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すべからく『愛』を謳え 第3話 『報復』

すべからく『愛』を謳え  第3話  『報復』

宣告

  志保の目の前に現れたのは、紛れもなく梨乃だった。しかもその出で立ちは、取り急ぎ着合わせたかののように、皺だらけのシャツと、ボタンを締め掛けのデニム。妙に艶めいて蒸気した表情が、なにかの最中であったことを想起させた。
「あ、ほんとに来ちゃった」
  悲壮な面持ちの志保を目の前にして、少しだけ枯れた声で、梨乃は冷たく呟いた。
「誰だよ?  このタイミングで誰が来たんだよ!」
  薄暗い部屋の中から、ドタドタと足音を立てて、トランクス一丁の名護が志保の目の前に現れた。
「何?」
  志保を一瞥すると、名護は恨めしそうに無愛想に口を開いた。
「何って、その、連絡がつかなかったから、大丈夫かな?  って思って……」
    志保は泣き入るかのように、ぼそぼそと呟く。
「は?  別に用事なんてもう無いし」
  口調や態度からして、今、目の前に居る名護は志保が知っていた名護ではなかった。あんなに親切で、あんなに優しかった名護がまるで人が変わったかのように豹変している。
  何がどうなって、こうなってしまったんだろう?
  どうしても腑に落ちなかった。
「あの、名護先輩、!  私たちって、その……」
  志保は勇気を振り絞って、自分の想いを言葉に置き換える。
「私たちって、付き合ってたんじゃ……」
「ウケる〜!  拓海があんたと付き合う訳ないじゃん!」

  志保の言葉を制して、名護より先に声を上げたのは梨乃の方だった。
「あのさぁ、一度ヤッただけで彼女面するのやめてくれない?  こいつとも付き合ってないのに、春原さんと付き合う訳ないじゃん!  いちいちヤッた奴と付き合うなんて無理無理!  身体がもたないって」
 名護はそう言いながら、 梨乃と顔を合わせて笑い転げた。
「え?」
「あ、なんか勘違いさせてたら申し訳ないんだけど、もう俺、春原さんには興味無いんだよね。だって春原さん、もう中古なんだよ!  俺にとってはもう価値が無いんだよ。それこそ、すんげーテクってたりしたら話は別だけどさ。ま、中の下くらいだったし」
「ちょっ、拓海それひどくない?」
  笑いながら茶々を入れる梨乃。
「中古……」
  名護の言っている意味がよく分からなかった。
「それが現実なんだから仕方なく無い?  だから、春原さんさぁ、他の誰かを当たってくれる?」
  軽快に言い放つ名護。
  したり顔で見下げる梨乃。
「最低!」
  志保はそう言い捨てると、急いで二人の前から走り去った。
  
  


『なんで?  なんで?  なんで?』
『二人ともグルだったんだ!』
『二人して私達の事をバカにしてたんだ!』
   階段の軋む音などお構い無しに、彼女は一目散に駆け下りた。

『先輩のバカ!』
『梨乃、梨乃なんて大嫌い!』

  溢れ出る涙と鼻水を抑えきれず、顔面をぐしゃぐしゃにしながら、彼女は無心で走り続けた。


  志保は一瞬にして、愛すべき人と、親愛なる友人、二人を失った。ほんの数分前まで揺るがなかった二人の存在は、音も立てずに瞬く間に崩れ去った。
  自分はただただ弄ばれていただけ。
  あの二人は、自分の知らない所で親密に繋がり合い、きっと嘲笑っていたに違い無い。

  そう考えれば考える程、名護、梨乃と分かちあって来た今までの時間がそれを否定し、心と頭の中で泣き喚いた。二人の優しかった顔は嘘では無かったはず。なのに、まるで表と裏をひっくり返したかのように、それは激変した。
  『夢なら覚めて!』
   心底そう願うも、頬を伝う雫と、にわかに降り出した雨の冷たさが、『現実』である事を彼女に突きつけた。


  気がつけば、彼女はまたいざよい橋に辿り着いていた。手すりにしがみつき、声を殺しながら、歯を食いしばった。
  雨はやがて本降りとなり、たちまちアスファルトを波紋で埋め尽くす。
  すれ違う人々は皆、傘で視界を遮り、一人泣き濡れる少女には、誰一人見向きもしなかった。


