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萬年橋(まんねんばし)

 江戸時代の浮世絵の一つに、葛飾北斎が描いた「深川萬年橋下」というものがあるが、ここで紹介する萬年橋はその深川萬年橋の後継である。小名木(おなぎ)川を挟んで、清澄1丁目と常盤1丁目とを結んでいる。
江戸時代の運河(canal)の整備
 小名木川は、隅田川と旧中川を結んでいて、「川」と名付けられているが、江戸時代の初めに、人為的に掘削して造られた運河であり、東西に約5キロまっすぐ伸びている。もともとは行徳に開発された塩田で作られた塩を運ぶために整備されたもので、その後、江戸時代の間に人や野菜、コメなどの重要な輸送ルートになった。
 このように大量に荷物を運ぶため、運河が江戸時代に縦横に整備されたことと、かつて運河が大量輸送ルートとして大きな役割を果たしていたことは注目される。江東区をとってみると、東西に小名木川が走り、大横川、横十間川とクロスするが、いずれももとは江戸時代に開発された運河であり、これらの運河を用いた物流がかつて盛んであったことが伺える。
現在の萬年橋
 小名木川の隅田川との合流口にあるのが、萬年橋である。現在の橋は昭和5年1930年11月に竣工した鋼鉄のタイドアーチ橋(tied arch bridge=アーチの支点が鋼材で接合されているものをタイドアーチという)である。橋長56.25m 幅員17.2mとされる。よく見ると運河である小名木川の舟運を考慮して、橋の位置を高くする工夫をしている。塗装の色はモスグリーン(moss green)。
   なおより専門的には、アーチ状の部材(rib)が、トラス(三角形)に鋼材を入れる形で補強されている(braced)。そこでこれをブレーストリブという。まとめると萬年橋は、ブレーストリブタイドアーチ橋である。
 この橋は、清洲橋を見に行くために、秋葉原のバスターミナルから葛西行きのバスに乗り、「清澄1丁目」で降りて隅田川に向かって最初の交差点で右を見ると、そこにあった。調べてみると、北斎が描いた深川萬年橋の後継の歴史的由緒のある橋であり、震災後の復興過程で作られた橋梁の一つでもある。設計者の意図はわからないが、北斎の描いた深川萬年橋を、この橋は模しているようにも思える。
 アクセス 秋葉原で葛西行きバスに乗り、清澄1丁目で下車してすぐ。秋葉原のバス乗り場はヨドバシカメラ前の②乗り場である。秋26「葛西行き」バスに乗る。おおよそ20分間隔で運行されている。なお清澄1丁目までおおよそ20分である。

右側が清澄1丁目、左側が常磐1丁目。橋の位置は左右の町より少し高い。
清澄1丁目 入口部 橋の位置が高いことが分かる
清澄1丁目側入り口
清澄1丁目側から常盤1丁目を見ると、常盤1丁目側が橋の位置よりかなり低い
常盤1丁目側から清澄1丁目を見ると、清澄1丁目も橋の位置よりかなり低い
常盤1丁目側から
常盤1丁目側から 右側奥に清洲橋が見える


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