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沙柚『父の帽子』2003

 沙柚(シャ・ヨウ)は実名か筆名か。この小説の記載どおりだとすると1956年生まれ女性である。この小説は日本語で書かれて2003年の出版。どこまでが事実でどこからが創作か。この本が出版された当時のインタビューで確かめたいと思った。
 お父さんは最大手の新聞社(人民日報だろうか)の外信部の課長だった。お母さんは、文革で最初の犠牲者を出した学校の教員。ということは北京師範大学付属女子中学の教員。物語は、1961年春その新聞社付属の全寮制幼稚園から。そこに2年半の強制労働を終えて帰ってきたお父さんが、主人公を迎えに現れる。お父さんは反右派闘争で、右派の帽子をかぶせられたのだった。本書の題名の帽子はその右派帽子の意味だ。住んでた家は四合院の一室で14平方だという。狭いけれどトイレなどが共用なので、なんとかなるのだろう。
 お父さんは、その後、新聞社でもとの仕事にもどれず、記者養成学校でフランス語を教える。そして1965年に両親は離婚して、主人公は父の家を訪れてる。それは教室を兼ねていて父の家はそのうち5平方だったという。お父さんはその後、大学に移動するが、文革がはじまるとともに紅衛兵や造反派の監視下に置かれ、再びその環境は悪くなり、教員宿舎からごみ収集小屋に移され、自己批判書を書かされながら、掃除などをさせられている。

 物語はそのお父さんとお母さんのその帽子をめぐる対立が基本の流れだ。お母さんも自分の身を守るのに必死だったと推測できる。離婚。他方で、主人公とお父さんとの交流。このような政治的風波を避けるための離婚は多かったようだ。
 お母さんの病気とそのお母さんと主人公の対立。住んでいた四合院の人々との交流。などを描いてゆく。やがて近くの不良少女大洋馬との出会い、家出のあたりになると、本当にそこまでのことがあったのだろうかと、つい考えてしまう。
 ただ最終章まで一気に読んで、1977年に大学入学試験が再開したときに主人公がその試験に合格した話を読んで、ふとこの話はおおむねほんとうのことかもしれないと納得した。ちなみにお父さんは1978年に21年の帽子を外して名誉回復し、教授になられたとのこと、本書刊行時のご両親の健在も記されている。住んでいた四合院は再開発でなくなったが、楡の老樹だけが残っているとして本書を閉じている。

#文化大革命 #沙柚


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