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市民

増田四郎はヨーロッパについて以下のように整理している。増田四郎『都市』ちくま学芸文庫 1994

増田は、中国の都市についても 議論しているが、そこは今回省いておく。その理由は増田の中国都市論をどこまで信ずるべきか少し時間をおきたいからである。増田のヨーロッパの市民についての議論を踏まえると、「市民」のあり方を論じるさらにその前提として、市民が封建的権力と争いながら、市民的権利を獲得してゆくプロセス、また市民の権利を裏付ける自治的団体の形成などが存在することが、そもそも必要なのかもしれない。もちろんヨーロッパとは違う形ではあるが、こうしたプロセスは、いま中国でも展開されつつあるといえるのではないか。
付論 市民の概念とその変遷 pp.202-217

ここでは 中国での市民概念を考えるうえでも手掛かりになりそうな ヨーロッパにおける市民概念の変遷 の部分を読んでおく
市民とは 自由にして完全な権利をもつ都市の市民の総称 都市共同体の正規のメンバーという法的な概念 であった p.204
しかし18世紀以後は共同体の住民全体と正当な市民との区別がなくなり また参政権の拡大にともない市民の意味がますます拡大(した)

 市民ということばで常識的に理解されている内容   pp.204-207
① 本来の都市団体の構成メムバーという意味をうけつぎ 法概念をやや拡大して市政に参与しうる都市の構成員並びにその家族 都市住民の大部分を含むという考え方
② 旧貴族の階層 の移民や労働者の階層 その中間に介在する非常に幅の広い社会層
③ アンシャンレジームに対する市民革命という場合の市民 ブルジョワジーのこと 近代資本主義社会の担い手

古典古代の市民というものは原則として、直接生産の部門を、奴隷や従属民にすっかり任せている特権階級であった・・当時の市民は消費者階級であり、都市そのものは消費者都市であった p.209

ところが11,12世紀になると、ヨーロッパの各地に商業復活の機運が熟してきた。・・・ヨーロッパの都市は、封建的支配の排除を目的とした反抗を通じ、市民が自己防衛のために武器をもって立ち、平等の立場で誓約を行って結成された特殊法域であり、また古代と違って広義の生産者都市であった pp.209-210

ヨーロッパの都市というものは、封建勢力への反抗に発し、自警と自衛を目指す強固な団体であり、・・・この意識が・・・具体的・経済的に維持されたもの p.211

都市や市民権の考えというものが、ヨーロッパでは国家形成の有力な原理となり、さらに古典古代の伝統をも理論的に復活させて、ここに「市民」を中心にした社会観を生むに至ったのである p.212

 手元の台湾で2011年に刊行された『中國城市用語』(airiti press)は、中国内外の国際研究の成果。その市民の項目を見ると、中国では市民は郷民の対立概念とあるが、中国で歴史的にいつからこの言葉があるかという肝心な問題は議論していない。また現代的には公民権を享有する都市(城市)公民を指す、一種の政治概念とある。同書pp.238-239

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