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【カウントダウン8】2020年5月24日のブログ(五回目)

おはようございます。日曜日です。5回目のブログです。

さっそく筆が止まってます…。

過去の4回で語りたいことが果たして語れているのか。
語りたいことを語るためのゴールにちゃんと向かっているのか。
なかなかゴールが見えてこないうちに、あれ…?語りたいこと…なくない?という気持ちも半分。
しかし、ここでやめるとさすがに場を荒らしただけで終わるよね、それってちょっとカッコ悪くない?一応、恰好をつけた方が良いんでないの。
いや、そういう言い訳ももういいから、飽きたから、という声も聞こえてきます。

つらい。。。
やめどきはいつなのか考えながら、今日も文章を前に進めます。。

さて、先週のブログでは僕がニュースに対して感じてることを書いたつもりです。
「世の中で起きてることと自分との距離がいつも遠くて悩む」というなんとも困った悩みです。

僕がラジオDJで、そんなお便りをもらったら、
「いや~、そんなこと考えるなんて偉いと思う。でも自分や周りの人が平和ならそれでいいんじゃない?そのままでいいと思うよ!」といった自己肯定感を上げるコメントをして「Tomorrow never knows」をかけますね。(桜井さん、あとのことよろしくお願いします。癒してあげてください。)

異国の地で発生したコロナは、一時期猛威を振るい、巡り巡って行きつけのスーパーにまで及び、2週間閉店するという事態に発展しました。子どもの日に調達しようと思っていた菖蒲の花が手に入らず難儀しました。
在宅勤務は2カ月続き、普段よりもPCに向かう時間は長く、肩こりと腰の痛みに悩まされております。
良いこともありました。
小さい息子と朝昼晩と一緒にご飯を食べることができ、お風呂にも毎日一緒に入ってます。貴重な時間だと感じています。
大丈夫です。世間一般の流れには乗っています。そこそこの愚痴を吐きながら、周りに合わせるようにこの非日常を楽しむ体裁を保っています。
そして・・・この非日常も日常に変わりつつあるやいなや、来月辺りからはまた別の日常が始まりそうですね。

なんか、少しガッカリしません?

もうちょっと期待してなかったですか?

変わることを。

すぐに馴染んでいくんだろうな。
忘れていくんだろうな。

これからもまたアラート鳴らして欲しい。
日常の大切さに気付けるありがたみ。
自由を感じるための不自由。
弱者が堂々と声を上げられる状況。
強者がおろおろする姿。
怒り怒り怒り怒り怒り怒り怒り。
(具体性を欠いて雰囲気でやりすごすポエム)

非日常化で生まれたこのブログも続けていれば日常となるんでしょうか。
ぼくは「笑っていいとも」が終わったときに失ったものの大きさに初めて気がつきました。
一日の中心がなくなり、いまだに掴みきれてません。(何の話?)

日常が壊れるときはまたくる。
新しいウイルスは必ず蔓延するし
大地震は再び起こるし
未曽有の台風もやってくる
富士山はいつか噴火するし
隕石も少し大きいのなら降ってくるんでしょう?(二度あることは三度ある)
氷河気も周期ごとにやってくる
大病も患うし、骨が折れるかもしれない、動けなくなるかもしれない、しゃべれなくなるかもしれない
そしていつか死ぬ
備えても備えても備えきれないけど、無防備ってことはないでしょ。
その辺りの警鐘はすべて、医師免許をもつ漫画家が命を削って作品に遺している。
それを継承するのが文化ってものだ。

はい、そろそろエンディングでふ。
明日5月25日は「タップダンスの日」です。世界中のタップダンサーが敬意をもってこの日は足を踏む。(どういう日かは検索してください)
タップダンスのルーツは、奴隷として楽器やドラムを持つことを禁止されていた黒人たちが、足を踏み鳴らしてリズムをとったダンスといわれる。もちろん諸説あり。
不自由の中で獲得した自由、それを受け継ぐ意思。
だからこんなことで僕たちは歩みを止めない。 
(うまくまとまった…)

それでは今週はここまでです。
来週は、いよいよ核心に迫れるか、この世の中を変えられるとずっと昔から考えている【渋滞学】について書けたらいいなと思ってます。また来週~、それまでお元気で!

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