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『マッドマックス/サンダードーム』(1985年) は『怒りのデスロード』を予習する上での最重要作だ

※この文章は2015年の『マッドマックス 怒りのデスロード』公開中に書いたものです。

<あらすじ>

核戦争により世界が灰と化して15年。女帝アウンティ・エンティティの支配する街ではサンダードームで開かれる一対一の死闘に熱狂していた。戦士を求めていたアウンティの罠に落ちたマックス。彼を待ち受けていたのは、最強の怪人マスター・ブラスターとの命を賭けた闘いだった!


【はじめに】


 絶賛公開中の「マッドマックス 怒りのデスロード」ですが、30年ぶりの続編ということもあり、過去作を観たことがないという人は多いと思います。「続きモノだから予習しないと分からないかな?」と思うかもしれませんが、正直その必要はなく、いきなり観ても充分楽しめるはずです。
 とはいえ以前のシリーズを見返すことで、「怒りのデスロード」をより楽しむことが出来るのも間違いありません。そしてその中でも傑作として知られている「マッドマックス」や「マッドマックス2」ではなく、世間的評価はビミョーな第3作「マッドマックス/サンダードーム」をキチンと予習することをオススメします。「サンダードーム」はなぜ評価が低いのか、そして「サンダードーム」が「怒りのデスロード」にどうつながっていくのか。今回はその辺りのことについて書いていきます。

【暴力表現がヌルいサンダードーム】


 メル・ギブソン版の「マッドマックスシリーズ」は、カーアクションを除き、3作全てに統一感がないことが特徴。「マッドマックス」は、暴走族に妻子を殺された警官の復讐を描いた王道カーアクション映画でした。

しかし「マッドマックス2」になると、世界がいきなり荒廃した世紀末になります。核戦争のせいで物資が不足し、水と石油を求めて残った人類たちが略奪と殺戮を繰り広げる話になります。

「サンダードーム」は「マッドマックス2」の世界観を引き継いではいますが、血湧き肉踊るアクションがかなり抑えられています。
 タイトルにもなった「サンダードーム」とは、闘技場のことで、天井から吊るされたゴムのロープを装着した戦士たちが、そこで殺し合いの決闘をします。しかしこのシーンは全く盛り上がらないんです笑。

例えば「進撃の巨人」の立体駆動装置のように、つけることでより体を速く動かすことができるなら、よりアクションが際立ちますが、本作のゴムのロープは明らかにジャマ!動きが遅くてアクションが間延びしてしまっているのですそもそもこのシーケンス自体、話の本筋に全く関係ない笑。


 ストーリーは、主人公マックスが「なんやかんやあって」砂漠にいる子どもだけの部族を助け、彼らを「トゥモローランド」と呼ばれる、資源(水や食物)が残っている土地に導くという話です。この「なんやかんや」の部分に、前述したサンダードームでの決闘などがあるわけですが…

よくよく考えるとこのストーリーに穴がありまくり!子どもたちはトゥモローランドに行くために、バーダータウンという街の物資を強奪して追われることになるんですが、これって自業自得だろ!

最終的にはジェデダイアというキャラクターの飛行機に乗って、無事トゥモローランドに着くことができます。ジェデダイアは生きるために仕方なく盗賊をやってるとか言うんですけど、足があるんだからそんなことせずに最初からトゥモローランド行けよ笑!そこに水も食糧も全部あるんだから!!


 あと最大の問題は、子どもたちがバーダータウンの荒くれ者と闘うときに、極度に暴力表現が抑えられてしまうこと。まぁ子どもを傷つけるわけにもいかないですからね。結果的に「ホームアローン」ですか?ってくらい、おマヌケに敵がドジふんだり、ご都合主義的なタイミングでマックスが助けに入ったりして、アクションに全く燃えなくなってしまったんですね。

【ジョージ・ミラー監督が残したメッセージ】


 なんでこんなことになってしまったのか。それは、監督のジョージ・ミラーが、どうしても伝えたいことがあったからだと思うんです。子どもたち(the lost tribe)は、核戦争による文明崩壊以後に生まれたという設定です。したがって飛行機やテレビの存在を知らずターザンのように暮らしています。彼らは私たち人類が「バトンを渡す次の世代」を象徴しています。よって今作は以下のように見ることができると思うのです。

 戦争の後に生まれた子どもたちは、彼らに何の責任もないのにその負の遺産を背負わなければなりません。でも、彼らはそういった現実(=バーダータウンのギャングたち)に正面から向き合うことで、いつか希望(=トゥモローランド)に辿り着くことができるのではないか。だから今を生きる世代(=マックス)は、子どもたちのために出来ることをすべきである。

 実に楽観的で希望的ですが、当時のミラー監督は恐らく本気でこう考えていたはず。だからこそ「サンダードーム」から「怒りのデスロード」まで実に30年の月日が流れたのではないでしょうか?

【そして伝説へ…】


 ところが、この30年間はミラー監督の期待を裏切りました。人類は自らが作り出した物質に支配され、広告に踊らされ、雑誌やテレビをトレースして何かを消費することに没頭し堕落してしまいました。「ファイト・クラブ」のタイラー・ダーデンの言葉を借ります。

「仕事の中身でお前は決まらない。預金残高とも関係ない。持ってる車も関係ない。財布の中身も関係ない。クソみたいなファッションも関係ない。お前らはあらゆる付属品がついた世の中のゴミだ」

 水もまともにない「マッドマックス」の世界はまさに地獄ですが、だからこそ登場人物たちは力強く生きている。一方でこれだけモノに恵まれた今の時代で、私達は本当に「生きている」といえるのでしょうか?そんな堕落した我々に「ファイト・クラブ」のように喝を入れてくれた作品、それが「マッドマックス 怒りのデスロード」なのです。

「ガキを甘やかしたら怠けてしまった、やっぱりそれじゃダメだった」と言わんばかりに、バイオレンス描写が盛りだくさんです。トゥモローランドに行ったはずの子ども達は、悪役のイモータン・ジョーによって搾取されてしまっている。しかしこれは紛れもなく今の現実を描いているとはいえないでしょうか?女も死ねば子どもも死主、ジジイも死ぬ。そこに一切の遠慮はないのです。


最後に言いたいのは「怒りのデスロード」は「サンダードーム」が失敗作だったから原点回帰したと片付けてはいけないと思うのです。「サンダードーム」にはそれはそれで意義があったのです。それを踏まえて「怒りのデスロード」を見るとよりグッとくるものがあると思いますよ!


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