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『ラ・ラ・ランド』(2016年)映画評

※この文章は2017年3月に書いています。


【1.映画館=映画感】


「ラ・ラ・ランド」を語る上で、 まず始めに言っておかなければならないことがあります。 アカデミー賞もあり、それなりに観る人がいると思います。で、その中には「ま、DVD に なったら観ようかな」という人も一定数いるはずです。

しかし映画は感じるもの。セリフやナレーション、テロップだけでなく、映像のカメラワークや美術、小道具、衣装、音楽、そして生身の俳優の演技を全て結集することで命が吹き込まれます。「ラ・ラ・ランド」ほど、その映画の醍醐味の全てが詰まった作品はないと言っても過言ではありません。

どのカットの構図も大画面で観るために考えられて いるし、映画館の音響設備だからこそ伝わる臨場感が間違いなくあります。映画館で体験できるのが今しかないというプレミアム感さえも楽しんで欲しい、映画の魔法は劇場にあるのです。



【2.影響を与えた2本のフランス映画】


「ラ・ラ・ランド」が最も強い影響を受けているのは、ジャック・ドゥミ監督の「ロシュフォールの恋人たち」と「シェルブールの雨傘」だと感じました。幸運なことに 4 年前に早稲田松竹で2本立て上映があり、スクリー ンで観ることができました。カトリーヌ・ドヌーヴ全盛期の傑作です。

「ラ・ラ・ラン ド」は「ロシュフォール」で始まり、「シェルブール」で終わるような映画です。
今作の素晴らしいオープニングについては後述しますが、「ロシュフォール」のオープニングもスゴいです。主人公たちが島を渡るため巨大なクレーンに吊られながら優雅に 踊るのに合わせて、軽快なピアノが響きこれから始める物語へのワクワク感を高めます。


そして結末は完全に「シェルブール」を意識してます。「シェルブール」はセリフ が全て歌というオペラのような映画で、2012 年版の映画「レ・ミゼラブル」にも影響を与えています。「恋愛のタイミング」についての切ない話で、数年ぶりにかつての恋人通し が再会しますが...と、これ以上は自分の目で観て欲しいと思います。



【3.意外とミュージカルミュージカルしていない!】


とはいえこの2本はコテコテのミュージカルで、このジャンルが苦手な人には取っ付きにくいかもしれません。そもそも「ミュージカルが苦手」という人がなぜいるのか。ミュ ージカルというのは映画の演出方法であって、本来ホラーやアクションなどジャンルではないはず。ミュージカル系ホラー映画があってもいいし、ミュージカル系アクション映画があってもいいわけです。(実際にいっぱいありますが、そのへんは後述します)

つまりミュージカル系恋愛映画が苦手な人、あるいはこの演出に根本的な拒否反応を示す人が多いということなのでしょう。ではそれは何故か?

もしかすると「突然歌が始める」こと自体が問題というより、歌の最中に大枠の物語が停滞してしまうことや、ストーリーに穴が出来てしまうのが嫌だというのはありませんか?

ミュージカルをジ ャンル映画として好きな人は、これに耐性があるので純粋に楽しめますが、「真面目な観客」にとってはこれがノイズになるのではないでしょうか。


けれど安心してください、「ラ・ラ・ランド」はミュージカルが苦手な人にも楽しめます。曲の数自体は普通のミュージカル映画と比べるとかなり少なく、特に後半ではここぞの場面でしか歌いません。必然的に歌がストーリーの中で役割を持ち、曲中にもストーリーは前に進んで行きます。


例えば「Someone In the Crowd」という曲の場合、ミアがパーティに行くというシーン全体が1つの楽曲になっています。周りの浮かれ具合とそれに乗れないミアの複雑な心境が対比され、キャラクターの説明にもなっています。

「A Lovely Night」は映画のポスタ ーにもなっていますが、ハリウッドの夜景が見える高台でミアとセブが初めて踊るドラマチックなナンバー。曲の始まりと終わりで、2人の関係性が変化していきます。



そして僕が最も好きな曲「Audition」は、ミアが元女優の叔母の話を即興で歌い上げます。歌詞は叔母がセーヌ川に飛び込んだ話。ミアの叔母は川に飛び込み、風邪を引くけどそれでもまた川に飛び込むといいます。これは、「私は何度オーディションに落ちても、 その度にまたチャレンジする」というミアの決意表明です。これをエマ・ストーンの顔の クローズアップの1カットで描きます。しかもこれは、最初のオーディションシーンと同じ構図。撮り方を重ねることでミアの変化をより鮮明に印象づけているのです。


