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統一購入統一消費の実施 1953

薄一波 若干重大決策與事件回顧 より(写真は東武百貨店池袋店西側壁面 2020年1月16日)

p.181  物価の安定の継続は、全国財経工作の統一のあと、新中国財経戦線の第二次大戦だと言われた、すなわち1953年に糧食など主要農産品に対して統一購入統一消費の実行が開始された(加えて資本主義工商業と個人農業、個人手工業の対する社会主義改造、これが財経戦線の「三大戦役」であった。1985年に至って糧綿契約買付(合同定購)制度は廃棄されるまで、この特定の条件下で開始された農産品統一購入(統購)は32年の長い間持続した。統一消費制度の一部の基本内容は、現在でもなお実行されている。統一購入統一消費(統購統銷)制度の発生と発展の回顧し、我々の経験の総括することは、今後ますます増える都市人口の飯を食べるというこの大問題を探索するうえで、有益であろう。
   (1)  厳しい糧食の形勢
 新中国が誕生して以来、糧食の生産と需要の矛盾、供給と需要(需求)の矛盾はすでに十分先鋭化していた。もしも糧食の生産と需要の矛盾が大規模に展開された農業合作化の動因の一つだというなら、それなら1953年の糧食統一購入統一消費実施は、当時の糧食の供給と需要の矛盾の発展の産物である。

p.181 当時の糧食市場は自由市場であり、農民は農業税(すなわち公糧)を別にして、糧食を市場で自由に売れた。糧食の経営には、国営糧食公司と供給合作社のほか、私営糧商がいた。1952年7月1日から1953年6月30日の間で、この糧食年度において、全国での糧食市場出荷348億斤 国家と供給社(供銷社)の購入は69.9%,私商の購入は30.1%。糧食の形勢が厳しくなるなかで、私商と国家の間の糧食の争奪闘争は先鋭になっていった。

p.183 1953年上半年、糧食供給消費の矛盾がさらに深まるなか、毛主席は中財委員会に具体的な方策(辦法)を要求した。このとき陳雲同志は病気のため外地で休息しており、財委の仕事は私が担当していた。・・・7月下旬、財経会議の後期、陳雲同志が北京に戻ってきた彼は大変な力を振り絞ってこの問題の研究を開始した。・・・広範な意見の聴取と、真摯な思考の末に陳雲は既述の7つの方法は選択できず、一つ残る、農村で政府が買い付け(徵購)、都市で配給する方法しかない、と認識した。

p.189 10月16日、中央政治局は再び拡大会議を開き、全国糧食会議の討論を経て鄧小平同志が修改をした「中共中央関糧食統購統銷的決議」などの文書を可決した。11月19日政務院は第194次政務会で「関與實行糧食的計劃收購和計劃供應的命令」を可決した。12月初めにチベットと台湾を除いて、全国の都市農村で糧食の統一購入統一販売が開始され始めた。

p.197 統一購入統一消費制度の主要欠陥、これは価値規律の農業生産そして農産品経営の作用において価値規律を制限することである。それが農民生産の積極性の発揮や、工商企業予算の実施に、不利な影響を与えないとはいえない。というのも統一購入統一消費は、農民と市場との関係を分断するからである。

#薄一波 #統一購入統一消費 #統購統銷

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