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安田峰俊と楊逸について

 
                             福光 寛
 安田峰俊(1982-)と楊逸(1964-)との対談「いつか目覚める日 天安門事件三十年」を週刊読書人ウェッブ2019年7月19日号でたまたま読んだ(https://dokushojin.com)。
 楊逸(1964-)は、2008年に天安門事件を素材にした小説『時が滲む朝』で芥川賞を受賞した在日中国人作家(ハルビン出身 子供のときに父親の下放で農村生活の経験あり 1987年より滞日 1989年は5月27日に一時帰国して北京の状況を見ているがその後ハルビンに行き6月4日そのものは見ていない)である。
 安田は中国近現代史に強いルポライターだ。近刊の安田峰俊『八九六四』角川書店2018年はよく読まれている。これは1989年6月4日天安門事件についての、インタビュー記録である。このようなインタビューでは当時の学生指導者にだけ目が行きがちだが、巻き添えになった人や、その場にたまたまいた一般の市民にまでインタビューの幅を広げている。本書のなかで香港からみて事件への関心が薄れてきているという指摘や、日本人留学生の、鎮圧だけでなく、学生のデモもむしろ起きなければよかったという感慨はとくに興味深い。ただただインタビューが並列されているので、天安門事件に関心があっても本書を一気に読み通すのは少しツライ。
 安田はこのほか石平(1962-)との対談『天安門三十年』育鵬社2019年を最近出している。この本の中では、天安門事件が果たして民主化要求といえるものだったかという、基本的な問題を、石と安田がそれぞれ語っている。石はこの時の学生の要求は、共産党政権を認めた上での各種の請願であり、今回の学生運動を愛国的民主的運動であることを認めて欲しいというものであったこと(民主化要求とはいえないものだった)を指摘している(第1章)。安田は中国における民主は名君のもとで民心を得た状態が中国における民主であって、西欧的な民主主義とそれは別物ではないか、と指摘している(第2章)。これは正しいポイントをついているかもしれない。
 他方、楊逸(1964-)の小説『時が滲む朝』は彼女自身が明らかにしているように完全にフィクションである。主人公は、お父さんが北京大学で学んだものの右派として農村に下放されその後、中学校の教員に。その家庭で懸命に学んで地方の有力大学に入学した男子学生。この学生の1989年の事件前後の地方都市での姿を描くことで、当時の中国の姿や天安門事件が何であったかを、それに巻き込まれ傷ついた一般学生の姿を描こうとしている。この小説を何回か読んで、感じるのは学生の生真面目さに共感しつつ、同時に学生たちの未熟さをも描こうとするやや突き放した姿勢である。
 この小説が発表されたとき、天安門事件を題材にしたことで中国社会から却って無視されることになったと日本では評されたが、楊逸はおそらく日本で受けることを狙いわざとこの素材を選び、その扱い方はある意味、中国政府からも批判されないようにかなり計算されたものであるように思える。現実の社会に生きている私たちとして、そうした計算がいけないとは言えない。ただ楊逸の小説を、天安門事件を知るために読む若い人がいることを知ると、いやこれはフィクションで差しさわりのあることは書かれていないと余計な口添えをしたくはなる。
 安田は週刊読書人の対談の中で、楊逸のこの小説をほめている。なぜだろうか。私見では、安田が共感したの小説の舞台が、北京だけでなく、中国の地方都市で、そこでも学生たちがデモをし集会を行い、そして挫折を味わったことをこの小説が描いたことではないか。またもう一つは、学生たちの挫折の捉え方に二人は共感するものがあるからではないか。ところで天安門事件についての疑問の一つは、鎮圧が予想され警告されるなか、学生がなぜ引き返せなかったかだ。楊逸や安田に共通するのは、当時の学生指導者の未熟さである。末端の一般学生はそれもいい。ただその指導者たちは、そうであってはいけなかったということに二人は思いが至っているからではないか。

#安田峰俊 #楊逸 #石平 #天安門事件

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