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『八月のシャハラザード』を観た話


久しぶりに思うところがあって文章にしたくなったのでログインした。
(世界遺産に絡めた文章を書くみたいに掲げて結局ぜんぜん書いていないままnoteのアカウントを放置していた。)

ものを作る、表現するってのをやってると、思いもよらないタイミングで、思いもよらない感慨にぶん殴られることがあるんだなぁという話。

『八月のシャハラザード2024』と銘打たれた舞台公演を観てきた。

2024とわざわざついているということからも推察できるとは思うけれど、
この芝居の脚本、戯曲はもともと1994年に初演されたもの。詳しくはぐぐるべし。

僕は中学の途中から高校卒業まで、バンドだったり吹奏楽部だったりで音楽ばかりやっていたが、大学では何故か演劇サークルに入った。
『演劇をやりたい!!』というような気持ちからではなく、新入生歓迎時期にいくつかサークルを見る中で、「一番おもしろそうな人たちがいたから」というのが入った理由だったかと思う。

じっさいそのサークルは演劇サークルなのに奇声を上げながら学内に大きいテントを建築することに命を燃やしていたり、大道具として学内に生えている竹を乱獲したりする集団だったので自分の勘は間違ってはいなかったけど、その辺は本筋には関係ない。

その演劇サークルでは、毎年、新入生歓迎公演として、新二年生だけの座組で公演を打つことになっていて、僕らが同学年だけの座組で上演したのが『八月のシャハラザード』だった。
新二年生、浪人していたやつもいたけど、それでも大半は二十歳に満たない男女の集団で公演を行うわけで、楽しかったけど当時口の中に数えきれないほどの口内炎ができるくらい疲弊しきっていたのを覚えている。(その口内炎だらけの口に、芝居の中で小道具の銃を突っ込まれるくだりがあって、演技ではなく泣けたのも鮮明に覚えている)
それでも、なにか致命的なトラブルなどはなく、いい感じに公演は終わり、自分たちのおかげではないだろうが新入生もけっこう入ってくれた。

そういう思い出があるから、『八月のシャハラザード』という演目は、僕にとってとても印象の深い、思い入れも強い作品である。

その新歓公演から十年ちかくたって、僕は、またもや何故か、タレントスクール的なやつに入り、一年間そこで芝居やらダンスやらの授業を受けるという時期があった。

そのスクールで、これから演技に関する授業が始まるという初回、講師を担当する人の名前にどこか見覚えがあるなと思った。

高橋いさを、というその名前は、自分が十年前の新歓公演の時期に手にしていた、『八月のシャハラザード』の台本のコピー用紙のはじめにあったものだった。
高橋いさをさんは『八月のシャハラザード』を書いた人、なおかつ演出して上演した人だった。

初回か二回目かの授業のあとに、
「あの……いさをさん、僕大学の演劇サークルで『八月のシャハラザード』やりました」
「へぇー、どの役やったの?」
「梶谷です」
「いい役やったねぇ」
という会話をさせてもらった。そしてその後すぐ大学のサークルの同期に連絡した。

そのタレントスクールの一年間も終わり、その後、2016年に『父との夏』の再再演を観に行って以来、いさをさんにはお会いしていなかったが、

今回、タレントスクールの同級生のグループライン経由(同級生の一人にいさをさんが連絡をくれて僕らに伝わるシステム)で『八月のシャハラザード2024』が上演されることを知り、すぐにチケットを予約した。

オーディションで選抜された若い役者さんたちによる公演ということで、考えてみれば自分たちが大学の新歓公演で上演した時の年齢よりは皆さんだいたい少し年上だろうとは思うけど、当時の自分たちを重ねずにはいられなかった。

演劇、台本を入れて演じるというのは不思議なもので、仕事でつい先月にやったことなんかはあんまり覚えていないが、少し大げさに言って20年近く前にやった芝居の内容であっても、「体が覚えている」というよくある言い方になってしまうが、観ているうちに当時の感覚がありありと蘇ってきて、「ああ、そうそうこうなって、こういう台詞で、こうなる」と、本当に自分でも驚くくらい、忘れていないものだと感じた。

好きで何回もみている映画の筋や台詞回しを覚えてしまうというのと似ているが、大きく違うのは、そこにリアルな「自分のもの」としての身体的感覚や、感情の動きが付随すること。
演劇をもっと長く、しっかりやっている人なんかには、もしかするとあるあるな経験なのかもしれないが、僕は大学のサークルでやったのと、タレントスクールの流れで舞台に立った程度なので、この「自分もやったことのある演目を観る」という経験は鮮烈だった。
とりわけ、『八月のシャハラザード』は先述の通り同期だけで行う新歓公演で上演したものだったので、わかりやすい俗な言い方をすれば、青春の1ページ的に僕の体に刻み込まれてしまっている作品である。

自分が演じた「梶谷」というチンピラが登場するたびに、心の中で「がんばれ……」と、梶谷という登場人物ではなく、演じている役者さんを応援するような心持があった。

じっさい観劇した芝居の中身を、「自分がやった時はああで、今回観たのはこうだった」と比較したりして語ることはなんだか下衆いのでしたくない(でも今度サークルの同期に会ったら語ってしまうとは思う)が、
クライマックスの、主人公二人とヒロインの三人でのシーンを観ただけで、「ああ、観にきてよかったな」と思える素晴らしいお芝居だった。

いさをさん、出演者皆さん、スタッフの皆さん、いいものみせてもらってありがとうございました。

大学生の頃と今が繋がって心をぶん殴られた、個人的なストーリーを残しておきたくて文章にした。
おもしろいと思う、やりたいと思う、やろうと思う方に動いてきた結果得られた、他で得難い経験だと思う。
ものを作る、表現するみたいなこと、もっと言えばそういう何かをしながら生きてくのって、やっぱりいいもんです。

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