   雨は容赦なく志保を打ち付ける。
   傘を持たない志保は、雨に打たれるがまま、ずぶ濡れに。打ち付ける雨音も激しく、周囲の喧騒を遮断し、彼女の耳を支配する。

『……しい……ぁに?』
  その雨音に紛れて、誰かの囁く声が、彼女の耳元に届く。それは途切れつつも、徐々に輪郭を伴い、明瞭になっていく。
『あなたは……欲しいものは……なぁに?』
  いつぞやの夢で聞こえた声がまた、彼女の耳元に問いかける。
  「な、名護先輩が欲しい……」
  藁をも掴む思いで、志保はそう叫んだ。
  現実を突き付けられてもなお、彼女は名護を求めた。どんなに蔑まれても、弄ばれても、彼女は名護が欲しかった。彼は彼女の全てに侵食し、思考の全てを占領していた。
  愛しさも憎しみも一塊になって、『名護』という存在は、彼女を支配していた。
  『あたし……と……一緒……』
  その声は一呼吸おいて、吐息混じりに志保の耳に噛み付いた。鋭い痛みを感じたその瞬間、志保は手すりの向こうの揺れる水面に、うっすらと笑う誰かの口もとを見た。
  そして彼女も、それに合わせて口角をあげるのだった。



②真相
「本日のご会計、六万八千円です」
  偽りの去勢に身を包んだ強面の男は、満面の笑みで料金トレイを差し出した。
  聡太郎は財布の中から、泣け無しのその金額を取り出し、トレイの上に重ねて置いた。
「ちょうど頂戴致します。それではこちらの番号でお呼びしますので――」
  聡太郎は促されるままに、待合室へと入っていった。

  聡太郎はあの時、橋で出会った若い女性が、今回の怨念のターゲットである事を直感的に悟った。しかし、彼女に対して出来ることは、彼にはまだ無かった。一言だけ彼女に注意する旨だけを伝えたものの、それだけでは十分では無いことは分かっている。
  根本である女性の念を追い掛けて、それに寄り添う事が先決、そう思い、彼はここに辿り着いた。
『ときめき女学園』
  橋のたもとにあった花束から見えた映像に、この店が映り込んでいた。
  改めて、あの女が走り始めた地点に足を向けると、すぐにこの店の電光掲示板が目に入った。そこは所謂風俗店が集まるエリア。男心をザワつかせる看板が立ち並び、その怒涛のエネルギーに、聡太郎は一瞬たじろいだ。
  気を取り直してその掲示板に駆け寄ると、店の入口にキャストパネルが貼られているのに気付く。そしてその中に、花束の映像の中に現れた幼い女性を、聡太郎は見つけたのであった。

「ご指名ありがとうございます。初めまして、ちなつと申します。今日はお休みですか?」
「まあ、そ、そんなとこです……」
「お兄さんはこういうお店では、よく遊ばれるんですか?」

  待合室で待たされる事二十分、通された部屋には見まごうこと無く、花束の中の女性が笑顔で佇んでいた。

「あ、いや、その、初めて……です……」
  本当に初めての事に、しどろもどろに答える聡太郎。
「じゃあ、私がお兄さんの『初めて』を貰っちゃってもいいですか?」
  腕を絡ませて、扇情的な表情を見せるちなつ。
  つい、目的を忘れそうになる自分を律して、聡太郎は彼女の手をそっと解いた。
「え?」
  怪訝な顔をするちなつ。
「いや、申し訳ないです。今日は遊びに来た訳では無いんです。えっと、ちなつさん?  に、お話を聞きたくて、実は伺ったんです」
「はぁ……」
  少しだけ警戒の色を見せるちなつ。
「いざよい橋に花束を置かれてるのは、ちなつさんですよね?」
  単刀直入に切り出す聡太郎。
「……」
  言葉に詰まるちなつ。
「何故、それを?」
  一瞬にしてキャストの表情から、幼くあどけない、本当の彼女のそれに戻るちなつ。
「もし、宜しければ、彼女の事を教えて貰えませんか?」
  そう言うと聡太郎は改めてちなつの手を握り、花束から見えた映像を彼女に流し込んだ。
 突然、頭の中に流れ込む過去の記憶に、彼女は驚きを隠せなかったようだ。
『え?  嘘!』
『なんで?』
『嫌!』
  独り言のように何度も呟きながらも、その花束に込めた想いが溢れ出し、最後は目頭を熱くさせるのであった。


