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整風運動と反右派闘争 1957

薄一波 若干重大決策与事件的回顧 下巻よりp.399
22. 『人民内部の矛盾を正確に処理する問題について』の発表
  『人民内部の矛盾を正確に処理する問題について』は毛主席が社会主義時期に書かれた最重要著作の一つである。同書は唯物弁証法を用いて社会主義社会の基本矛盾を科学的に分析し、社会主義建設中の一連の重大問題を正確に提出明白に述べて、わが国社会主義事業の発展のため理論基礎をしっかり固めた(奠定)。その発表は1950年代中期のわが国政治生活中の一大事であっただけでなく、中国特色社会主義の建設の過程において、毛沢東思想の理論力量を明らかに示したものであり、わが国の改革開放や現代化建設事業の発展にとりなお重要な指導意義をもっていると、私は考えている。それゆえに本書下巻において、私はまず毛主席のこの著作の形成、回顧と分析から始めたい。

(1) 社会主義建設時期の国家政治生活の主題
   毛主席は人民内部の矛盾を正確に処理する問題をなぜ提起(提出)したのか? 大胆にいうなら(概括的にいえば)、わが国が革命の時期から全面建設の時期に入る切迫した必要があったことに加えて、中国革命と建設経験にとっての国際共産主義運動の経験の深刻な総括があったからである。
 『人民内部の問題を正確に処理する問題について』は1957年2月27日毛主席が1800人余りが出席した最高国務会議第11次拡大会議で発表した重要講話である。原題目は『人民内部の矛盾をいかに処理するか』でのちに整理、若干の修正補充を経て6月19日に公開発表され、題目も『人民内部の矛盾を正確に処理する問題』に改められた。
 当時我が国はまさに重大な歴史転換(転折)時期にあった。毛主席は言った。「中国共産党は階級闘争の勝利を指導する党である。現在の任務は自然界に向かうこと、つまり建設をすることである」。1956年9月、党の八回大会は「中国が革命から建設へ」転換(転変)することを記録し宣言した。  

23.  整風、反右派と主要矛盾に関する修改八大の論断
 p.425  整風と反右派とは1957年に全面化した二つの大事件である。これら二つは本来は異質のものであるが、実際の進行は入り乱れて一緒に起こり(攪在一起)、それゆえ整風を論ずるには反右派を語らずにはおられず、また半右派を論ずるには整風を論じないわけにゆかない。この二つの事件の原因と過程を回顧し、総括から経験と教訓をくみ取ることは、党の建設を強化し、社会主義民主を発揚するうえで有益である。

(1) 全党を立ちあがらせ整風(運動)を進めた意図と方針
 整風は我々の党が延安にあった時に創造された党建設を強化する一種のよい方法である。1942年に延安整風は開始された。マルクスレーニン主義により、基本原理と中国革命の具体実践が結合された原則の基礎に、全党の思想を統一する。そして新民主主義革命の勝利を奪取し、社会主義革命の勝利の思想基礎を固める。
 今回の整風運動はわが国が社会主義を全面建設に入った後であり、延安整風の伝統を発揚し、執政党建設を強化し、党の素質と指導能力を高める重大な措置であった。それは発酵(醖釀)準備の過程を経たものだった。1957年4月30日に毛主席は、民主党派の指導者と無党派民主人士と接見したときにつぎのように言った。「数年来常に整風を考えてきたが、機会を得られなかった。現在それが得られた。」「現在それが得られた(現在找到了)」というのは社会主義改造が基本完成し、人民内部の問題を正確に処理することが、国家政治生活の主題となり、当時全国上下でまさにこの問題が熱心に討論されていたことを指している。この整風は実際には党の八大で発酵が開始されていた。1956年9月15日、毛主席は八回大会の開幕の言葉の中で指摘した。七回大会以来の11年、2度の革命の実践は党の路線の正しさを証明している。我々の党は成熟した偉大なマルクスレーニン主義政党である。「しかし我々にはなお重大な(厳重)欠点がある。我々の多くの同志の間には、なおマルクスレーニン主義の観点と作風への違反が存在する、これはつまり思想上の主観主義であり、工作上の官僚主義、組織上の宗派主義である。これらの観点と作風はいずれも大衆から遊離し、実際から遊離し、党内党外の団結に利益にならず(不利であり)、我々の事業の進歩を阻害し、我々の同志の進歩を阻害している。党内の思想教育方法を強化することは不可欠(必須)であり、我々の隊伍中のこの種の欠点は全力で克服されねばならない。」9月16日鄧小平同志は、党章を修正改定する報告のなかで、執政条件下で党を強化する建設方針を提起(提出)し、各地区各部門の党組織に対して、過去行った整党工作の経験を用いて、大衆の批判と自己批判の方法を採用して、常に党員に工作作風を見直し改めさせること(整頓させること)を求めた。

