このシステムを念頭に、クイックを使った機構へとアレンジされた訳です。

つまり、今回ご紹介したMT氏やA氏のようなアイデアの持ち込み例は、その関わり方の濃淡はあっても、以前から、頻繁にあったのですね。

ヒロセのオリジナリティー、オリジナル工作は、廣瀬さん個人が閃いたり、思い付いたものでは無く、お客さんの希望、妄想を形にし、それが継承されていく中で洗練されていったものでした。

決して「天才ビルダーが独特の感性、発想で作り上げた」ものでは無い。「俺様の考えた素晴らしいパーツ、工作」では無い。
だからこそ、意味と価値がある、と私個人は考えています。


継承が内包する力

「世の中の便利なモノ」は、だいたいにおいて、どなたかの希望、妄想を、実験、形にしたものが、継承され、生き残っているものでは無いでしょうか?

例えば食器の形や素材は最初から今のようなものだった訳では無いでしょう? 

フォークは、試行錯誤の結果、今の形状で我々の目の前に存在します。
串、二股、三股、四股。
木、金属、プラスチック。
大きさや重さや曲げの角度。
長い年月の中、世界中で幾度もの変更がなされ、洗練されていった…。

コップもそう。
持ち易い。熱さを伝えにくい。洗い易い。割れにくい。美しい。
さまざまな要素が勘案され、今の形に収斂されて来た…。

まずは誰かの発想が、具現化され、それに対する試行錯誤が繰り返され、多くの人の評価を得たものが継承されることにより、意味や価値が後からついてくる…。
刺したものがすぐ抜けてしまうフォークや、重心が悪く持ちずらいカップなどは継承されず、自然淘汰されてきた…。

廣瀬さん、展示会や雑誌で、「一箇所に過度に応力が集中していたり、剛性設計がむちゃくちゃだったり、無理な乗車姿勢を強いられ、ちょっとした距離でさえ走ることが難しそうな奇抜な設計の自転車」や、「時代によって既にその合理性が否定された過去の設計を、その失敗を知ってか知らずかそのまま再現してしまっている自転車」等を目にする都度、どこか悲しそうで、訝しげな表情をされていたものです。

人々の継承こそが意味や価値を規定するという現象はモノ(ハード)においてだけでは無いでしょう。ソフト、例えば音楽であろうと同じことでは無いでしょうか。

「エレキギターの音」というと、ジャキーン、ギュワーンといった「歪んだ音色」を思い浮かべる方が多いかもしれません。

この「歪んだ音色」は、昔、まだPA装置が未熟な時代、単体では音量が小さいギターの音をどうにかしてビッグバンドのような環境でもきちんと聴かせたいと、ギター専用の音量増幅装置(ギターアンプ)が生まれた所から始まったようです。
打楽器やトランペットやサックスなんかと張り合えるまでギターの音量を増す為、弦の振動を「弦振動を電気に変換させるピックアップ」で拾い、それをギターアンプで増幅させたのですね。

ところが、ギターアンプの設計が甘かったのか、出力の大きなピックアップのギターをアンプに繋ぎ、一定以上までボリュームを上げてしまうと、音色が「歪んでしまう」という現象が起こった…。設計者としては、決して狙ってはいない、とても「汚い音色」に。

ところが、この歪んだギターの音色を「この音色の方がアンサンブルの中でフレーズが埋もれにくくて良いじゃん。」と捉えるプレイヤーがおり、「歪んだ音色」でライブをしたり録音をするように。
そして、それを聴いた人の一部が、その音色を「カッコ良い!」と感じることで、この「歪んだ音色」が拡散され、一般に浸透していった…。つまりその音が「普通」になっていった…。

受け手の「耳」、「常識」、「許容範囲」は変質するんですよね。
今の若者にとっては、とても大人しく、普通のポップスに感じるある時期のビートルズの音楽が、当時の大人の人々の耳には「不良の音楽」と定義されていたりしましたから。

やがて「歪んだ音色」を使うバンドが増え、この音色こそが特徴のハードロックやヘビメタといったジャンルが作られ、歌物におけるギターソロという文化が生まれ、ついにはポップスや歌謡曲にまで「歪んだ音色」によるギターソロというものが組み込まれるまでになっていった…(近年ギターソロを組み込んだポップスはすっかり下火のようですが)。

いいかげんなまとめ方ですが、大筋はこんな感じでは無いでしょうか?

