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あなたの幸せを願うことが、回り回って僕の幸せになる。

僕は35歳ぐらいまで、ずっと自分の幸せを追求してました。あなたはいかがですか?
自分の幸せを追求するのは人間の基本的な欲求でしょう。たぶん。それは良いことだと思います。

でも、自分の幸せを追求しても、なかなか納得行く or 安心できる幸せって手に入らない。僕は、勉強を頑張ったり、仕事を頑張ったり、より良い人になるために心を磨いたりしました。

わかり易い例を上げると、良い学校に入ると幸せになれると思ってたけど、一時的に嬉しいけど、そんな嬉しさはすぐに風化する。良いビジネスマンになろうと技能を身に着けたり、コミュニケーション能力を磨いたり。で、それなりに仕事ができるようになっても、これまた満足できない。例えば、起業して成功しなきゃならないとか、どんどん幸せになるためのハードルを上げていってしまう傾向がある。

僕に転機が訪れたのは、結婚して、子供が幼稚園に通うようになった頃。よく娘の幼稚園の送り迎えをしていた。幼稚園に送っていって、娘が靴箱に靴入れて、教室に入っていって、で、友達連れて出てきて、ちょっとじゃれ合う。みたいなことをよくしてた。元来子供がめちゃめちゃ好きなので、自分の娘が可愛いのは当然として、娘の友達の幼稚園児もめっちゃ可愛い!!!娘のクラスは20人ぐらいだったんだけど、半数以上の子どもたちと仲良くなった記憶がある。

日本ってね、30年ぐらい経済停滞してて、非正規雇用の割合はドンドコ増えていって、正社員の給料も下がり続けて、なんだかお先真っ暗モードだよね。自分の娘達がこれから生きていく社会は厳しいだろうなぁと、そう切々と思ってました。そして、どうしたら娘たちが幸せになれるか深く考えた。

他の親御さんみてると、英才教育させようとする人が多いのね。でもさ、今更、高学歴身につけたところで、本当に幸せに近づけるのか疑問だった。もちろん勉強はできないよりできたほうがいいけど。僕は、娘と娘の友達も含めて、多くの子供達が幸せになってほしいと強く願うようになった。で、そのために自分にできることはなにか?と必死に自分と格闘した。

めっちゃ試行錯誤してみたけど、なかなかうまくいかない、それどころかひどく痛い目にあったりもした。なぜその行動がうまくいかなかったか振り返ってみると、自分の娘という確実に影響できる範囲のことの枠組みを超えて、より多くの子供が幸せになって欲しいと願った。それは自分が影響できない範囲なんだよね、少なくとも僕がその当時持っている能力では。

でね、辿り着いた結論は

自分が本当に大切だと思う人の幸せを願おうと。そのために自分ができることに力を入れようと。

一番大切にしたいのは、2人の娘たち。次に彼女、そして大切な友達たち。彼らの幸せを心から願って、自分ができるサポートは最大限にする。それが僕の幸せだと気づけた。

そうするためには、経済的も自立してなきゃいけないし、何より人の気持ちを解せるような人にならなきゃならない。だから僕は、そのために必死に努力する。それが回り回って僕の幸せになる。そう今は思ってる。

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