p.435  私が知るところでは、四人組を粉砕したあと、とくに十一届三中全会以来、誤って右派分子に区分された結果の訂正が発表されている。反右派闘争で区分された55万人のなかで、ごく少数の本当右派を除くと、絶対的大部分あるいは99%は誤って区分されていた。この誤って区分された人たちの中には、多くの革命に多年参加した党幹部がおり、多くの党と長期協力し事を共にした愛国人士友人がおり、多くの学者専門家、経営管理に造詣の深い工商業者、さらには多くの政治的熱情はあるが未成熟な青年学生がいた。彼らは誤って右派と区分され、社会主義建設でその持てる力を発揮できなかった。これは彼ら個人にとって損失と不幸であっただけでなく、党と国家にとても損失であり不幸であった。

p.437 政権を取得する前、闘争の主要形式は群衆を自由に発動させ(放手發動群衆)武装闘争を進めることであった。無産階級が政権を取得後、政権は我々が階級闘争を進めるうえで強力な武器となった。社会主義改造が完成したあと、階級闘争はすでに社会の主要矛盾ではなく、主要は法制により進めるべきである。ところが我々の党が長期にわたり群衆による階級闘争の環境にあったために、なお群集による階級闘争方式を採用に慣れていた。10年内乱が終わるまで、我々は一貫してこのことに無自覚だった(一直缺乏這種認識)。このことがまさに反右派闘争が開始され長期階級闘争が拡大した重要根源である。この教訓をわれわれはしっかりと記録するべきである。


p.439   反右派闘争とその拡大化は重大な(厳重)結果をもたらした。(その)理論上の集中表現は八大の主要矛盾の論断が改正(修改)され、党の工作重心の移転(転移)が中断され、我々の党と国家が長期に階級闘争を拡大する誤り(迷誤)に陥ったことである。階級闘争は不断にかつ次第にレベルを上げ、社会主義経済建設はひどく妨げられ(厳重地干擾了)多くの貴重な発展の時期が失われ、国家の実力と人民生活の向上を妨げた(影響了)。

p.439  八大の政治報告の決議は「我が国の無産階級と資産階級の間の矛盾は基本的に解決している」と正しく指摘した…ところがわずか1年経った1957年9月20日から10月9日に開かれた党の八届三中全会でこの論断は改められ、無産階級と資産階級との矛盾が主要矛盾として再び提起された。

24. 反冒進を批判する(批評反冒進)
p.447  経済建設上のむやみな突進(冒進)に反対する、(この問題は)1956年初めに提出され、1957年初めまでずっと続けられた。この問題に対して、私は本書上巻第21編の中で回顧して、毛主席は反冒進に不満(意見)はあったことを指摘した。しかし当時彼の注意力は、国際上発生したハンガリー事件とこれ対するスターリンの評価問題に集中され、反冒進への態度は保留されていた。1957 年後半に入ると形勢は大きく変化した。国際上、ハンガリー事件はすでに過去のものになった。国内反右派闘争は基本収束し、各クラス幹部は工作作風の整風改善を終えていた。農村では冬季の農田水田建設が燃え盛る朝日(熱潮)のように出現し、第一次五か年計画は前倒しで超過達成され、人心は奮い立っていた。情勢の変化(発展)により、毛主席は反冒進の方法(做法)に対し批判を提出し、反冒進は大衆にまさに高まる生産への熱情を束縛し、大衆の積極性に冷や水を浴びせ(潑了)、建設の速度を遅らせ、飛躍的前進の局面が出現するのを阻害したとみなした。この批判(批評)は社会主義建設総路線の形成と「大躍進」の発動を加速した、これに伴って「左」の間違った行為(錯誤)は拡大(発展)し、わが国の経済生活と政治生活とにとても大きなマイナス(消極)の影響がもたらされた。

25. 社会主義建設総路線の制定
p.463  1958年に党の八大二次会議は、「心躍り(鼓足幹勁)奮闘努力する(力爭上游)、早いほどよい(多快好省地)社会主義建設」総路線を制定した。これは、党中央と毛沢東同志が工作の重心を経済建設に移すことになった気持ちを(その変化を)体現し、全党と全国民のわが国の遅れた様相を改めたいという切迫した要求を反映していた。総路線はその後、続いて立ち上げられた「大躍進」と人民公社化運動とに受け継がれた。当時人々はこれを「三面紅旗」と呼んだ。決定された政策自身のもつ問題(某些缺陷)と執行中の巨大な落差(偏差)により、この工作重心を移す試みは、予期された成果を生み出さなかっただけでなく、経済生活に3年連続する重大な困難を生み出し、国民経済の大調整を不可避とした。30数年以上にわたり、人々がこの総路線についてさまざまに論じてきたことも決して不思議ではない。ここで私は、その渦中での私の経験、教訓について具体的に分析し、同志や歴史家たちの参考に供したいと思う。

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