ということで「ラ・ラ・ランド」は曲で物語が停滞せず、むしろ楽曲がストーリーの推進力になっているというわけです。

余談ですがミュージカル系恋愛映画が苦手だという方にも楽しめるミュージカル映画を2作紹介します。まずは「ブルース・ブラザーズ」です。これはミュージカル系アクション&コメディ映画です。底抜けにバカバカしく、特にラストのカーチェイスなんかはやり過ぎどころの騒ぎではありません。しかし楽曲が最高だし、ゲストがあり得ないくらい豪華なので観ていてとにかく幸せな気持ちになれます。

それから「サウスパーク/無修正映画版」です。ミュージカル系ブラックジョークアニメ映画とでも言うべきか。とにかく恐ろしいほどに低俗で下品なのですが「レ・ミゼラブル」のone day moreのオマージュの曲があるなど、全ての楽曲が信じられないくらいレベルが高いです。「ケッ、ミュージカルなんて」という人にこそお勧めです。



【4映画史に残るオープニング】


デミアン・チャゼル監督は前作「セッション」で世界に衝撃を与えました。「セッション」はとにかくラスト 10 分が圧巻で、アカデミー賞では編集賞をとっています。

カッティングを重ねることで音楽のようにテンポを生む編集は見事です。しかし1秒に満たないカットの中でスティックが叩くシンバルを超高速でパンしたり、JK シモンズ演じる鬼コーチの表情はあえて長めに見せたり、あるいは今回の「ラ・ラ・ランド」でもやってたけど、高速パンを繰り返して2人の文字通りのセッションを表現するなど、最初から編集のかなり細かい構成が決まった上で撮影をしていることが見て取れます。

そして今作オープニングではいきなり大勢の演者を動かし、その間をカメラもグルグルと駆け抜けていく1 カットで撮影に挑戦。ラスト←→オープニング、細かいカッティング←→長回しと対照的ですが、綿密に練り上げた画面構成は「自分がどれほど成長したか見てほしい」と言わんばかりです。正直これをどうやって撮ったのかさっぱり分かりません笑。LA の高速を通行止めにして、繰り広げられる圧巻のダンス。ショットが俯瞰になると分かりますが、本当に遠くの方まで車が続いていて鳥肌が立ちました。しかもパンフを読んで知った んですが、これ 37°Cの気温の中で撮影されたそうです!プロ根性に脱帽です。




今回チャゼル監督がこだわったフィルム撮影。極力 CGを排除し「存在するもの」を撮るのは、映画のテーマに対し至極誠実です。ダンサーやスタイリス ト、特殊メイク、美術などスタッフ総出で映画全体に彩りを与える。そしてその中心で俳 優が生身の身体を使って表現をする。大人達が必死に嘘を作り上げるのが映画ですが、撮影しているものがリアルなほど、観る人の心に訴える「なにか」があるはずです。


オープニングは、ダンサーの服が派手な原色で、画面全体が色彩の豊かさに溢れていま す。「Another Day of Sun」は、ハリウッドを夢見る若手俳優たちが上手くいかなくても 「また日は昇る」と自らを鼓舞する希望に満ちた曲です。大渋滞の鬱屈を晴らすダンスの連続は、そのまま映画のメッセージになっています。「現実を抜け出して。おいでよ君も ラ・ラ・ランドへ」と。まさしく極上のエンターテイメント。このオープニングシーンも また、「セッション」のラストシーン同様、映画史に残る名場面になったと思います。


【5.光るチャゼル監督の演出】


若干 32 歳にしてアカデミー監督賞を受賞したデミアン・チャゼル監督。パンフレット の情報によると、すでに 2006 年の時から「ラ・ラ・ランド」の構想はあったそうです。 しかし、豪華絢爛なミュージカルを作るには莫大な予算が必要。そこで、彼は低予算で 「セッション」を成功させ、自らの実力を証明した上で念願の企画を通したそうです。


したがって映画の演出には、細部にチャゼル監督の往年の名作映画への愛が溢れていま す。どのシーンがどの映画のオマージュか、詳しく知りたい方はネットを観るのが一番手っ取り早いです。


僕が気がついたのものだと、ラストの白昼夢は「雨に唄えば」の引用があります。「singin in the rain gotta dance」で検索すると動画が見れま す。初めて「雨に唄えば」を観た時、唐突に画面がサイケデリックになって驚いたのを覚えています笑。

