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劉少奇 (1898-1969)

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『文化大革命』で悲惨な最期を遂げた劉少奇(1898-1969) に関連する記述を集めている
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#鄧子恢

毛沢東と劉少奇 対立の表面化 1962

対立の表面化を1962年前半だとする説明を、以下を参照しながら述べることにする。  席宣…

反右派闘争と大躍進の発動 1957-58

魯彤 馮來剛 黃愛文《劉少奇在建國后的20年》遼寧人民出版社2011年 陽雨《“大躍進”運動紀實…

鄧子恢 私人資本を援助せよ 1949/10/31

(解題)論華中城市建設新方針。這是鄧子恢在中共武漢市代表大會上的報告。鄧子恢文集,人民出…

2.8 劉少奇の悲劇 1951-1962

 写真は左が陳雲、右が劉少奇である。杜潤生の劉少奇についての記述は、参考になるが重要な19…

鄧子恢 農業の社会主義改造 1953年11月

(これは1953年11月2-3日、中共福建省第二回代表大会での鄧子恢の報告。新民主主義の時代は終…

鄧子恢 整風運動を批判 1962/06/08

(1962年6月8日 中央気象局幹部会議での談話で鄧子恢の講話。気象にひっかけて整風運動を批…

北戴河会議から四清五反へ 1962/07-63

黃崢《風雨歷程 晚年的劉少奇》人民文學出版社2018p.149-152をまとめた。   1962年7月25日から8月24日。北戴河と呼ばれる避暑地で中共中央工作会議が開かれた(中共中央が繰り返し長期間の会議を開いているのはよくわからない。激しい言葉が飛びかう反面、党幹部が避暑地で優雅に過ごしているようにも見える。)。これに参加しているのは毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳、陳雲、林彪、鄧小平など。各部門中央局、各省市自治区の責任者。ここで毛沢東は8月6日、一部の同志は思想混乱に陥