  あの女の名は三井かなめ。
  城西大学に通っていた女子大生だった。
  二年前、映画が好きだった彼女は映画サークルに参加し、そこで名護と恋に落ちた。が、しかし、彼女の『処女』にしか興味の無かった名護は、関係を持ったその時点で、彼女を切り捨てた。
  それでも尚、名護を諦め切れなかった彼女は、とある名護の言葉を鵜呑みにする。
『俺に振り向いて欲しければ、もっと技術磨いて来いよ!  そうだな、風俗とかで働いて勉強してこいよ!』

  名護からすれば、諦めさせるためについたでまかせであったが、名護に執着するかなめは、素直にその申し入れを真に受けた。

  そして彼女が選んだ店が、ちなつも在籍するこの店だった。同じ歳で、同じ時間帯に出勤する機会が多かったちなつとかなめは、意気投合し、仕事以外でも同じ時間を共有するようになった。共に助け合い、絆を深め合う中で、二人の関係は『親友』へと発展していった。

  そして事態は急変する。
  それは一年前の事。この店での仕事にも慣れ、徐々に人気が出始めるかなめ。出勤枠が完売する事も多く、予約が毎回抽選方式になるほどに、彼女は人気嬢へと登り詰める。
  そしてこの店のナンバーワンになった時点で、かなめは円満にこの店を去って行った。その結果を持って名護の元へと戻って行ったのである。
  しかし名護は、そんな彼女を受け入れるどころか拒み、蔑んだ。そして事もあろうか、かなめが風俗店で働いていた事を学校にばらすとか、病気持ちと呼称し、精神的にも追い込んだ。
  もはや生きる意味を失ったかなめは、自殺を決意する。
  当日、過去に栄華をおさめたこの店に訪れ、深々と一礼をしていたのを、店舗スタッフが目撃している。
  そして、いつもちなつと話し込んだいざよい橋から身を投げようと、夢中で走り出した。
  大通りを走り抜け、橋を渡ろうとしたその刹那、突っ込んで来た車両に突き飛ばされる。   そして、高く宙を舞った後、下の川へ頭から転落。その際に顔半分が欠損したらしい。


「申し訳ありません。辛い過去を振り返らせてしまって……でも、かなめさんの無念をどうにかして、鎮てあげたくて…..」
「いえ、お兄さんだったら信じられます。どうかあの子の思いを、鎮てあげてください」
  聡太郎から見せられた映像に、ちなつは疑う枷を外し、知りうる事全てを打ち明けた。その表情はもはや懇願に等しかった。誰にも相談出来ずに、花束を添えることしか出来なかったちなつ。親友を助ける事が出来なかった罪悪感に、押し潰されそうな彼女の肩をそっと優しく、聡太郎は抱きしめた。
   そんな彼女の、友を想う気持ちを守りたい、聡太郎は、そう深く実感するのだった。



③代償
   深夜一時。
  名護は親睦会の後、一人自宅へと帰っていた。今日は収穫無し。
  ある程度、身の回りの女子の貞操を奪い尽くした彼は、少し退屈をしていた。ここ最近は梨乃やその他の、技術と経験に長けた女性と身体を重ねるに留まっている。
  しかし、初めてを破る快感は、経験値の高い女性とのそれとは全くの別物だった。
  力ずくで押さえ込み、逃げ場の無い中で、不安と快楽で戸惑う、その渦中に欲望をぶちまける、その快感は何物にも代えがたかった。    もはやそのために生きていると言っても過言では無いくらいに、彼はそれに溺れていた。
   しかし、ここ最近は新入生も少なく、『お初』を望める機会が滅法少なくなった。
  そろそろ新しいものを……そう、心と身体が欲している。
  徐ろにスマホを取り出し、連絡先の一覧から女性のリストをスクロールする。
  どいつもこいつも、食べた事ある女ばかり。
  辟易して、アスファルトに唾を吐く。

  次の角を曲がれば、自宅までは一本道で5分程度。ちょうどその角にはコンビニがある。    少し歩いたので、酔いが中途半端に覚めてきた。もう一度自宅で飲み直そう。そう思い、名護はそのコンビニへと駆け込んだ。