他にも「雨に唄えば」のオマージュはいくつかあります。脱線しますが、 2011 年度のアカデミー賞作品賞の「アーティスト」も「雨に唄えば」の色々なシーンを引 用しているので、興味がある方は一緒に借りて見比べるのもいいかもしれません。



あとキスシーンでカメラが2人の周りを回るのは「めまい」です。やり尽されてるけど 「めまい」同様結ばれない2人の切なさを際立たせるドラマチックなカメラワークです。


とはいえ、ただ真似るだけでなく独自の演出が随所で光っています。例えば「Someone In the Crowd」の水中カメラが猛スピードで回転するところ。熱狂の中心の視点で、最後 に花火が打上るとことまでとにかく非情に荒々しく、若者たちの刹那的な欲望のもろさを暗示しているようです。


それから「セッション」の時同様、「音」を使った伏線の使い方が見事です。 「Mia&Sebastian`s Theme」は劇中で5回使われます。1 回目と 2 回目はミアとセブの出会いをそれぞれの視点から描き、セブがミアを邪見に扱うことが伏線になります。3 回目はミアがデートするレストランでスピーカーから流れます。ミアはセブのことを思い出し、 映画館に駆け出します。4 回目はセブがバンドの撮影で「何か弾いて」と言われてこの曲を弾きます。そして自分を見失いかけていたセブが再び夢を取り戻していくのです。
ここまではこの曲が、2人の人生を好転させるきっかけとして機能しています。ところ が最後にこの曲をセブが弾く時、歌が持つ意味は全く別のものになります。あの旋律を聞 いて、ミアは初めてセブと会った時のことを回想し、美しく残酷な幻想の扉を開けてしま います。

そしてセリフ無しで音楽に合わせて「もし2人が結ばれていたら」という夢がず 〜っと続くところで、


まぁ泣きますわな笑


曲が明るければ明るいほど、画面上の2人が 幸せそうに見えれば見えるほど、なぜだろう心はとても悲しくなるのです。

このシーンに僕はスゴく共通点を感じる作品があって、去年公開された「シング・スト リート 未来へのうた」という青春映画。

「シング・ストリート」も「ラ・ラ・ラン ド」同様、音楽と夢にまつわる話で、ダブリンに住む男子高校生の主人公がバンドでの成功を夢見るのですが...酸いも甘いも全てが詰まった青春映画の金字塔!というぐらい僕は 大好きで、今でもサントラを聴いては浸っています。

「Drive It Like Stole It」という 曲がかかるシーンでは、学校の体育館でプロム・パーティー風のMVを撮影しようとする けど、ヒロイン役の恋人が来ない状態で撮影が始まってしまいます。映像は「もしこの場に彼女が来ていたら」という主人公の幻想に切り替わり、その世界では離婚した両親も仲 良く踊っていたりしてと、とにかく涙なしでは見られないのです。「ラ・ラ・ランド」を 楽しめた方には絶対に観てもらいたい1本です、激押しです。


そしてもう一つ連想したのが、「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の 逆襲」の、ひろしの回想シーンです。前編セリフがなく、音楽だけで見せていく回想シー ンに強烈な催涙効果があるとこに共通点を感じます。

さすがにチャゼル監督は「クレヨンしんちゃん」は観てないとは思いますが、エピローグの大元の元ネタはマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」だと思われます。

「失われた時を求めて」は主人公が何気なく食べたマドレーヌの味にビビッときて、自分のこれまでの人 生がフラッシュバックしていくという、壮大な大河小説です。「失われた時を求めて」は 味覚、「クレしん」は嗅覚、「ラ・ラ・ランド」は聴覚ですが、いずれも五 感を刺激されて郷愁に襲われるという展開は共通しています。


【6.セブは監督の代弁者 ミアはロッキーの体現者】


映画のテクニカルな面の話が続いたので、内容についても触れます。パンフレットに掲載されたインタビューでチャゼル監督はこのようなことを言っています。

 ―「『ラ・ラ・ランド』は『セッション』とはかなり違う映画だけど、どちらも僕にとっ て個人的なテーマを扱っている。人生と芸術、現実と夢をどう釣り合わせるか。また特 に、芸術との関係と人間関係とをどう調和させたらいいのか。本作では、音楽と歌と踊りを使って、そんな物語を語りたかった」―



これには頷けます。というのもチャゼル監督の考え方や人生そのものが、セブというキャラクターにかなり反映されているからです。セブはクラクションが壊れているブラウン のオールドカーに乗り、”純粋なジャズ”を愛する男です。(そもそもジャズに純粋もクソもないと思いますが...)

