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日本アメリカンフットボールの殿堂(3)

 わが社、東海学生アメリカンフットボール連盟に関する掲示です。
 東海地区で60年代に活動していた愛知学院大学と名古屋学院大学は、関西学生アメリカンフットボールに加盟し、関西の2部にあたる近畿学生リーグで試合していました。試合のたびに関西に行っていたのですが、当時の交通事情を想像すると相当大変なことだったのではないかと思います。余談ながら今や日本一級の学生チームである立命館大学は、関西で6番目にできたチームですが、当時は近畿リーグ所属でした。
 やがて岐阜歯科大学(現:朝日大学)が加盟、そして愛知大学と中京大学が加盟申請を行いましたが、これで東海地区が5チームとなるので、これを機に関西学生連盟から分離し、75年に東海学生連盟が発足しました。
 その後、77年に名古屋大、岐阜経済大、名城大、中部工業大(現:中部大)、名古屋工業大、南山大が参加し、東海連盟は1部2部体制(当時はABブロック)となりました。そしてさらに、78年に東海大学海洋学部、83年に信州大と岐阜大、87年に三重大、88年に日本福祉大と名古屋商科大、91年に四日市大、94年に静岡大が参加しています。
 一方、福井大と金沢工業大も近畿リーグに参加していましたが、金沢経済大と金沢医科大のチーム発足に伴い79年に北陸学生連盟が発足しています。東海連盟と北陸連盟は、関西連盟から分離して独立したという経緯から、独立後も「当分の間の特例措置として」それぞれのリーグの優勝チームを関西(近畿)2部リーグ優勝チームと同格として扱い、関西リーグ入替戦出場の権利を保有していました。そして1年だけ中京大が関西リーグに参加しました。(2009年からは、甲子園ボウルの全日本大学選手権への移行に伴い、その特例は廃止されました)。理屈で言えば甲子園ボウル出場も可能(のはず)でした。あくまで理屈の世界ですが、しかしながらこれがあるとないとでは大違いなのです。大学生時代は、新入部員勧誘の際の文句として、ウチらも頑張れば甲子園ボウルに出られるなどと言って何も知らない新入生を騙していて、これが結構有効だったわけです。あとは京都大学ネタで、あの京都大でも日本一になれる、だから自分たちも日本一はともかく、それなりに活躍できる、という半ば詐欺に近いことを言っていました。80年代は関西学院大と日本大以外のどのチームも京大ネタを使っていたのではないでしょうか。さらにもう一つ。87年シーズンでしたが、わが社愛知大はリーグ開幕戦が名古屋大。当時名大はショットガン攻撃を採用していました(当時ショットガンは特別なフォーメーションだったのです)。そして試合直前の練習修了後に「京都大は日大ショットガンを封じ込んで勝利した。だから我々も名大ショットガンに対して勝利できる」というようなことをどなたかが言っておられたのを記憶しています。当時私は素直な1年生だったので「そういうものか」と思っていましたが、今から思うと噴飯ものです。
 それに対して、中国四国地方(中四国学生連盟)と九州地方(九州学生連盟)はそれぞれで活動を始めたので、その当時は甲子園ボウル出場のルートはありませんでした。岡山大は中国地方ですが中四国連盟発足以前から関西連盟に加盟していたので、それ以来関西所属です。鳥取大は中国地方、徳島大は四国地方で、当初は中四国連盟所属でしたが、広島よりも関西の方が距離的にも交通的にも至便なので、途中から関西連盟に所属変更しています(このあたり私の記憶違いがあるかもしれません)。あと、地図では新潟県も東海学生連盟のエリアとなっているように見えますが、実際には新潟大は関東学生連盟所属となっています。

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