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魯迅《孔乙已》1919/03

魯迅《呐喊》北京燕山出版社2013年pp.15-18 (写真は本郷給水所公苑 撮影2020年5月29日)

飲み屋で店員をしていた若者の回顧談。しかし魯迅がそうした経験をしたわけはないので、この話は完全に創作である。

20世紀初頭の中国は急速に時代が変わった時期。登場人物の孔乙已のように時代にのれず、おちぶれた人たちを魯迅もたくさん見聞したはずだ。その意味では、モデルやもとになった話はあるのかもしれない。
孔乙已はこの飲み屋の客。最初に飲み屋の客を、短衣幫を着ている労働者、手工業者、小商人と、長衣を着ている地主、商人、読書人とに分けて、店の奥まったところで、ゆっくりと飲むのは長衣の客だと魯迅は区分けしている。短衣幫を着た客は店先で立って飲むというところから始まる。その中にあって孔乙已は長衣を着てしかし立って飲む唯一の客だった。孔乙已是站著喝酒而穿長衫的唯一的人。

孔乙已はこの飲み屋の酒代については、工面して払い続けていた。それは彼の最後のプライドだったかもしれない。孔乙已もともとは科挙の受験を目指していた読書人。しかし試験に通らず、怠け癖もあり、生活に窮してついにはモノを盗むようになる。そしてついに挙人(あとで説明しますが科挙で2番目の試験に通った人)でもある名士の家で盗みを働き、挙句、足を折ってしまう。ここは足を折るほど痛みつけられたのか、折られてしまったかははっきりしない。そして飲み屋の酒代も付けがたまってしまった。

最後はもはや歩けないので、いざりのように地面を張って、小銭を握りしめて一杯の酒をもとめて飲み屋に現れ、それが最後の消息となった。次の文章で終わる。我到現在終于沒有見--大約孔乙已的確死了。

この話が物悲しいのは、大学院生の世界で今も同じようなことが繰り返されていることを思い起こすからだ。研究者を目指して大学院に入り、気が付けばどうしようもない年齢に達している人は多い。そうした大学院の悲劇を少し重ねてしまう。科挙制度は各地で行われる「童試」が最初の関門でそこを突破したものが秀才である。秀才を取得したものは進学と呼ばれ、府の学校で学べる。その次の試験が「郷試」でこれに受かったものが挙人である。最後の試験が「殿試」でこれに受かったものを進士という。それぞれの関門の試験は3年置き。なので合格に至る道は極めて狭かったといえる。努力して報われた人はいい。ただそうでなかった人はどう生きればいいのだろうか?

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#本郷給水所公苑


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