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2019年3月母校にて

 本日、母校愛知大学豊橋校舎にて、大学の指導教官の「最終講義」があり、聴講に行ってきました。
 私は豊橋市の隣の豊川市に在住在勤ですが、だからといって大学に行く用事がなければそこに行くことはなく、今では年に1回、アメフト部のOB戦が行われるゴールデンウイーク中の1日のみです。
 久しぶりに「恩師」伊東利勝先生のお顔を拝見しました。表題は「歴史学の再審」で、内容としては「歴史学というもの」を先生の経歴と重ねながら述べていくものでした。先生は先輩から「何のために歴史学を研究するのか」を問いかけられ、それに対して先生は先生なりの目的を持って取り組んできたと述べられました。私が学生のころ、直接だったか間接だったかは忘れましたが、やはり「なぜ君たちは歴史学を専攻するのか」という問いに対して、「好きだから取り組むではダメなのか」としか答えられなかった私はやはりぼんくらだったことを思い出しました。あと、東南アジア、特にビルマ(ミャンマー)を専門としていた先生からは「東洋史基礎講読Ⅱ」という授業で英語の文献講読訓練を受けましたが、英語が得意ではない(むしろ苦手)だった私を含む多くの者が、授業中に先生から英語の文献の和訳を指示され、しかしながら適当な訳文を作ることができず、答えているこちらも何のことを言っているのかよくわからない「直訳」で応えると、すかさず先生からお決まりの定型句「それはどういうイミだ」と厳しく突っ込まれたものです。そういうわけで私にとっては「厳しい先生」だったのですが、歴史学に対するアプローチの仕方は、学生時代は経済学生だった先生らしく社会科学的で、単なる歴史知識自慢でしかなかった自分の「蒙」を啓くものでした。
 部屋の中に自分の同期生、もしくは先輩後輩がいないかキョロキョロしましたが、卒業してから30年近くたちますので判別がつきませんでした。たぶん誰もいなかったと思います。講義終了後、先生にあいさつしようかとも思いましたが、たくさんの受講者が列をなしていましたので、まあいいかと思い退出しました。来てよかったです。(後日、私の2期上の方々の主導のもとで「囲む会」が開催されました。先輩がたのバイタリティーには今も圧倒されます)

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