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陳世旭「歓笑夏侯」『北京文学』2016年第5期

 陳世旭(チェン・スーシュー 1948- 江西省南昌の人。初等中学をでたあと農村で働き、そこから文才を伸ばした。1970年代末に文学活動で認められるようになり、1980年代中ばに武漢大学で学ぶ機会を得ている。こうした経歴からすると、本作は完全な創作である。)の2016年の小説。歓笑は楽しい笑いをするという意味で、夏侯(シアホウ)は人名である。この話には、もう一人大事な登場人物がいて危老(ウェイラオ)という。この小説は『北京文学』2016年第5期に発表後、《2016中國年度短篇小説》灕江出版社2017年pp.123-141に収められた。

(見出し写真は吉祥寺経蔵前の狛犬な狛虎。異形である。経蔵は文化元年1804年の再建とされる。その時の建立かあるいはその前からのものか。由来は不明。)

 私と夏侯(シアホウ)との出会い、夏侯の生い立ち、仕事、現在を描いている。まず私は省内でも重点高等中学の出身。私の学校は進学率でも全省でもトップクラスであるため、入学希望者は後を絶たない。上からの指示を振りかざしたり、付け届けなどで潜り込むものも少なくない。しかし夏侯の場合は、それらとは異なっている。
 夏侯の父親(老夏)は雑役工だった。娘二人にまず勉強を励ましたが長女はまず初等中学が終わるときに、中等試験を受験をしないと言い出した。次女は初等中学を途中で退学してしまった。最後の期待が夏侯だったが、中等試験を受験したものの受からなかった。気落ちした老夏が、涙にまみれて雑草を刈っているのをたまたま見かけたのが、早朝出勤した元省政府役人の危老だった。老夏は、危老に息子の進学のことで手紙を書いた。
 危老(ウェイラオ)は清潔なことで尊敬されている役人だ。文革の時二人の息子のうち一人を自殺で亡くした。もう一人の息子は下放され、以来農村で中学の教師を務める。その息子を都会に転任させることを危老は受け付けなかった。家に息子が帰ると息子に説き聞かせた。そこで大人しく待ちなさい、駆け上がって落っこちるのは、決していいことではないと。たった一人の孫娘は気が強く、大学入学資格試験で省の重点大学から入学資格を取れたが、それを放棄。翌年再受験して全国でも最難関大学に進学した。危老は自身の退職に際しては、宿舎を引き払い、自らは一間の部屋に移り住んだ。秘書、護衛、運転手らと食事をして労をねぎらい、彼らにそれぞれの単位に戻り配転を願いでるように頼んだ(中国では高級官僚は、最後のポストの待遇を終身維持されると聞いている。それを返上したということであろう。)。以来彼は政治に干渉しなかった。
 しかし危老は老夏の願いに対しては、手紙を省長に書いた。ほかならぬ危老の手紙は、省書記さらに省の常任委員にまわされ、その実現は高度に政治的なマターになった。かくして夏侯は私たちの高等中学にきたのである。
 夏侯は勉強はできなかった。質問されても口を結んだまま。ただ彼は毎日一番早く学校に来て、一番遅く学校から帰った。男性には「兄さん(哥)」は女性には「姉さん(姐)」と必ず敬称を使った。何より彼はいつも笑っていた。彼はいつも笑っていたが、人の表情の中で笑いは疑いなく、楽しい気持ちの表情の一つだ(在人的各種表情中,笑,無疑是最受歡迎的一種)。
 やがて高校3年になり、大学入学資格試験で、夏侯は結果を出せない。そこでわが校長先生が取り計らって、夏侯を私立の職業技術学院に進ませた。この技術学院は、大学入学資格試験をなかなか突破できない学生を受け入れていて、夏侯は無事この学校を卒業して大学卒業資格を得た。危老のおかげで、今や省市の行政事務部門で夏侯と老夏を知らない人はいなかった(沒人不知道)。省政府事務所から市政府事務所に電話が入ると、夏侯は面接後、すぐに採用が決まった。
 このあと夏侯が配属された818院と呼ばれる部署は、世話好きの夏侯に合っていた。つまりそこは高級官僚のなんでも相談室のようなところ。人の世話が苦にならない夏侯は、そこで生き生きと働いた。
 この小説はそのまま夏侯が成功しそうな勢いであるが(また政治の力によって学校や就職が決まることなどがこの小説には示されていて興味深いが)、実際は、夏侯が逮捕されるという意外な結論の形でおわる。最後まで読んで、一つ分からないのは肝心の夏侯逮捕の理由である。重罪を犯したことにされているが、犯した罪の中身がよくわからない。夏侯は無実を主張していて、ボス(市の書記)の指示通り動いて、ボスに連座して逮捕されたようにも読める。
 その逮捕の前の箇所で詳述されているのは、危老の晩節の話である。息子が定年を前に省都に帰ろうと、省長や省書記に頼ったことを知った危老は、賛成できない、と話を流してしまう。それは普通の神経を超えているのではないか(怎麽説呢,太高大神經了)と夏侯はいう。危老だけでなくその奥さんもタダで受け取ってよい小楼(不動産)を要らないと断った。また彼女が自費出版した詩集を市の関連部門でまとめ買いする話も、彼女は断ってきたのには私も驚いた。ただその後記にはこう書かれていた。我々二人の老骨は、泰山の崩れ行く頂に置かれるとしても、正しい道の最後にある(我兩老骨頭,即使頂着崩塌的泰山,也要走到正路的盡頭)。

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