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チャットモンチーの歌詞の素晴らしさを改めて見直してみません? ②染まるよ編

<はじめに 前回のおさらい> 

前回チャットモンチーの代表曲「シャングリラ 」の歌詞は実存的不安に陥った若者が、それを自己完結的に乗り越える物語について歌われたものじゃないかと推察した。途中で脱退したが、ドラマーで多くの歌詞を担当した高橋久美子さんの歌詞はレトリック(比喩)を使ったり、話が抽象的でファンタジックなものが多い。ゆえにキャッチーな曲もどこか内省的だったり、哲学的だったりする。


 対して今回取り上げる「染まるよ」を作詞したベースの福岡晃子さんの詞は、描写が細部にわたって丁寧なのが特徴だ。それが橋下絵莉子さんのハイトーンだけど聴き取りやすい歌声に乗ることで、脳内で情景がしっかりと映像化される。文章力がとにかく素晴らしいの一言につきる。
 「染まるよ」は日本の音楽シーンが始まって以来、失恋ソングの最高傑作なんじゃないかってくらい完成度が高い名曲だ。僕の中ではくるりの「東京」に並んで、何回聴いても思わず目がウルウルしてしまうほど曲と歌詞が完璧に融合した傑作である。


<男女の別れを写実的に切り取る「染まるよ」>

とにもかくにも、まずこの21世紀の音楽史に残る曲を聴いてください。

チャットモンチーで「染まるよ」です、どうぞ。


ここからは、その歌詞を見ていこう。最初の2行はこんな出だし。

歩き慣れていない夜道をふらりと歩きたくなって
蛍光灯に照らされたらここだけ無理してるみたいだ

 町中「わたし」以外寝静まっているのに、「わたし」は夜風に当たりたくて散歩をする。この対比は暗闇と、蛍光灯の光が照らす地面にも通じる。
だから「わたし」が道の片隅を「無理してるみたい」と思うのは、
自分が無理をしていると言っていることと同じだ。
歩き慣れていないということは「あなた」の家を出てきたのかもしれない。

大人だから一度くらい煙草を吸って見たくなって
月明かりに照らされたら悪い事してるみたいだ

 「一度くらい」ということは、この瞬間まで「わたし」は煙草を吸ったことがない。だが、のちにわかるが「あなた」は愛煙家だ。このことは「染まるよ」というタイトルにも関連する重要な情報。
そして今度は月が「わたし」を照らす。おそらく「わたし」は「あなた」とふたりで道を歩いているのだろう、そして「わたし」にもらい煙草をするのである。次の2行はこうだ。

あなたの好きな煙草
わたしより好きな煙草

 この2行で少しゾワっとする。えっ…どういうこと?ここは解釈の余地がたくさんあるが、2人の関係がまだ上手くいっていた時に「わたし」は「あなた」に何度も煙草をやめるようにせがんだのではないだろうか。「わたしのことが本当に好きなら、禁煙してくれるよね?」と。「あなた」は半分返事で「分かった」といい、しかし暫くしてまた煙草に火をつけてしまう。そんな「あなた」を「わたし」は「もう、しょうがないな」と呆れつつ、そこが可愛らしいと思っていた。そんな時代もあった…だけど「あなた」は最後まで煙草をやめることはなかった。

いつだってそばにいたかった
分かりたかった満たしたかった
プカプカプカ煙が目に染みるよ
苦くて黒く染まるよ

 ここでこの詞がテクいのは「染」という字で「しみる」と「そまる」の2つの表現を使っていることだ。「しみる」は触覚で、「そまる」は視覚なので別の五感。ちなみにこの曲は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感すべてが入っているところも素晴らしい。「わたし」の初めての煙草の味は苦くてマズいものだったし、目が染みるという「痛み」を伴うものだった。
 これはハッキリ「あなた」との別れをさしている。煙草の煙が黒く染まるというのは、つまり夜の空気の中に消えていくということであり、2人の関係の終わりを意味する。

火が消えたからもうだめだ
魔法は解けてしまう
あなたは煙に巻かれて後味サイテイ
真っ白な息が止まる
真っ黒な夜とわたし

 この表現で分かるように、この夜道の散歩が恐らく二人で過ごす最後の時なのだろう。煙草の火が消えたことで、「あなた」は別れを告げて去ってしまう。「わたし」は一人アスファルトの上に取り残されている。またもう1つポイントなのが、ここまでの歌詞を見ると「わたし」の方が「あなた」に対して未練があるように感じられるところだ。ところが、これは大サビの前に一気に反転する。この構成もこの曲の見事なところだ。

いつだってそばにいれたら
変われたかなましだったかな
プカプカプカ煙が目に染みても
暗くても夜は明ける

 ここで初めてポジティブワードが登場する「暗くても夜は明ける」だ。ここまで一貫して、蛍光灯や月や煙草の煙や吐く息などをあえて列挙することで、夜の暗闇の深さ・黒さを強調していたが、「わたし」はその闇には飲み込まれないのだ。そして次の2行がこの歌の白眉となる部分。