いずれにせよ「エレキギターの歪んだ音色」は、一人の天才によって企画、発明、定型化したのでは無く、リスナー側が長い時間の中で受け入れることにより、継承されていったものであると私は捉えています。

楽器通販の最大手「サウンドハウス」のHP 「歪み」を作る装置(エフェクター)だけで2023年10月現在、593もの選択肢があるようです

ソフト、ハード関係なく、たいていの「発明」とはそういうものなのだと私は思っています。つまり、一人の天才の存在より、継承にこそ意味や価値があると…。

ところが、私たちの世代などは、小学校の頃吹き込まれたエジソンやライト兄弟やダヴィンチの「物語」のせいで、天才を過剰に評価するような思考になってしまっているような気がします。

メディアの悪影響も見過ごせません。「天才」はメディアにとって最高の消費財ですからね。積極的に「天才」を作り、持ち上げてから落とす。二度美味しい…。「あの人は今」で取り上げられれば三度美味しい…。

先ほどの「エレキギターの歪んだ音色」に関しても「誰それこそが最初に歪ませた音を使った天才ギタリストである!」といった「物語」をギター雑誌で、たびたび目にしますが、はたして、どこまで本当なんでしょうね?
私は一人の天才の発明では無く、「大勢の人が同時多発的にやり始めていた」というのが正しいのでは?、と考えています。
ヒップホップで使われるレコードのスクラッチ音なんかも似た感じですよね。どこの誰ということでは無く、ある時期、同時多発的に、皆がやり始めていた感じ。

上でご紹介した「ヒロセさんによる初期STIのワイヤールート変更パイプ」も、おそらく同時多発的に世界中で同じようなことを考えて人がいらっしゃったのでは無いでしょうか? 
世界のどこかには、ヒロセさんより早く同じ工作を発見、発明した方がいらっしゃるかもしれません。

「発明」と言えば、パテント。創造、発想を個人の名誉やお金に変える手段とも言えましょうか…。

廣瀬さんがSTI用のパイプの件を、思い出話的に、新しいお客さんに紹介すると、「特許とれば儲かったのに。」と、冗談半分で言う方も中にはいらっしゃったようです。
しかし、廣瀬さん、何を作られようとも、パテントを取ることはされませんでした。

「僕が思いつくようなことは、他の人でも思いつくものだから。」と達観されていたのかもしれませんし、その手続きに忙殺される時間により、自転車への探求時間が削られることがもったいない、と感じられていたからかもしれません。

あるいは、以前に記しましたが、「こんな新しいことをやった」「こんなイノベーションやった」なんてことを、自ら喧伝するのは手間味噌ではしたない、と思われていたのかも。
そういう我の強さは、昭和の時代の価値観では反感を持たれかねませんでしたからね。以前も記しましたが、だからこそ廣瀬さん、私にご自身のお仕事の紹介を依頼された、と私自身はとらえています。

廣瀬さんは、オリジナルという言葉にこだわりを持ってらっしゃいました。

当初私は、それは、廣瀬さんが、自らの工作の独自性、ユニークさを誇られているが故と捉えていたのですが、そうではなく「まわりに振り回されず自分自身の頭で考える」「自分の心、価値観に正直になる」といったような意味合いでオリジナルという言葉を大切にされていのでは無いか、と今は感じています。

だから「自らが目立つ為に、応力やら利便性やら安全性を無視してまでも他者とは異なった意匠の自転車を作る」といった行為を唾棄されていた…。

「発明家」「天才」が、受け手の継承によって評価された結果であるなら、最初から「発明家」「天才」に憧れすぎたり、「自分発のオリジナリティー」に囚われるのは、若い人々にとってあまり賢くない思考のように思えます。

