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トロッキーと陳独秀ー独裁批判での共鳴

トロッキーと陳独秀-独裁批判での共鳴        
                             福光 寛
 トロッキ―の「永続革命論」2008年3月現代思潮新社;「中国革命論」同左を読んだ。いずれも現代思潮社からかつて出されたものの復刻出版。前者は1969年、後者は1961年の出版。後者は「10月の教訓」という本と併せて1冊になっている。陳独秀とトロッキーの間で交流があったことは、陳独秀の側にトロッキー宛書簡がでてくることから伺えたが、こちらの「中国革命論」にも陳独秀の演説(1927年5月7日付け)が挿入されている。
 この二つの著述をあくまで眺めた程度、そして陳独秀の著述をざっと眺めて比較した程度での議論にすぎないが、はっきりしたのは両者の共鳴である。
 トロッキーの「永続革命論」や「中国革命論」は陳独秀にどのような影響を与えたのか。民主主義の要求を掲げること、あるいはスターリンやコミンテルンの中国革命への指導を批判すること、などで、二人は共感したと思える。無産階級こそ民主主義の担い手になれると説明するのはまさにトロッキーのフレーズである。
 ところで周知にように、コミンテルン―スターリンは、中国共産党に国民党へ加入することを求めたが、これについてトロッキーは「中国革命論」で批判している。
ー中国は経済的には社会主義へ独立的に移行する前提条件はなに一つ持っていない…そして国民党の指導の下に展開している革命は、ブルジョア的民族革命である…部分的にはまさしくこの後進性のゆえに、中国革命は、プロレタリアートの指導権のもとに、労働者と農民の同盟を政権に着かせることが完全に可能である トロッキー 中国革命における階級関係1927年4月3日 邦訳『中国革命論』現代思潮新社版2008年3月p.8)
ーそのための第一の最も基本的な条件は、共産党の完全な独立と、共産党が旗を高く掲げて、労働階級の指導性と革命におけるヘゲモニーを獲得するために、公然と闘争することである( トロッキー 同前書p.9)
ー共産党の代表は、国民政府に参加すべきだろうか?革命の新しい局面に一致するような政府、革命的な労働者と農民の政府へなら、もちろん、参加しなければならずぬ。現在のような国民政府へは、絶対に、いなである。( トロッキー 同前書p.13)
ー民主主義革命のボリシェビキ路線のための闘争について語る権利をもつためには、プロレタリア政策の主要な機関、つまり自分自身の旗印の下に戦い、自己の政策と組織が、他の階級の政策と組織のうちに解消することを断じて許さないところの、独立したプロレタリア政党をもたなければならない。共産党の完全な理論的、政治的独立の保証のないかぎり、「二つの路線」に関する一切の議論は、ボリシェヴィズムを愚弄するものである。(トロッキー 中国革命と同志スターリンのテーゼ1927年5月17日 邦訳『中国革命論』現代思潮新社版2008年3月p.32)

 この論争を通じて既に見えるのは自身に対する批判を、団結を妨げるものとして封じたり、あるいは左遷や職務の変更という手法で封じる、スターリンの姿である。これがやがて反対派が陰謀を図ったとして、逮捕=処刑する手法にエスカレートしてゆく。ではこのようなスターリンのような人物の登場を排除しつつ、社会の変革を成し遂げるにはどうしなければいけなかったのか?独裁をそもそも否定すること=民主主義の確立を第一にしなければいけないのではないか?トロッキーは次のように問題を指摘している。
ーコミンテルンの戦列を乱そうとするものは犯罪人である…(として)完全にあやまったスターリンのテーゼは、事実上神聖犯すべからざるものであると宣言させられた(トロッキー 中国問題に関する第一の演説1927年5月 邦訳『中国革命論』現代思潮新社版2008年3月p.69)
ー指導部の犯すいっさいの誤謬は、いわば反対派に対する弾圧によって「善し」とされる(トロッキー 同前書pp69-70)
―対外政策におけるまちがった傾向は、われわれの国内政策における間違った傾向の延長にすぎない(トロッキー 同前書p.70)
ー今回のような危機にあっては、革命政策の第一則は、問題を究極まで考察し、自己の見解を完全に、明瞭に、欺瞞をくわえず、留保せずに発表することである(トロッキー 中国問題に関する第二の演説1927年5月 邦訳『中国革命論』現代思潮新社版2008年3月p.88)
―党機構の全トリックは、工場における熟練労働者をはじめとして、反対派党員をその職務から追い出すことである。彼らは…反対派的見解を…擁護しているという理由だけで…迫害され、左遷され、放逐されるのである(トロッキー 同前書p.89)

 永続革命論を継承するなら、民主化の徹底の後の社会主義への移行が語られるべきだが、陳独秀の最後の書簡類は、民主主義の議論だけで終わっている。つまり専制:独裁批判が強くなっており、民主主義擁護、それも資産階級民主が悪いものではない、それを徹底すべきだ、という主張が全面にでている。1936年から38年にかけて、スターリンの大粛清の一部はモスクワ裁判が公開される中で、陳独秀にも見えたはず。また中国共産党内部での粛清抑圧については、彼自身見聞していたはず。そして1939年9月以降の欧州戦争では、ソ連は領土的野心を隠さなかった(この領土拡張にはソ連側からすれば防衛的な意味はあったとは考えられる)。ソビエト内部に民主主義が欠如していることの問題、あるいはスターリン独裁の問題は、1930年代後半により明瞭になった。陳独秀の最後の書簡類での、資産階級民主主義の強調は、こうした見聞の蓄積による-1930年代後半、現実のソビエトへの幻滅と関係しているのではないか。これが当面の仮説である。

 永続革命論を継承するなら、民主化の徹底の後の社会主義への移行が語られるべきだが、陳独秀の最後の書簡類は民主主義の議論だけで終わっている。つまり専制:独裁批判が強くなっており、民主主義擁護、それも資産階級民主が悪いものではない、という主張が強くなっている。それは意外でもあるが、あるいは必然かもしれない。背景にあるのはスターリン体制あるいは共産党独裁政権についてのさまざまな否定的情報の増加なのではないだろうか。必要な飛躍は、おそらく社会の変革自体においても、独裁を否定する考え方への跳躍ではないだろうか? 

  胡適「陳独秀の最後の手紙と論文」序文


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