現代的なポップ・ミュージッ クとか大衆に媚びるような音楽を敵視し、失われた「古き良き時代」こそが芸術だと考えています。しかし、自分がやりたいことと生活との折り合いで葛藤した末に、セブは妥協します。そんなセブをミアは非難する。「あなたがやりたい音楽ってこれなの?」と。
対してチャゼル監督も本当はミュージカル映画が大好きでミュージカル大作を作りたい と考えていました。けれども、待ってたらいつか誰かが手を差し伸べてくれるほど現実は甘くない。彼は限られた予算の中で「セッション」を作りました。「セッション」は大ヒットした一方で、批判も受けました。

「音楽は楽しむものだ、この映画は音楽を冒涜して いる」と。

チャゼル監督は悔しかったはず。彼ほど音楽を愛している人はいないし、 音楽のアンサンブルが持つ素晴らしさを分かっている人はいないからです。


これはどの職業においてもそうだと思うのですが、思ってたことと違うとか自分のやりたいことと違うからといって、与えられたものをテキトーにやったり投げ出したりするは勿体ないことなのだと思います。無意味だと思っても、そこで培ったことが意外と次の仕事に活きたりすることもあります。僕が就職活動をしていた時に、ОB訪問した方からこんな金言を頂きました。


ー自分が本当にやりたいこと、その軸がしっかりしていれば、遠回りでもいつか仕事の方 からやってくるものだよー


まさにその通りだと思います。セブは5年後に念願の自分の店を開くし、チャゼル監督も 今回の「ラ・ラ・ランド」で以前の批判を吹き飛ばしました。物語には描かれないけど、 セブはあのバンドで協調性というものを学んだのではないかと思います。ラストで彼が経営するジャズには一流のミュージシャンが集まっているわけで、他者と折り合いをつける ことを下積み時代に学んだのだろうと思います。チャゼル監督も同じです。「セッション」は監督の実体験に基づいていて、パワハラ教師による超スパルタ指導を受けた苦痛が 原点になっていると語っています。「セッション」を作ることで自分の黒歴史に一つのケリをつけ、前に進むことが出来たからこそ「ラ・ラ・ランド」はある。やはりセブにはチ ャゼル監督の仕事観が表れています。



対してミアが夢に向かっていく物語は、多くの映画ファンに「ロッキー」を感じさせたのではないかと思います。オーディションに落ち続けるミアに、セブは自分で脚本を書い て自分が主演すればいいじゃないかと提案します。ミアは自分の半生についての芝居をノ ートに書きなぐっていきます。


「ロッキー」は当時無名のシルベスター・スタローンが 27 歳の時に、たまたま観たボクシングの試合に感銘を受けて 3 日でシナリオを書き上げたと言われる作品。それまでス タローンは役者としては致命的な滑舌の悪さから、オーディションに 50 回は落ちたと言 われています。「ロッキー」の企画は通りましたが、低予算で作られました。全くヒット が期待されていなかったのです。しかし公開されると、記録的な大ヒット!ついにはアカ デミー作品賞を獲得するまでに至りました。


ミアの1人芝居と「ロッキー」に共通するのは、芸術とか創作活動というのは技術だけではないんだということです。ミアは芝居の後に廊下から漏れる酷評の声に落胆し、自分は才能が無いと絶望します。しかし、彼女の芝居に可能性を感じた人間もいました。それは技術うんぬんではなく、魂が伝わったからです。それをきっかけにミアが一気にスター ダムへと駆け上がって行くのも、『ロッキー』で成功した後のスタローンの実人生に重なります。


セブとミア、2人の夢に対する考えやそのアプローチの仕方は全く異なるけど、どちらも間違っていません。なぜなら創作活動や芸術というものは、それ自体が完全に自由であるべきだからです。「セッション」という映画が言いたかったのも実はその部分だと僕は思っています。芸術を志すどんな人間をもチャゼル監督は賛美しているのです。



【7.なぜ部屋の壁紙がイングリッド・バーグマンなのか】


最後の章です。映画の序盤、ミアが友人と同居している家のシーン。彼女の部屋の壁には巨大なイングリッド・バーグマンのポスターが貼ってあります。「ラ・ラ・ランド」で は、バーグマンとミアを関連づけるキーワードが他にも出てきます。ミアが働くコーヒー ショップは、映画「カサブランカ」で使われたセットのすぐ近くにあります。これを知っ たセブが、ミアに「こないだ電話してたのが君のボガードかい?」と尋ねます。さらにそ の後、ミアは女優を目指すきっかけの作品としてバーグマン主演の「汚名」を挙げています。