そういう発想は、得てして、焦りから人のアイデアを無断でパクったり、特許や著作権を軽視したりする思考になりがち。そしてパクった後、厚顔無恥に権利を主張するというふうになりがち。
他人を出し抜いてやろうとか、斬新さで吃驚させてやろうとか、そういう思考により自分を追い詰めてしまうより、「今、本当に自分が欲しいもの、心から好きなもの」を突き詰め、それを素直に実現させようという思考の方が健全なのではなかろうか… 
と、若い頃、実力も無いのに思い上がると同時に、全くもって凡庸な人間であることに絶望を感じてしまっていた私なんかは、廣瀬さんの姿勢から学び、過去の自分を省みたりしています。

「発明」の中には「時代」が変われば不要になるものもあります。
例えば、STIワイヤー用ガイドは、STIの設計が変わったことで、今では不必要になりました。

時々の発明や発想に拘泥してしまうと、守りに入ってしまい、前を向けなくなるというお考えも廣瀬さんの中にはあったのかもしれません。

話は少しずれますが、私が子供の頃、家にイチゴスプーンというものがありました。イチゴを潰し易い形状をしたスプーン(今でも「イチゴスプーン」で検索すれば出てきます)。

昔のイチゴは今ほど甘く無く、潰して、砂糖や練乳をかけて頂いていたのですね。しかしイチゴが甘くなり、さまざまな品種による繊細な味の違いを楽しむようになると、イチゴスプーンの姿は店頭から消えていった…。

どこかで読んだ記事だと、このイチゴスプーン、今でも生産され、介護食や離乳食を頂くシーンで活用されているとか。

モノの形状やその活用の移り変わりは面白いですよね。

以前もご紹介しましたが、廣瀬さん、過去の人々の発想に対し、敬意を持たれ、あれこれ探求されていました。

JOTO RINGYOがフランスの「LE CYCLE」を資料に作った冊子

工房で作業がひと段落すると、時折、奥の棚から「1940年代から50年代にかけての自転車に関する工夫がイラストで記されている冊子」を引っ張り出し、眺めてらっしゃったのです。

過去の「失われてしまった発明」から新たな金鉱を探そうとされるかのように。

1940年代当時は部材の強度や精度が出せなかったせいで評価、継承されなかったアイデア。でも、その中には、現在の部材の強度や工作機械の精度なら実用的に改良出来る発想があるかもしれないから、と。

おそらくMT氏やA氏も、廣瀬さんの隣で、一緒に、この冊子をご覧になったことがあるのでは無いでしょうか? 
そして、その体験が、オーダー時、絵や図を描いて持ち込むという行動につながっていったのでは? だって私自身がそうでしたから。

廣瀬さんと一緒に、1940年代の人々が自転車に施した実験を知り、それらによって当時の方々が実現されようとされた希望、妄想を探る時間は、とても楽しいものでしたからね。
そこから「自分だったらこうしてみたいかも。」といった妄想が膨らんでくる…。

ランドナーのオーダーに向けて筆者が描いて廣瀬さんに提出した絵

そして、また、こうした廣瀬さんとの時間を通し「アイデアの面白さやデザインのユニークさなんかと、その実効性、有効性はきちんと分けて考えるべき。」という廣瀬さんの思想を理解し、なるべく自分自身もそうした視座で発想するようにしようと思うようになった…。
おそらくMT氏もA氏も同様だったと思われます。

見た目は斬新でカッコイイけど、一箇所に応力集中してしまっていたり、剛性バランスが悪く、良く走らないフレーム設計の自転車を廣瀬さんが毛嫌いする理由、その心を理解し、廣瀬さんの設計思想、哲学となるべく矛盾しないアイデアを提出しようと努めるようになっていった…。

さらに、応力や剛性や力学構造といった、物理的に物を見る楽しさを教わった我々は、自転車以外でもヒロセ的視点、視座で物事を捉えることが出来るようになり、人生を豊かにして頂けたように思ってます。

