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毒奶粉事件 2008/09

 北京オリンピックが開催されたのは2008年8月8日から24日だが、その直後の2008年9月9日の上海「東方早報」の報道で一気に事態が動いたのが、三鹿集団が起こした毒ミルク粉事件である。ただよく考えると、問題は三鹿だけでなかったはずなのに三鹿だけに焦点があたったこと、問題の指摘が、2005年からおこなわれていたのに、報道が出た2008年9月まで問題の摘発が遅れ、長期間放置されていたことなどいろいろな疑問が残る。
 以下の記事は、吳曉波《激蕩十年,水大魚大》中信出版集團2017年22-24をまとめ、コメントをつけたもので、コメントは吳の書きぶりについてのものである(なお、ここで使う写真は東京ベイコート倶楽部。もちろんこの事件とは無関係である。)

 中国の乳業は当初は、乳業メーカーが乳牛を農家に預けて育成を任せ、牛乳集荷による分割払いの形で乳牛の所有権を農家が得るというもの。まさにこのモデルを展開したのが、三鹿集団の田文華であった。しかし2005年頃から、他の乳業メーカーも成長し、牛乳の買い取り市場は、売り方市場に変質したとされる。買い取りの管理が甘くなった状態で、売り方になる奶站(農家がまとまったもの)の中に原乳の品質を良く見せようとメラニン(三聚氰胺)を原乳に加えるものがあらわれた。メラニンを加えるとアミノ基が増え,たんぱく質量が増えたように見えるからである。しかしこれは有害で、腎臓結石などにつながるとされる。
 実はこの問題の指摘は、中国乳業協会から2005年から乳業メーカーに対して、口頭あるいは文書の形で行われていた。奶站と乳業メーカー自身が、結託して原乳にタンパク粉などを混ぜているという指摘である。(コメント⇒こうした指摘に対応していれば、問題は深刻にならなかったという意味で腹立たしい。)
 2007年12月には、三鹿集団に、三鹿のミルク粉により腎臓結石を患ったという訴えがおこされた。この訴えから間もなく、国家質検総局はミルク粉な品質検査を行ったとして、健全質量のミルク粉生産企業のリストを発表、その筆頭は三鹿であった。(⇒国家質検総局は三鹿に加担するという重大な誤りを犯した。役人の事なかれ主義が腹立たしい。)
 事態が動くのは2008年9月9日、2008年9月9日の上海「東方早報」の報道で、甘粛の14名の嬰児の腎臓病の原因は、三鹿の粉ミルクを飲んだことによるとことが疑われると、報道してからである。
 6日後の9月16日、国家質検総局は粉ミルク業者22社についてのメラニンの測定結果を発表。国内の有名メーカーはいずれもメラニンが検出される結果になった。三鹿の量は突出しており、衛生部が公表した許容量の40倍を超えていたとされ、同日、田文華は逮捕された。
 9月22日発表の衛生部の調査結果によれば、メラニンを含むミルク粉により、泌尿器に異常が生じた乳幼児は全国で29万余り、内入院は1万余り、死亡確認は6例とのこと。(⇒29万すべての加害者が三鹿であるのか三鹿以外の問題があったかどうか不明。)
 同日、国家質検総局局長李長江は引責辞職。(⇒当然だが。衛生部の責任は?)
 2009年2月、三鹿集団は破産し、田文華は無期懲役となった。
(⇒三鹿集団でほかに罪に問われた人は不明。三鹿以外の企業へ追及は不明。奶站や三鹿の品質管理の責任者などの責任も追及されるべきように思われる。乳幼児たちのその後については不明。
 この事件は、国産粉ミルクへの信頼を根底から奪ったが、同時に食品の品質についての、重大な警鐘になったと考えられるし、さらに企業を評価するときの基準についても、大きな反省材料になると考えられる。)

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