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習い事ピアノと理系進学

小学校4年まで習い事としてピアノ🎹を習っていた。自分から始めた訳ではない。親から勧められてのことだ。昭和40年頃習い事としてピアノは一種のステータスがあったのかもしれない。ただ、当時は友達と遊びたくて土曜日に習い事に通うのは苦痛だった。ピアノを習っていたおかげで音楽の授業はさほど苦痛ではなかった。(図画工作や中学・高校での美術の授業は苦手意識は最後まで続いたが。)ピアノの先生のところに通う生徒は自分以外は皆女の子だったことも続けることが嫌だった理由の一つでもあった。こんなの男のやることじゃない、と両親に言ってみたことがあった。ピアノはやめたい、と。
「あなたに教えているピアノの先生は男の先生じゃないの。」
この母の一言であっさりピアノという習い事を止める希望は却下された。子供心にもあまりにもあっさり論破されてあんぐり。両親を説得するに行き当たりばったりでもうちょっと戦略というか簡単に言い負かされない論理や理由を掲げないといけないんだ、と。
結局4年の秋に父の会社の転勤に伴い小学校を転校する際にピアノの習い事を続けることなく止めることが出来た。
それから数年後、高校2年から3年になる春のある日。進学において理系か文系かを決める期限が迫っていた。通っていた高校では3年になる際にクラス分けをはっきり理系と文系に分ける。進学する生徒は各自自分の進路を理系か文系に決めねばならない。自分は理系と決めていた。飛行機か船の様な乗り物を作りたいとぼんやり思っていたからだ。(その頃にもほんの少し文筆業が頭の片隅にあったことはあったが。)両親に理系の希望を伝えた。まず反対された。ここら辺は想定内。最初から息子の希望をすんなり通す親ではない。文系が合っているのではというのが2人の言い分。そもそもあなたの親(つまり自分達)は2人とも経済学部出で文系だ。子供のお前も文系なのでは。だいたいその数学の成績で本当に理系に行くつもりなのか?、と。これに対してこちらは一言。この国語の成績では文系は無理だ。意外や意外。両親はそれはそうだな、と納得し理系進学をあっさり許してくれた。
後になって理系なら大学院も含めると6年親が面倒を見なければならないと両親が考えていたのだろうと想像がつく。なので文系進学を勧めたのだろう。本人の希望が固いと知ってそれ以上無理強いはやめたというのが本当のところだ。でも当時はピアノの件から少し賢くなり同じ過ちは犯さない、過ちを繰り返さずに済んだ。そんな胸をなでおろす様な安堵感があったことも事実。
ピアノと理系進学。両親の説得、両親に認めてもらう、そんな必要が生じたときこの二つの出来事を思い出す。


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