私はエレキギターを作ってみたりするようになりましたし(ゼロから作った訳では無く、HOSCOの製作キットのアレンジですが)、A氏は一時期、家具作りに熱中されていました。

著者の製作したHOSCOのキットギターと、アルミ削り出しノブやエンド等のオリジナルパーツ
A氏のYouTubeチャンネル

https://www.youtube.com/@cyclistAoyama

もっと小さなこと。
例えばギターの弦の張力がギター本体に加える応力をヒロセ的視座で考えることにより、よりギターの構造を理解でき、それまでマニュアル本通りにやっていただけのさまざまな調整を、物理的合理性を勘案しつつある程度までなら自分で出来るようになったりもしました。

さらにはもっと瑣末なこと。
家事や掃除といった日常の何気ない行動においても「応力」や「剛性バランス」といったヒロセ的思考を導入することで、世界の見方や触れ合い方は豊かに、楽しく変化しました。
応力や剛性や摩擦を勘案し、崩れ難いように物を積むといったように、ごくごく基礎的な行動レベルにおいてまでも。


他人の試行錯誤を腐す評論家気取りの玄人さん

MT氏やA氏のに限らず、創意工夫が反映されたヒロセ車をネットでご紹介すると、「はたしてちゃんと走るか怪しいもんだ。」とか「そんな工作、意味無い。」とか難癖をつけ、マウントを取ろうとされる方がいらっしゃいますが、超能力者なのかと思ってしまいます。
乗ったことも無い自転車、使ったことも無い工作に対しての言及ですからね。
そもそも、大前提として、これらは個人の為のオーダーメイド車であり、発注されたご本人が満足されてさえいれば、何ら問題の無いこと。
だってどなた様にもご迷惑なんてかけてはいないのですから。

そして工作や工夫の意味や価値といったものは、だれか個人ではなく、「時」が評価するもの、と私は考えてます。

「廣瀬秀敬自転車資料館(旧 C.S..HIROSE博物館)」には、世界中から反応が来ます。今は無くなってしまったGoogle+において特に顕著でしたが、YouTubeチャンネルのコメント欄でもその一端はお分かり頂けると思います。

廣瀬さんがお亡くなりになったことをネットで報告すると、世界中からお悔やみの言葉が届いたものです。それらをご遺族にお伝えすると「ヒロセは世界中にファンがいたんですね。」と感慨深そうにおっしゃっていました。

自転車や工作の紹介に対する海外の方々の反応は、おおむね「それ、良いじゃん」「俺も一回やってみるわ」といった前向きの反応が多かった…。

一方、一定以上の年代の日本の自転車マニアさん、「玄人さん」からは、何故か上から目線で、ヒロセ車に施された様々な工夫に対し、何ら物理的な根拠を示すこと無く、腐そうとする書き込みが目立った…。
腐すまでは行かなくても、どこか斜に構えた、奥歯にものが挟まった否定的なコメントを残す方が多かった…。

人様の家の玄関まで来て、わざわざ「個人の単なるお気持ち」を大声で喚かないでも、こちらの目に付かない場所。例えばご自身のSNSに記すなりなされれば良さそうなものですが、なんとも不思議な方々です。
世界に公開されている場で「俺様の方が自転車をわかっているんだぞ! 詳しんだぞ! 玄人なんだぞ!」と、廣瀬さんご本人に対し、ご主張されたかったんですかね? 

否定的感想を残される方に対しては、こちらからつっこんで話を伺ってみたこともございました。
でも、「装備選択が自分の趣味じゃ無い」とか、「フレーム素材のブランドが嫌い」とか、「スローピングが嫌」といった個人の趣味嗜好に帰結する場合がほとんど。
もしくは「知り合いのビルダー(もしくは店員、もしくは先輩など)が言っていたことと違うから。」と、自分の吐いた言葉の責任を他人に転嫁するパターン。それも、はたして引用されている人の言説の真意をきちんと理解されてるかも怪しい感じで…。