これはあくまで推測ですが、ミアというキャラクターはイングリッド・バーグマンがモデルではないでしょうか。去年公開された「イングリッド・バーグマン 愛に生きた 女優」というドキュメンタリーを観てそう思いました。


バーグマンはスウェーデン出身で、幼少期に両親を亡くし寂しさを埋めるため「一人芝居」に夢中になりました。女優として国内で成功した彼女は医師と結婚し、子宝にも恵ま れます。女優としてのステップアップをしたいとバーグマンは夫と子どもを残し単身ハリウッドに渡り、一躍トップ女優に上り詰めます。ところが、そこでイタリア人映画監督の ロベルト・ロッセリーニに恋をしてしまいます。バーグマンは夫と子どもを捨てる形でロッセリーニとイタリアに駆け落ちします。トップ女優のスキャンダルは当時大バッシング を受け、バーグマンは長い間アメリカの地を踏めなくなりました。



このドキュメンタリー映画の中で印象的なのがバーグマンが最初の夫と子どもと一緒に 遊ぶホームビデオ映像です。この幸せが長くは続かないのだと思いながら見ると儚いのですが、「ラ・ラ・ランド」でミアが幻想でみるセブとその子どもと遊んでいるホームビデ オ風の映像が、それにとっても似ているのです!


また本作内でも言及される「カサブランカ」は、かつて愛し合った男女が再会した時に は既に女が結婚しているという、「ラ・ラ・ランド」と同じプロットの映画です。しかも 「カサブランカ」で2人には思い出の曲「As Time Goes By」という曲があって、2人が 再会する時にピアノが弾かれるところまで同じです。


さらに私見ですが、ミアを演じるエマ・ストーンという女優がイングリッド・バーグマ ンと似た資質を持っています。彼女は超正統派美人というよりは、むしろファニーフェイス。ミアのルームメイトが皆モデル体系なのに対し、どこかちんちくりんに見えます。


けど常々思うのが、女優は美人過ぎない方が魅力的だということ。黒木華や安藤サクラ然り。初めはそこまで可愛くない子が、物語の進行と共に見違えていく...それこそがドラ マの醍醐味です。

イングリッド・バーグマンも、化粧が薄い時は割と普通だし体系もムチっと していてなんかパッとしない。ところがメイクして、ドレス着て、照明を浴びると見違えるように美しくなる、そんな女優になるために生まれてきたような人でした。エマ・スト ーンも 21 世紀のバーグマンになれるのか、これからが楽しみな女優です。


そしてパンフによると、ミアのバリスタ・ブラウスはバーグマンが以前スクリーンテストで使用した服を参考にしたとのこと。以上の点から、ミアというキャラクターはバーグマンへのリスペクトが込められているのではないかと考えました。


【8.おわりに】


今回のアカデミー賞授賞式では前代未聞の珍事が起きました。作品賞は「ラ・ラ・ラン ド」...かと思いきや、手違いによってまさかの「ムーンライト」でした。ふと思いだしたのは、映画の冒頭でセブが車のラジオから流れる「恋に落ちたシェイクスピア」の曲が流れそうになると、鬱陶しそうにジャズのチャンネルに変える場面。

「恋に落ちたシェイク スピア」は 1998 年のアカデミー作品賞を受賞しましたが、これは当時の映画ファン・関係者からは大ひんしゅくでした。スティーブン・スピルバーグ監督の「プライベート・ラ イアン」が受賞できなかったからです。「プライベート・ライアン」以前と以降で戦争映画の作り方は大きく変わったし、「プライベート・ライアン」は間違いなく映画史に残る 傑作。対して「恋に落ちたシェイクスピア」は今では、誰もどんな話か覚えていないような作品。僕も覚えてるのはグウィネス・パルトロウのヌードシーンがあったことだけです 笑。


そんないわば「ネタ」になってしまった「恋に落ちたシェイクスピア」の呪いで、「ラ・ラ・ランド」はあんなことになってしまったのかな、 なんてくだらないことを考えている今日この頃であります。(追記:その後のMe Tooムーブメントを鑑みれば、やはりこれはハーヴェイ・ワインスタインの呪いなのか?しかし『ラ・ラ・ランド』は何も悪いことしてないのに!)

とはいえ主演女優賞・監督 賞・撮影賞など堂々の6部門を受賞しました。デミアン・チャゼル監督は32歳、エマ・ ストーンは28歳での受賞です!2人の今後の活躍が楽しみです。長文・駄文を最後まで読んで頂いた方、誠 にありがとうございました。


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