マガジンのカバー画像

陳独秀、胡適、顧准

49
陳独秀(1879-1942)を中心。胡適(1891-1962)、顧准(1915-1974)も扱う。
運営しているクリエイター

#反対党

反対党容認を求めた胡適 1946/07-48/12

解題                             福光 寛  任育徳《胡適 晚年學思與行止研究》稻鄉出版社·2018年pp.149-155,esp.153-155 このときの胡適は、北京大学校長であるとともに、中華民国の代表的言論人の一人であった(写真は礫川公園より東京都戦没者霊苑を望む)。  国民党は学生運動の「非政治化」に失敗。学生運動を抑え込む政策に転換し学生の反発を買った。他方、共産党が進める統一戦線に加わる学生は少なくなかった。  1947年夏時

陳独秀 反対党の自由と議会 1940/11

《陳獨秀 我的根本意見(1940年11月28日)》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.193-198,esp.194-195(写真は肥後細川庭園) p.194 (八)民主主義はおのずと人類が生み出した政治組織であり、政治が消滅するまでも、各時代(ギリシア、ローマ、近代から将来の)多数の階級人民は少数特権の旗幟に反抗した。”無産階級民主”これは空っぽの名詞ではない、その具体内容は資産階級民主と同様に、全ての公民に全員に、集会、結社、言論、出版、罷業の自由を求める

顧准 科学と民主 哲学上の多元主義 1973年春

顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社·2013年pp.109-113. ここで顧准(グウ・ジュン 1915-1974)は、科学技術と民主主義との関係について、科学精神がすべてのベースになることを主張、また科学精神の別の表現が、哲学上の多元主義だと述べ,それをさらに政治上に及ぼすことを主張している。(写真は占春園で見かけたヒメジョオン。2020年6月6日)  顧准 レーニンの誤り 1973/04 p.109  科学と民主  一、科学精神の上に立脚した民主だけがしっかり頼

顧准 直接民主と議会清談館(中) レーニンは独裁をもたらした 1973/04/20

 顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.125-128の訳文である。  顧准(グウ・ジュン 1915-1974)は以下でまずカウツキーとレーニンを対比して、革命を達成した点でレーニンを評価している。しかし続けて、レーニンのやり方がスターリンの独裁を導いたとする。ではどうすべきか。顧准は米国の政治史を引いて、革命後、米国のように政権が交代しうる形を取れば、ソ連で生じた多くの弊害は避け得たとしている。顧准は権力を取るうえで、レーニンを肯定。しかし権力掌握後は、

顧准 直接民主と議会清談館(下)―カウツキーは正しかった 1973/04/20

顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.128-131 写真は《顧准会計文集》立信会計出版社2010年表紙より転載。 p.128 九、”少数派を保護せよ”は両党制のスローガン  1957年前後、我々この一党制の国家でも「少数派を保護せよ」のスローガンが鳴り響いた。実際は、これは英国のミル(穆勒)が話したことであり、有名な(地道的)両党制のスローガンである。 p.129 少数派が保護されるべきであるのは、その政治綱領は今日は通過しないが、今日