こちらは応力構造やら剛性設計やら、どんな興味深い技術的、物理的指摘があるのかとワクワクしてお尋ねしたのですが肩透かしを食うことばかり。
「これはあんたの為のオーダー車では無いので、ほっておいて下さい。」の一言で済む事案ばかりだったんですね。
ネットにおける「知らぬ人からの捨て台詞的呟き」なんて、たいして気にすること無いんだね、と勉強にはなりましたが…。

廣瀬さんは、私が作るHPを隈無く見て下さっており、こうしたコメントも目にされていました。
ネット越しに、単にご自身が気に入らないというだけの感想、「お気持ち」を投げつけられても、ヒロセさんには何の糧にもなりませんし、見てる第三者の参考にも勉強にもなりません。
なので、不毛で不快なだけの書き込みは消すようにしていましたので、それらはもう残っていませんが…。

廣瀬さんも特定の設計や工作、パーツの使用に疑問を呈されることはありましたが、その場合は、局面を限定し、理由もきちんと提示されていました。
(設計に対する疑問については、過去記事の「奇抜なフレームデザインについて」でご紹介しています。また、工作やパーツについての疑問の一部は下の動画で取り上げています。)

「人の創意工夫を、ただただ腐すだけの書き込み」は、私以外の自転車HP、さらには自転車以外のジャンルのネット記事等においても、時折、見受けられます。

私は私の「X(旧ツイッター)」に「いいね」や「フォロー」して下さった方々のうち、私が確認した時、過去に一回でも自転車に関連するポストをされていた方は、勝手にフォローさせて頂くようにしています。

そうした方々のポストを眺めていると、ライトや鞄の取り付け方に関するちょっとした工夫から、プロ顔負けの専門的な工作まで、実に沢山の創意工夫を拝見することが出来ます。

ところが、そういう方々のポストへの反応の中にも、攻撃的なものや、上から目線で腐す書き込みがあったりして、やがて、その方がポストをされなくなってしまうような事例も拝見したことがあります。とても残念な感じでした。

人の発想や工夫を上から目線でバカにするのでは無く、もし書き込みをするほどまでに気になって仕方がないのであれば、ご自分ならそれをどう改善するか、どう工夫するかなど、前向きな打ち返しをして下されば良いのに、と思うのですよね。
ただ批判するにしても、そこに理が添えられてさえいれば、受け手も興味を惹かれ、時には参考にされたりするかもしれませんのに…。

個人的には、ここにもまた、マスコミ、大手メディアの悪影響があると思っています。

世の中のこと全てにケチをつけ、斜に構え、上から目線で、その場でしか通用しない「(後からきちんと検証したら何ら合理性の無い)もっともらしいフレーズ」を吐くことがあたかも「教養のある大人」の相応しい仕草、作法なのだと勘違いさせてしまった…。シンポテキブンカジン的ニヒリズム…。

さらには「その人が何をやったか」では無く、「何を言ったか」で評価してしまう表層的な価値観。
何かを作った人では無く、それを評価した人の方が偉いと思ってしまい、自分自身もその立場をとりたくなってしまう悪癖…。
でもそれって、世の中の為に、何ら具体的に、生産的なことのできないマスコミ人による自己弁護の悪しき模倣だったりするように思うのですよね。
表層だけを捕まえて、安易に人を評価しようするマスコミのさらなる猿真似。だから内容が薄く、浅く、批評、評論として成立しない。

自分が気持ちよくなるためだけに、コメンテーター様や評論家様の尊大な仕草や口調を真似、努力して自らが獲得したわけでも無い、受け売りの知識やフレーズを使い、薄っぺらな説教をたれるオヤジ衆の醜さといったらありませんし、頑張って物を作ろうとしている人のやる気を削いだり萎えさせるなど、明確に害悪ですらある場合も。
私は、世の中のギスギスした空気や分断の多くがマスメディア由来だと思っています。

新聞がコラムで「日本にはジョブズのような天才発明家が生まる土壌が無い。嘆かわしい。」とか、知ったようなことを書いていたのを目にしたことがありますが、人の工夫や発想を、その過程や意味をろくに理解しようともせず、上から目線でこき下ろしたり、現在進行形で地道に活動している人達は見向きもせず、すでに有名になった人の尻ばかり追いかけ、提灯記事書いて来たあんたらのせいでもあるんじゃない? と思ったりするのですよね。以前も書いたように、そもそもジョブスは発明家とは、ちと違う、とも思いますし。

