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味覚の記憶

オリンピックの花形競技はやはりマラソンだろう。花形故に国の期待を背負う。円谷幸吉選手もそんな一人だった。円谷選手の遺書を初めて目にしたのは中学の時だった。「太陽」という雑誌に載っていた。遺書の特集だったと思う。有名人の遺書が載っていてその中の一つが円谷選手の遺書だった。遺書というからには死の直前に書いたもの。極限の精神状態の中でどの様な気持ちで書かれたのであろう。初めて目にする遺書は真摯な円谷選手の人柄が感じられるものであった。しかし、中学時代の自分には何か品のないものに思えた。親しい人への呼びかけとともに食べ物が美味しかったと繰り返し書かれていたからである。死に臨み食のことを美味しいとか論評(と当時の自分には思えた)するのはいかがなものか、そう思った。中学生の自分は人間への理解が浅かった。自殺は卑怯だ、などと単純に考えたわけではない。それでも両親や親しい人への最後の呼びかけに食べ物以外に何か書くことは無かったのか?と疑問を持ったのである。

あの料理が美味しかったという想い、味覚の記憶がどれだけ人を支えるかを思い知ったのは病気で苦しんだ30代のときだった。思い通りにならない身体を持て余し何故か実家で毎年食べたお雑煮の味が無性に恋しくなったのである。寒い季節にあのお雑煮をもう一度口に出来たらどれだけ幸せだろう、そんな思いにずっと囚われていた。母の味でもあった。味覚の記憶は単にその食べ物や料理のみにあるのではない。一緒に卓を囲んだ家族や友人の記憶、そのとき交わした会話、食後の満足感、そんな諸々の出来事が詰まってパックになった本人にとって大切で大切で忘れられない記憶なのである。そう悟ったとき改めて円谷選手の遺書に再会した。どれだけ苦しかっただろう。どれだけ生きたかったろう。遺書から滲み出る想いを初めて知った気がした。かつて中学生時代に感じたものを思い返し一人苦笑いするしかなかった。あの時誰か他人に自分の浅はかで上っ面でしかない人間理解を披露せず良かったと思った。(今書いているが)


食べたもので身体は作られる、とよく言われる。更に言えばその食べた味覚の記憶で人は精神的支柱を作るのかも知れない。

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