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人と違う道を歩み続ける勇気(前編)

25年フリーランスのITエンジニアをしています。自慢になりますが、大学までは超一流のエリートコースを歩んでいました。でもね、それまでの人生でも、自分以外のことで随分苦労してました。家がかなり貧乏であるとか、家族に重い病気の人がいるとか、家庭内がギクシャクしてるとか。子供の僕は思っていました。

自分は自分の子供にこんな苦労はさせないぞ!
自分は金持ちになって、幸せな家庭を築くぞ!

とかね。でもね、大学生の時、初めて自分では処理しきれないほどの大きな悩みを抱えちゃいます。今までは苦労はしてきたけど、それは家庭環境だったり、僕以外のツラさが、僕にも波及して苦労していました。でも、そのときの苦痛は自分由来だったんです。自分でその状況を受け入れることが出来なかった。ひどく悩みました。めっちゃひどく悩んで、最終的に大学を中退しました。

今から考えると、それはとてもありがたい挫折でした。それまでは、世間で良いとされるコースを歩んで成功してきたけど、一気にそのレールから脱線し、自分で人生を切り開くしかなくなった。といってもやり方はさっぱりわからない。たまたまWindowsがめちゃめちゃ一般に普及しだすタイミングで、父親がパソコンを買いました。中退する前のプラプラしてる時期の僕は、夢中になってそのパソコンを触りました。プリインストールされてるアプリは全て使い倒し、表計算ソフトにマクロサンプルというものが付いていて、それが野球の順位表を作ろうというものだったんですが、当時サッカーが大好きだった僕は、それをサッカーの順位表に改造することを試みます。プログラムの「いろは」も知らない状態で、必死にサンプルのソースコードを独自に解析しました。数週間後、サッカーの順位表完成!

たまたま親戚にIT関係の仕事をしている人がいて、その人から、とある会社でプログラムの仕事してみないか?という誘いがありました。僕は、きっと5人、10人でやっている会社だろうと思って、その会社をその人と訪問したのですが、なんと、大阪のオフィス街にあるでかい会社。面接をしてもらったんですが、めっちゃすごいソフトウェアを見せられ、こりゃバイトの面接に通るわけないよな、という思いで、家に帰ってきました。

それがどういう理屈かはよくわからんのですが、1週間後、「是非、うちでバイトしてほしい」という合格の通知。当時はインターネットもなかったので、そしてお金もなかったので、プログラムを学ぶためには、本屋に行って、プログラムの本を立ち読みするしかなかった。一つの店でずっと立ち読みしてると嫌がられると思ったので、自転車で何件かの本屋を回りました(笑)

それがバイトを始めたら、アルバイト並みの時給はもらえるし、ソフトウェアは使い放題だし、マニュアルはただで読めるし、僕にとっては天国でした。今でも記憶していますが、月曜日から働きだして、5日後の金曜日には夜の11時までオフィスにいて仕事してました。

仕事をはじめて2ヶ月ほど経ったとき、その会社でとある案件のメインプログラマーを任されます。好きになったらとことんハマる性格の僕は、毎日めっちゃ楽しく仕事してました。でも、その時の時給、法律で定められている最低時給よりも低かったんです(笑)。半年ほどして時給交渉になりますが、その時、その部署の部長の言葉が忘れられません。

「これからも働いてほしい、で、時給は据え置き」

結構、仕事ができるようになっていたので、こんな事を考えました。

飲食店のアルバイトでも、もっといい時給もらってるのに、据え置きってなんだよっ!!!

長くなってきたので後編に続く

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