メディアが本当に天才発明に価値を感じているのなら、まだ世間が認知していないけど興味深い試みをしている人を発掘し、自ら育てれば良いと思うのですよね。
プロダクションと癒着したり、安易に海外からソフトを買ってくるのでは無く、自らアーティスト、演者、作家、技術者なんかを育てれば良い。

しかし、それをするにはマスコミ側に、審美眼や知見が必要。過去においては、稀にそういう方々もいらっしゃったようですが、はたして今はどうなんでしょう? 

私は放送局に入局当初、人形劇枠のディレクターをしていたことがありますが、井上ひさし氏なり、辻村寿三郎氏なりを発掘し、「テレビの人形劇」文化を生み、育てたのは私を直接指導して下さった先輩ディレクター達でした。

しかし、ニュースであれ、音楽芸能であれ、多くのジャンルで、他の放送局や媒体と切磋琢磨することを避け、楽で「美味しい」方向ばかり追いかけた結果、過去の遺産を食い潰し、バブルのころのような資金も無い今のマスコミに、新しい文化の創造を期待するのは難しいように思います…。
詳しくはありませんが、日本の銀行の融資に関しても、似たようなことが言えるのかもしれませんね。無名の起業家の優劣を見極め、育てるのに必要な研鑽を怠ってきたのでは無かろうか…。

おっと… また筆が滑りました。毎度のことながら、あちこち話が脱線してしまいすみません。MT氏とA氏の話に戻ります。

廣瀬さんが自転車に込められた創意工夫。それらが地上波で取り上げられることはありませんでした。
競輪がスポンサーのBSの番組で、オリジナルの意味や理由といった本質部分に殆ど言及されることなく、ごくごく薄く、上っ面が紹介されたのみ。
でも、ネットにおいては世界を巡っています。

ヒロセさんの工作に限らず、色んな作り手さんの多様なアイデアが、前向きな書き込み、反応、伝達により、ネット世界を巡ることで、自転車の設計に関する知識、工作方等が拡散し、将来、より良い自転車、パーツが安く手に入るようになるのなら、自転車愛好家としても歓迎すべきことでは無いでしょうか?
少なくとも、腐して、作り手や発信者をげんなりさせたり、ご自分ただ一人悦に入るよりマシでは? と私なんかは思うのですよね。

今回ご紹介したMT氏、A氏と廣瀬さんによる幾つかの試みも、今すぐに自転車の歴史に何か新しい変化を書き加えられることは無いのかもしれません。
しかし、彼らが試行錯誤した結果は、その過程も含め、こうしてネットに残っているわけで、数年後、数十年後、この文章や動画をご覧下さった世界のどなたかが、彼らのアイデアをより素晴らしく進化させ、多くの人々の自転車生活に貢献するものを具現化して下さるのであれば、彼らの試行錯誤も、よりいっそう報われる、と言うものかもしれません。ついでに、紹介させて頂いている私の試みも。



まとめ

冒頭で記した通り、今回ご紹介したお二人とも「自らが尊敬する廣瀬さんと、同じ自転車開発チーム、デザインチームの一員として機能すること」に他では得られない充実感を感じられていたと思われます。

そして、お二人とも、あくまでも廣瀬さんがチーフであるということを、しっかり自覚されていた…。
自分の発案、デザインが効果的に機能するためには、廣瀬さんの知識と経験が欠かせないことを重々承知されていた…。
例えば応力が集中しすぎる設計箇所は無いか? 採用した工作による走りや操舵への悪影響は無いか? 経年劣化は許容範囲か? メンテナンス性は? などなど。

一方、廣瀬さんの方は、「二人の完成車の設計に不備があり、怪我でもされてしまったら、それは自分の責任である。」ことを、何より強く意識されていたように思います。
そこを引き受けるからこそ、時には厳しくダメ出しもされていた…。