あなたのくれた言葉正しくて色褪せない
でも もう いら ない

 ここで「わたし」は「あなた」への未練をバッサリと断ち切る。しかもここから転調するので、まさに曲全体のターニングポイントだ。ここは少し詳しく説明したい。
 まず「染まる」という言葉を恋愛でこんな状況で使うことはないだろうか?「あなた色に染めて」とか「俺色に染めたい」とか。実際に言ってる人は余りみたことないけど、少女マンガとかガキ向けの学園ドラマの陳腐なセリフとしては良く使われる表現じゃないだろうか。
 ところが「染まるよ」という曲では、「わたし」は「あなた」好みに染まらなかったことが分かる。「あなた」が煙草を吸うのを快く思ってないし、自分も別れるまで吸おうとはしなかった。それから「変われたかな ましだったかな」というのも、あなたの望むような女になることができなかったことへの罪悪感を吐露している。

<あの映画にも通じる歌詞が伝えたいテーマ>


 だけど、だけどだ。じゃあなんで「わたし」は「あなた」に染まらなかったのか。それがこの2行に込められている。つまり2人は本当に愛しあっていたけど、お互いが進むべき道は別々にあって一緒のレールにのっていなかったのだ。「わたし」は自分の道を捨てて、ただ「あなた」についていくことは出来なかった。それがここで解き明かされるのである。

 書いてて思ったのは「ラ・ラ・ランド」がまさにそういう映画だったなぁってこと。2人の若者が燃えるような恋をして、互いに夢を追いかけていて。でも夢を叶えてしまうと、それは2人が別々の道に進まなければいけなくなってしまう。愛してるのに別離を避けられない、そんな物語だ。

 「染まるよ」の2人にも、それぞれの朝がやってくる。そこで「わたし」は朝焼けに矛盾しているような思いを捧げるのだ。

いつだってあなただけだった
嫌わないでよ 忘れないでよ
プカプカプカ煙が雲になって
朝焼け色に染まるよ

 この曲が面白いのは、「あなたが大好き」という気持ちと「でももう一緒にいられない」という気持ちの両方に素直なところだと思う。あなたとの繋がりが全くなくなることは嫌だけど、でもそうしなければならない、その苦しみを最後まで「わたし」は抱えている。
 だけど最後の2行は、それでも彼女の未来が前に進むことを暗示している。なぜならその宙ぶらりんでどっちつかずの心を、プカプカと漂う煙草の煙に象徴させているからだ。その煙が新しい1日の始まりを告げる朝日と同化していく、それは「わたし」をまたリスタートさせるのだろう。

<まとめ 僕の脳内に浮かんだ「わたし」>

 まとめると「染まるよ」は福岡さんの卓越した情景描写によって、まるで映画のワンシーンのような物語が出来上がっている。


暗い夜道を並んで歩くカップル、2人は別れを予期している。
「最後に一服だけしてみたいの」
女の一言に男はうなずき、煙草を差し出してライターに火をつける。
煙を吸いこみすぎてむせる女、それをみて思わず笑ってしまう男。
無言のまま、しばらく時が流れる。男の煙草が尽きた。
「じゃ、元気でな」
それだけ告げて男は独りで家路をゆく。女はその背中を見つめる。
涙がこぼれないように空を見上げる女、月が輝いている。
女は空に向かって息を吐いた。煙草の煙は闇に消えた。
いつの間にか空のふちがオレンジ色に染まっていた。
朝焼けをしばらく見つめた後、女は少し笑って地平線に向かって歩き出した


これは僕が「染まるよ」から想像した映像をト書きにしたものだ。
陳腐なもので申し訳ない。
もちろん、泣いたとか笑ったとかはこっちの妄想に過ぎないが、
そう思わず換気させてしまうところに、この歌詞の凄さがある。

 また第1回の「シャングリラ」にも共通している点は、主人公の「わたし」が強い意志を持った女性であるということだ。「わたし」は「あなた」が好きだったが、最後まで「あなた」に染まろうとはしなかった。「シャングリラ」同様、自分の道を歩むのである。
 これって実はすごく現代的ではないか。例えばシェイクスピアでも何でもいいけど、昔の恋愛物語は身分差だとか、人種の違いとか、親が仇同士とか、そういう障害を乗り越えて結ばれることにカタルシスがあった。
 だけど自由恋愛の時代に、そういう障害を作るのは難しい。少なくとも一般的ではないだろう。だから自分の将来設計とかキャリアプランこそが実は最大の障害ってのは、ぶっちゃけ皮肉だが面白いことだと思う。「仕事とわたし、どっちが大事なの?」は実は「自分とわたし、どっちが大事なの?」に置き換えられるのかもな、なんて考えてしまう。「染まるよ」はもう10年以上前の曲だが、全く古びれていない。

 またしても文章がクソ長くなってしまったので、今回はここまで。次回は最終回、ボーカルのえっちゃんこと橋本さんが作詞した「majority blues」を解説する。言葉の魔術師ともいおうか、豊富な引き出しで内省的な世界観を紡ぎ出す高橋さんや、情景が目に浮かぶ写実的な表現を得意とする福岡さんとまた違って、橋本さんの詞はとてもシンプルだ。どこか冷んやりとしていて、だけどその冷たさの中に実は熱いものが流れているとでもいおうか。詳しくはまたその時に書きます。


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