  「ビールと、サラミと、チーズも」
  無造作にカゴの中に商品を投げ込む。明日の朝に食べるおにぎりやパンまで投げ込むと、カゴいっぱいになった。
「こんなとこかな?」
  精算用にスマホを片手に持ち、レジの列に並ぶ。
  深夜というのに、レジは立て込んでいた。徐ろに前方の客に目を向ける。歳は二十歳そこそこで、小柄でボーイッシュなショートカットの女性。Tシャツから覗かせる腕は、華奢ではなく引き締まっている。陸上でもやっていたのだろうか、タイトなデニムにねじ込まれた脚も、均一的に引き締まっており、スタイルの良さを見せつけていた。
  カゴの中も名護と同様に、ビールや菓子類が投げ込まれていた。
  名護は気になって、つい、他の商品を見るかのように左後ろにズレて、彼女の顔を覗き込む。
  ちょ!  いーじゃん!
  名護は歓喜した。
  目の前の女性は、彼のメガネに十分に叶う美少女だった。しかもあまり関係を持ったことのない、体育会系の女子だ。彼の経験値により、きっとこの子は男を知らない、そう分析された。
  ほのかに香るシャンプーの香りも、彼にとっては媚薬と化し、俄然、胸が高鳴った。
  名護は良からぬ悪知恵が働き、少しでも会計が早く終わるように、目の前の棚に、おにぎりやパンを隠しこんだ。

   目の前の女性は、会計を終わらせると、ゆっくりと出口に向かい、そして店外へと出て行った。と、同時に、名護の会計も終わり、彼は一目散に店を飛び出した。
   急いで通りに出ると、彼の前方をゆっくりと歩く彼女が見えた。
   いても立ってもいられなくなった名護は、彼女目掛けて声を上げた。
「あ、あのう!」
  その声に彼女は振り返り、自分に指を指して首を傾げる。
「よ、よかったら一緒に飲みませんか?」
  我ながら馬鹿だと思った。こんな事で引っかかる女なんている訳がない。しかし、声を掛けずには居られなかった。このチャンスを逃せば、一生後悔する!
  彼女は一瞬夜空を見上げるフリをして、にっこり笑うと首を縦に振った。



  そこからはもう、怒涛の流れだった。
  話しもそこそこに部屋に連れ込み、灯りを灯したと同時に、名護は彼女に抱きついた。もはや欲望を抑え込む事が出来なかった。
   一方の彼女もそれを拒むこと無く受け入れ、不器用にも彼の首や肩を愛撫する。その不器用さに、名護は更に火が点いた。そのまま彼女をベッドに押し倒し、唇を唇で塞ぎ込んだ。そして耳を甘噛みし、徐々に首筋から肩へと唇と舌を這わせていく。
  その愛撫に顔を真っ赤にさせる彼女を見て、名護の興奮は最高潮に達した。
  シャツを脱がせようと彼女の背中を持ち上げ、シャツをたくしあげる。その下に隠されていた肢体は、彼が予想していた通り、筋肉質で無駄のない代物だった。それで居て豊満な胸。名護は初めて神の存在を感じた。常に願い、祈っていれば、神はその加護をもたらしてくれる。そう信じて疑わず、名護は彼女の首元からシャツを剥ぎ取った。

  その瞬間だった。

  ベッドの上にバサッと何かが落ちた。
  ウィッグ?
  それに目を奪われた名護は、気を取り直して、目の前の彼女に視線を戻す。

「す、春原?」
  名護は驚愕した。
  目の前に居たのは、ショートカットの女性ではなく、紛れもなく春原志保だった。
   彼女は悪戯な笑みを浮かべると、固まる名護を逆に押し倒し、彼がしたように唇を唇で塞ぎ込んだ。そして、甘噛みではなく、鋭く立てた歯で、彼の唇を噛み切った。
   名護はその痛みに、情けない悲鳴をあげる。そして、志保を押しのけようとするも、まるで金縛りにあったかのように、身体が固まって動かなかった。
  志保は噛みちぎった彼の唇の欠片を、口の中で弄んだ。唾液と共に溢れ出す真っ赤な鮮血。彼女の口内は、赤いお歯黒を塗ったかの如く、真っ赤に染まる。そしてその欠片を吐き捨てると、身体全体を震わせ始めた。ブルブルと小刻みに揺れだし、顔面の表情がこわばり、苦悶の表情で固まった。
  そして激しい衝突音の後、彼女の顔の鼻から上半分が潰れ、部屋中に四散した。
  名護の顔にもその血飛沫と、肉片が飛び散り、真っ赤に染まる。
  彼はその一部始終を目の当たりにさせられ、恐怖と緊張の限界を、いとも簡単に弾き飛ばされた。失禁に滴るズボンさえも気づかない程に、彼の心と身体は『恐れ』に支配された。
『か、かな、め……』
  引きつった唇から、彼が絞り出した言葉は、その名前だった。


つづく
  


  


  


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