また、お二人の自転車製作への熱意や、時には至らぬ発想を暖かく受け止め、具現化を手伝うことで、二人の自転車理解を手助けし、探究心を伸ばそうともされていた…。さらには、自らも、その過程で学ぼうとされていた…。

やはり、廣瀬さんの自意識は、「教師、先生」的なものだったのではないか…。そう私個人はとらえています。

いずれにせよ、自分自身のアイデアを、尊敬するビルダーさんの力を借りて、自らのオーダー車に、有意義な形で反映させることのできる楽しみ、喜び…。MT氏とA氏にとって、ヒロセでの時間は、他所では決して得ることが出来ない、プライスレスなものだったよう、お見受けいたしました。

はたしてMT氏とA氏が、互いの自転車、工作をどれだけ意識されていたかについて、私は存じ上げません。
ただ、お二人が互いの自転車を批判したり、競い合うようなことは全く無かったよう記憶しています。

お二人とも大人でしたし、あくまで「自分の自転車」に興味があった。
斜に構え、自分が乗る訳では無い、他者の工夫や工作を腐すような方々では無かった。
そもそも、相手の自転車製作にも廣瀬さんが深く関わり、ダメ出しが終わったものが形になっているわけですから、それに対する否定は、自らの自転車の意義、価値を軽んじることにも繋がりかねませんからね。

お二人がお店で顔を合わせることは頻繁にありましたし、楽しげに会話もされていました。
お二人とも、何ら用はなくても、定期的に遊びに来られてましたし、時々、ヒロセの工具を使って、思い思いの調整やメンテナンスなんかもされていましたから。

そう! 廣瀬さんは我々オーナーに、工房の工具や治具や工作機械を使うことを許して下さっていたのです! もちろん十分な関係性を構築した相手にだけですが…。
そして、時にはそれらの操作法やコツまで教えて下さっていた。しかも無料で。

必ずしも全てのお客さんがこの特権を活用されていた訳ではありませんが、ヒロセのオーダー車の値段には、こうした料金も含まれていると考えれば、かなり「良い買い物」と言えるのでは無いでしょうか?

そして、実際に、加工や工作を自分でやってみるようになると、そこからまた新たなオーダーへの発想や妄想が浮かんでくるというもの。
廣瀬さんからすれば、工房を開放するのは、我々オーナーを「自転車沼」に引きずり込む手段の一つだったのかもしれませんね。

自分のパーツのバフがけの準備をするMT氏とそれを見守る廣瀬さん

そうそう、最後に、今回ご紹介したお二人に共通していることを、もう一つ思い出しました。

それは、お二人とも、廣瀬さんにホイールの組み方を習い、実際に自分のオーダー車用のホイールを組み上げてらっしゃった点。

その時期も共通しており、廣瀬さんの病気が発覚してから。つまり廣瀬さん最晩年のことだったように思います。

ヒロセでの複数のオーダーを経ての「ホイール組み」の実践は、お二人が、廣瀬さんから様々なことを学ばれた結果、自転車という乗り物の本質を、より総合的に理解したいと思われるように成られていた、その証拠の一つのように私は感じています。

廣瀬さん、自転車の「乗り味」に占めるホイールの割合を、かなり高く見積もられていましたし(タイヤ選択も込みでのお話)、「ホイール組み」には「引っ張りと圧縮」「ねじれと復元」といった応力バランスや、スポーク同士の摩擦による振動エネルギーの熱エネルギーへの変換等、自転車を物理的に理解をするために必要な視座、概念が詰まっていると仰っていましたから。

廣瀬さんの指導のもと、ホイールを組むA氏

さて、A氏については、他にも記したいと思っている事柄があるのですが、すっかり長くなってしまいましたし、テーマも異なるので、続きは次回とさせて頂きます。

YouTube動画も含めた私のヒロセへの取材とアウトプットに対し、ご評価を頂ければとても有り難いです。どうぞ、よろしくお願い致します。(廣瀬秀敬自転車資料館 制作者)