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断放離は定期的に行う

ここ3年前から1年前までいろいろな断捨離(と言うより自分にとっては断つ、放す、離れる、の断放離)をやって来た。やって来たけどやっぱり生活すると何かモノが増える。油断すると使わないものに囲まれる。最近ランチ会で初めてお会いした方から興味深い話を聞いた。その方は偶然出会った占い師(?)らしき人から貴方の家は使っていないものが多くてその使ってくれないモノから貴方に向けて殺気が出ている、と言われたそうだ。従って、モノを処分しなさい、捨てなさい、と断捨離を薦められたそうだ。そしてその他の数々のアドバイスも含め断捨離をしたら体調も良くなり気分が爽快になったとのこと。(ついでに運の話も聞いたが。)その話を聞いてしばし振り返る。引越して1年。会社の寮から移ったので様々な家具を購入したり全く無かった調理器具やお茶碗を買ったりした。寮から持って来たモノにも不要なものやもはや使わないものが押入れの中に溜まりつつある。引越して今住んでいる家に来てから買ったものにも同様使わないものがちょっとある。その使っていないものからもし自分に向かって殺気が放たれていたら、、、他人の話とは思わずここは素直に自分にとっても当てはまることとしてモノの処分を再開しようと思った。最初に処分したのが音楽のCDだ。今はスマホで音楽ストリーミングを利用して聴いている。(別にCDを否定しているわけではないが自分の家にはCDのプレイヤーが無い。)更に整理整頓を同時進行させながら自分の持ち物を振り返る。大体同じ人間がする行動は似たり寄ったり。あ、これ今度買っておこう、と思うものが既に棚の奥にあったり探していたものが見つかったり。買ってストックしていたモノが棚の奥に追いやられいつの間にか存在を忘れてしまっていたのだ。家の中で使わないモノ、不要なモノが知らず知らずの内に溜まりに溜まっていたりした。滞留していた。ヒトはある程度住むのに必要な空間があるという。モノに囲まれて安心感を持てると思うのは錯覚なのだろうか。程度の問題なのだろうが、やはり定期的に整理整頓、断放離しないといけないと感じた。川は流れる限り綺麗な水であっても留まることで濁ったり汚れたりする。モノも使ってこそ価値がある。使わなければ汚れはしないだろうが殺気を帯びても不思議では無い気がした。

モノ、持ち物を整理すると気持ちも落ち着く。心が穏やかになる。やはり、整理整頓と断放離は定期的にやろう。モノに感謝しつつ。我が家に来てくれたことに感謝しつつ。流れを作っていこう。


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