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2009年鴨緑江上流中朝国境旅行(概略版)

 2009年7月@吉林省長白朝鮮族自治県。瀋陽からバスを乗り継いで約10時間かけて到着。
 鴨緑江上流の中朝国境を見に行った。
 瀋陽からローカルバスを乗り継いで、約7時間かけて臨江という街についた。

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 ふだんはホテルを予約して出かけるのだが、この街についてはネットで予約できるホテルがなかったので、バスターミナルを降りて、しばらく街を歩いてみると、割とこぎれいなホテルを見つけたので、直感でここにしようと決めて乗り込んだ。

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 ホテルに来るのは、当然泊まりたいから来るわけで、言葉などできなくても何の問題もないと高をくくっていたが、すんなりチェックインとはいかなかった。何が問題なのだろうということで、筆談とジェスチュアで判断すると、どうやらパスポートに中国ビザがないことが問題らしい。今は観光目的の短期滞在では中国ビザは必要ないが、そういうことを知らないらしい。外国人が来なさそうな辺境の街なので、それも仕方がないかもしれない。日本人はビザは要らないことを伝えたのだが、そんなことないと思い込んでいるようだ。
 すったもんだの末チェックインしてしばらくすると、また従業員がやってきて、日本語ができる人が電話に出るので話してもらいたいとのこと。こんな田舎町に日本語ができる人がいるのかと少々驚いたが、いざ話してみると、本当にわかっているのかあやしい日本語で、やたら相槌に「そうそう、そうそう」というのが癖だ、一体なにがそうなのか。
 こちらが伝えたいのは、日本人はビザはいらない、ということなのだが、結局何も伝わっていなさそうな感じで電話は終わった。しばらくすると、今度はさきほどの電話の主と思われる男が部屋にやってきた。そこまでしなければならない大きな問題なのかと、またこんなことに付き合わされるなんて随分迷惑なことだろうなと同情したが、最終的にビザのないパスポートを見せてみんな納得できたようだ。不審者として通報されて、公安警察がホテルに乗り込んでこなくて良かった。と思っていたら、あとで本当に公安が乗り込んできた。
 臨江の街の中に鴨緑江があり、かなり上流なので川幅は豊川くらいまで狭まっている。対岸は北朝鮮だが、ただの野原で、人は見えず、監視所らしき建物があるぐらいで、国境という雰囲気は全然ない。
 遊覧船乗り場らしき場所があったが、この日は船がなかった。この日は、遠くへ来たなあという感慨にひたりながら、ただ川を眺めていた。

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 翌日早朝、ここからさらに奥の長白という街へバスで移動した。このバスは川沿いの道を走るので、進行方向右側の窓からずっと北朝鮮が見える。幸い通路右側の窓側の席を確保できたので、ひたすら写真をとりまくった。よくスパイと間違われて通報されなかったものだ。
 対岸は野原、たまに農家らしき民家や畑があって緑一色だが、樹木はほとんどない。噂では、燃料にするために切っていたら禿山になってしまったとか、中国に逃亡させないために、姿を隠せる木を切ってしまったとか。

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 3時間くらいで長白についた。こんな田舎の奥地の割には街の規模がりっぱに見える。ここも鴨緑江が国境で、対岸は恵山(ヘサン)という、そちらもそこそこ大きい街だ。

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 今までとは違って、普通に人が住んでいるナマの街が見えるので、全ての景色が「すごい」のオンパレードだった。川幅も、場所によっては近所の二級河川より若干広いくらいのところもある。どちらの住民かわからないが、川の中で釣りをしている人もいる。

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 高層の、しかしながらぼろぼろのマンションアパートや、台風がきたら吹き飛んでしまいそうな掘っ立て小屋のような平屋建ての住居、一体何を作っているのかわからないただの町工場のような工場が見える。

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 住民が普通に道を歩いていて、たまに中国でももう使われていないタイプのおんぼろバスが走っているのが見える。

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 川にかかる橋がないことと、「21世紀の太陽金正日将軍万歳」などと書かれた看板が一方だけにあることに気がつかなければ、両岸とも一体の街に見える。

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 川沿いに歩いていると、一度パトカーのような車が通り過ぎていった。ここら辺りでは脱北を支援しているNPOが活動しているらしく、当局を刺激しているが、自分には関心がないようだ。現地人が散歩しているようにしか見えなかったのかも。

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 この街でもホテルの確保に苦労した。最初にいわゆるいいホテルに行ってみた。そんなホテルでも英語が通じなかったが、それでも満員ということはわかった。
 少々小汚なさそうな旅館にまでチャレンジしてみたが、だめだった。この街は観光の拠点でもあるから、どこも満員なのだろうか。
 そこで半ばやけくそ気味に旅行会社に飛び込んで、中国語会話帳の中から「ホテルを探しています」みたいなところを示してみた。時間はかかったが、こちらの意図を理解したみたいで、どこかに電話した後、旅行会社の指示にしたがってタクシーに乗っけられたら、だんだん街から離れていく。
 どこまで行ってしまうのか不安になりかけたら建物の前でバスが停まった。どうやらここらしい。ホテル旅館というよりは招待所のようだ。
 ここでのチェックインは、臨江のホテルの倍時間がかかった。結局なにが言いたかったのかというと、
①3人部屋を貸切にするかどうか、その場合は3人分の料金となる。
②食事は要るか。
③バスのチケットを手配してあげる、いつどこへ行くのか。
ということだった。今から思うと少々無茶だったかも。
 しかしながら、ここから見える北朝鮮はなかなか大迫力なので、また、雨が上がった早朝の景色は、なんだか木曽谷の中にいるようだ。

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 やはり北朝鮮に関心のあるかたはぜひ一度行っていただきたい。



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