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神田明神(神田神社)

 この神社は江戸城の鬼門(東北の方向)を守護する役割から、江戸幕府によって元和2年1616年に当地に移され、社殿も幕府が造営してきた。しかし不幸にして、大正12年1923年の関東大震災で大きな被害を受け、天明2年1782年に幕府が造営した社殿などを焼失した。
 昭和9年1934年に鉄筋コンクリートの社殿(敷地に入り正面に見える大きな建物が拝殿、その奥に本殿)が再建された(設計監督は大江新太郎、佐藤功一。設計顧問に伊東忠太。)。近くにある「湯島聖堂」が関東大震災で焼失、鉄筋コンクリートで再建されたのと、同様である。設計や意匠には、伝統的なところと新たな感覚とが混じっている。例えば、靴のまま拝礼できるような空間をもうけたこと、細部に至るデザインの統一などは新たな感覚の例であろう。漆塗塗装や、柱間を狭く木造建築の比例に似せたのは伝統を取り込んだ工夫といえよう。不燃耐震化の試み―神田神社の事例
    拝殿などには平成6年1994年から平成11年1999年までの間、修復塗替工事が施された。また神社入口にあるのは、昭和51年1976年に完成した総檜造りの隋神門である。
 野村喜舟(明治19年1886年-昭和58年1983年)の俳句に以下がある。
 花火見に神田明神ありにけり

 アクセス JR御茶ノ水駅から聖橋を経て徒歩10分

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