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7.反右派闘争と整風運動 1957

李維漢 回憶與研究 より
p.641 1956年社会主義改造が基本完成した後、党は全国各民族人民を全面的に大規模に社会主義建設に転入しはじめた。これは党の八大路線をまじめに貫徹するものだった。しかし1957年から開始された、党内の指導思想に生み出された階級闘争を拡大化する左の誤りは、反右派闘争の厳重拡大化をもたらし、全国で大規模社会主義建設の歴史過程(進程)への転進(転向)を打ち砕いた。
 1957年夏季以後、党の指導方針には重大(厳重)な誤りがあり(失誤),国家政治生活と経済建設とは深刻な(厳重的)挫折を経験した。この一時期の統一戦線工作に、指導方針の上で同様に重大な(厳重)誤りがあったことは、忘れられない(深刻的)経験教訓である。

 (1) 整風運動の展開と反右派闘争の重大拡大化
 わが国の社会主義改造が基本完成後、階級間の対抗性矛盾はもはや国内の主要矛盾ではなくなった。人民内部のそして敵とわたしのあいだの2種類の異なる性質の社会矛盾を正確に区分処理することは、我々の党が各族民族人民と団結し社会主義を進めてゆくうえでの重要問題となった。毛沢東同志がソ連と我が国の経験をまじめに総括し、1957年2月27日最高国民会議で『人民内部の矛盾を正確に処理する』という重要講話を発表し、二つの種類に社会矛盾を正確に処理することを正確に陳述した。...
 この統一戦線会議(1957年4月)は毛沢東同志の『人民内部の矛盾を正確に処理する方法について』の精神によって、統一先生内部の各種の矛盾に深く入り、各種の矛盾を処理する方針と原則を提出した。これは民主を発揚し思想を解放する重要会議であった。現在からみてこうした意見は八大の決議精神に符合している。惜しまれるのはその後の右派闘争に進展、階級闘争之形勢が作り出した推論(估計)によって、指導思想に180度の大転換が発生し、毛沢東思想の科学体系の軌道から外れてしまい、正確な方針原則を堅持貫徹できなかったことである。

p.650  中央と毛沢東同志の階級闘争の形勢の推論、反右派闘争の方針と部署について、私は当時思想上まったく疑いをもたなかった。ただ一緒でないことを恐れた。指導思想は同じく左だった。このため、民主党派、工商界、党外人士の間でこうした指示を貫徹執行し、同様に厳重拡大化の誤りを犯した。私がこの期間に発表した文章,講話は全面的に、我が党の長期合作についての歴史分析が欠けており、早々と階級連盟性の民主党派と宣布しており、簡単に「彼らは過去と現在において資産階級政党である」と宣言している。1956年初めに労働階級の一部の知識分子と宣言したものには、資産階級の知識分子という帽子を被せている。すでに生産資料を提出したもの、搾取者から労働者に変わりつつある商工業者とされていたものに、「彼らは基本的に資本主義反動の立場を放棄していない」と断言した。これらの推論は、1956年以来我々の党と私個人がうけとっていた、彼らが社会主義改造中にすでに獲得していた巨大な進歩と重大な変化についての正確な評価を否定するもので、「左」傾思想の現れである。右派分子の区分闘争とその処理で、打撃は強すぎ、処理もまた重さが行きすぎていた。1957年12月第九次全国統一戦線会議で提出された100名を超える民主人士の中の右派分子の処理意見は、圧倒的多数は解職(撤職)降格(降低職務)であり、処分を免れたものはわずかだった。1958年1月、中央統一戦線部会と中央宣伝部、中央組織部など関連部門は比較的知られている96名の右派分子を指標とするため「対一部分右派分子処理的初歩意見」を提出し、中央に報告し各地参考に転送された。96人の中のほとんどは公職を解職され、労働教養送りあるいは監督労働実行となり、ただ二人だけが処分を免れた。

p.651 私は当時中央戦線部長を担任しており、反右派に積極的であり、(犯した)誤りは多大であり、すべてに重要な責任がある。誤って傷つけられた同志友人に対して、私は現在なお深いお詫びの気持ち(歉意)を感じている。

#整風運動 #反右派闘争 #李維漢   #毛沢東

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