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陳独秀、胡適、顧准

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陳独秀(1879-1942)を中心。胡適(1891-1962)、顧准(1915-1974)も扱う。
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#レーニン

Leon Trotsky 1879-1940  中国革命論 1927-1938

Cited from BBC Historic Figures  Trotskyはロシアにおけるボリシェビキの権力掌握において鍵になった人物。ソビエトの共産主義者の体制(rule)の初期段階において、ただVladimir Leninに次いで第二位にあった。しかしレーニン死後の権力闘争でJoseph Stalinに敗れ、亡命中に暗殺された。  TrotskyはLev Davidovich Bronstein(本名)として、1879年11月7日に当時ロシアの一部だったYanov

陳独秀 民主主義の正しい評価 1940/07

《陳獨秀 給連根的信(1940年7月31日》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.181-183 陳独秀という人の最晩年、民主主義がまず重要であることを主張して、当時のスターリン、ヒットラー、ムッソリーニの独裁体制を批判。また民主主義のない社会主義には、何の意味もないと喝破。レーニン=スターリンが掲げた無産階級民主主義は、党の独裁にほかならない点で、民主主義の内容がなく、空虚だと徹底的に批判している。こうした陳独秀の議論は、近年、陳独秀の議論が再検討される中

陳独秀 民主主義は人類の発明 1940/09

《陳獨秀 給西流的信 1940年9月》載《蔡元培自述 實庵自傳》中華書局2015年pp.185-192,esp.189-190 (写真はツツジ。肥後細川庭園にて2020年5月31日) p.185 西流兄身辺の方へ:数日前に一筆差し上げ、それに付随して超麟兄から手紙が寄せられたが、すでに見られたであろうか。七月二十一日の手紙は守一兄の手紙がすでに読まれたことを示している。病気のために兄からの手紙にすぐに返事はできないが、同様のことである(今猶如此)。(この手紙は書き続け

顧准 直接民主と議会清談館(中) レーニンは独裁をもたらした 1973/04/20

 顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.125-128の訳文である。  顧准(グウ・ジュン 1915-1974)は以下でまずカウツキーとレーニンを対比して、革命を達成した点でレーニンを評価している。しかし続けて、レーニンのやり方がスターリンの独裁を導いたとする。ではどうすべきか。顧准は米国の政治史を引いて、革命後、米国のように政権が交代しうる形を取れば、ソ連で生じた多くの弊害は避け得たとしている。顧准は権力を取るうえで、レーニンを肯定。しかし権力掌握後は、

顧准 資本主義も変わった 帝国主義と資本主義(下) 1973年5月8日

 顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.103-107を翻訳したもの。手元にある《顧准文集》民主建設出版社2015年pp.257-261も参照している。  日本では、中国の経済学者、顧准(グウ・ジュン 1915-1974)はほとんど知られていない。しかし、かれの到達した知的水準がかなり高いことが、以下の翻訳からもうかがえるだろう。学問的に不毛であった文化大革命が終わる時期、ただ一人病躯に鞭打って北京図書館に通い詰め、資本主義や民主主義の本質を理解しようとし

顧准「 資本主義がなお生命力を有する原因はどこにあるのか」1973/05/09

顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.107-108 顧准(グウ・ジュン 1915-1974)について驚くのは、1973年―世界から孤立していた中国で、ここまで幅広い知識で、資本主義の生命力を見ていた人物がいたということだ。顧准は資本主義の生命力の源を批判の自由にもとめている。また批判を受けての改良を通じて、資本主義は少なくとも昔の資本主義とは異なったものになっている。それを顧准は資本主義の滅亡だとさえ言っている。(写真は文京シビックセンター) p.10

趙紫陽「レーニンの独裁理論を批判する」1995年5月1日

宗鳳鳴『趙紫陽軟禁中的談話』開放出版社2007, 161-164 1995年5月1日 1. レーニンの領袖独裁(専制)理論批判  趙紫陽は最初私(宗鳳鳴)と次の問題を話した。レーニンの建党原則によると、党は人民を代表している。しかしわが国の実践の中で一部の党組織責任者は、自分がすなわち党を代表しているとしたいために、自分に反対することは反「党」であり反「人民」だとした。趙紫陽はこうした意識形態と市場経済は相いれないと明確に述べた。  私(宗鳳鳴)は、ここで趙紫陽はまた重大な