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朱山坡「鳳凰」『花城』2018年第6期

 著者朱山坡(チュー・シャンポウ)は1973年8月生まれ。広西省北流市の人。この小説は、大人のおとぎ話なのだろう。多くの比喩が隠されているように思える。明確な時期の指定がある。それは1978年から1979年という中国が改革開放に進む時期である。この時期、「改革開放」だけが行われたわけではない。中国はベトナムに対して戦争を仕掛けている(1979年2月17日から3月16日とされている)。実はこの戦争は中国にとり苦戦で多くの犠牲を出している。この小説で出てくる戦争はこの中越戦争だろう。『2019中国年度 短篇小説』漓江出版社2020年1月pp.17-29より(原載『花城』2018年第6期)。(写真は、小石川後楽園にて蓮の花  花言葉の「純潔」を思い出させる白い花である)。
 公的に中国が改革開放に転換する指標として使われるのは、1978年5月11日。『光明新聞』に特約評論員の名前で「実践は真理を判定(検験)する唯一の基準(標準)である」という論評記事が掲載されたことである。この記事が、翌日『人民日報』や『解放軍報』に転載され、政治の流れが改革開放に大きく変わり始めたされる(罗平汉《墙上春秋》中共党史出版社2015年7月pp.247-248)。その後の1978年11月から1979年3月。これは「民主の壁」運動が高まった時期である。1979年3月29日、北京市革命委員会は、首都の社会秩序を維持擁護するとして、社会主義、無産階級独裁、共産党の指導、マルクス=レーニン主義、毛沢東思想に反対する、機密を漏洩する、すべての大小の壁新聞、書画音曲を禁止する、として六条の禁止を発表し、さらに運動をけん引していた魏京生の逮捕に進んだ(張裕編撰《王實味到劉曉波》自由文化出版社2013年2月pp.225-226. 王丹《中華人民共和國史 二版》聯經出版2016年6月pp.223-233.)。つまり改革開放が、無原則な「自由化」とは異なることも示されたのがこの時期である。
 この小説は、おとぎ話の形をとって、極めて微妙な政治問題を扱っているように見える。小説は鳳(フェン)と呼ばれる女性が主人公。そのもとに凰(ホアン)と呼ばれる男性が現れ、その後、戦争に行く。のちに1979年3月29日に凰が死んでいることが分かる。この日付けの一致は偶然の一致とは思えない。前置きが長すぎたが、以下あらすじを見てゆく(《2019中国年度短篇小说》漓江出版社2020年1月pp.17-29)。

 蛋镇(ダンチェン)という町の映画館の切符売り場に、鳳というとても美しい娘がいて、町中の若い男のあこがれの的だった。彼女は意中の人(命中注定的人)が現れるのを待つと言い続けた。多くの男性が彼女に迫っても、彼女の態度はかわらなかった。そして月日が過ぎて、彼女はついに時間を区切った。1年後の(1978年)5月9日の午後3時までに意中の人が現れなければ、みなさんのうちのどなたかと結婚しましょう、と。
 そして多くの人が、映画館の外で待ち構えるなか、その時が来た、1978年5月9日午後2時59分59秒。彼女は「私の意中の人が現れた」と言った。彼女が指し示す方向を人々が見ると、蛋镇にただ1本ある鳳凰の木の下に見知らぬ男性がいた。実はこの木でかつて右派分子が自殺したことがあり、不吉な木だというので、普段は誰も近寄らなかった。
 鳳(彼女)は、男性に呼び掛けた。「あなたの名前は凰で、私はあなたを7年待った。貴方はついにやってきた。」男性は「あなたは人違いをしている。私は章衛国というもので、あなたと会ったことがない」と答えた。
 鳳は彼の眼をじっと見てこういった。「私はあなたと夢の中で何度も会っています。昨夜も会ったばかりで、あなたは凰です。」と。
 すると男性はすこし経ってこう答えた。「そうです。私は凰です。あなたとは、夢あるいはどこかほかで、会ったことがあります」と。鳳は笑うと古い知り合いだったかのように、自ら彼の手を取り一緒に歩き去った。
 章衛国は1週間前に、獣医として赴任した人物で蛋镇の人にすればよそ者だった。蛋镇の人々はそこで二人にさまざま意地悪さえしたが、二人はそれに耐えた。そしてついに、二人が結婚するなら、それを祝福しようと皆が考えるようになった。

 そうしているところに町に1台がジープがやってきた。徴兵の宣伝車だった。乗っていたのは、たまたま凰の同窓生で、鳳凰の木の下にいた二人をみつけると、凰に応募を勧めた。彼は「兵にならずに、ただここで安穏と生きるのか」と凰を煽った。そしてついに凰は応募を決意した。凰は必ず戻ると鳳に約束して戦地に赴いた。

 戦地で凰は戦士であり、戦闘に加わり、また獣医の技能を使って多くの戦友を救った。そして当初は鳳と凰との音信は維持されたが、突然それは中断した。しかし鳳は前線に手紙を書き続けた。
 映画館では血が沸き立つような戦闘場面が流されていた。
 やがて蛋镇の人たちは、凰は戦死したに違いないと考えるようになった。しかし鳳の気持ちを考え彼女をそっとしておこうとした。

 半年がたち、ある日の朝早く、映画館から彼女が飛び出してきた。そして「昨夜、凰が帰ってきました」と伝えた。
 人々は半信半疑だったが、券売り場を覗くと、確かに軍隊の服装を着た人が疲れた様子で寝ていた。まる1日寝て、まだ疲れているのでさらに1日経ったら、皆さんと話しますからと鳳は約束した。
 その2日目の朝、人々が券売り場を開けると、そこには誰もいなかった。
 老掃除夫の陸清夫に依れば、昨夜、映画館前の大樹の下で男女が抱き合い話し合って、その後、北に向かって行ったと。この話が本当だとして、なぜ二人が蛋镇をこっそり離れたかはなぞになった。
 鳳は蛋镇から消え戻ってこなかった。そして人々は映画を見なくなった。飽きたのか、人を騙すものだと気が付いたのか。その後、蛋镇のある人が凰のことを調べに行き、戦没兵士墓地に「章衛国」の名前と写真を見つけた。1979年3月29日に亡くなっていた。では1979年12月22日に映画館の券売り場に横たわっていた凰は一体だれなのか?
 その後人々は議論を続けたが結論は出なかった。数年前のことだが、鳳凰の木の下に誰かが、大理石の石碑を立てた。「鳳凰在此(鳳凰はここにいる)」の4文字が隷書体で刻まれている。その後、季節ごと、鳳凰の木の下にお香の火が絶えない。遠くから蛋镇に来た人は皆、この石碑の前で祈り、泣くものさえある。鳳凰の木は青々と茂り、映画館よりもさらに高くなり、遠くからも望めるようになった。

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