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湯成難「搬家」『当代小説』2017年第5期

作者の湯成難は1979年生まれの女性。江蘇省揚州の人。以下の小説の主人公は男性で「方老師」と呼ばれている。この小説は『2017中国年度短篇小説』漓江出版社2018年1月から採録した(原載『当代小説』2017年第5期)。以下はあらすじである(見出し写真はヒルザキツキミソウ)。

 小説は、私(主人公)のところに李城から、一度かれの郷土小官庄に来て欲しいとの電話が入る場面から始まる。彼の郷土の話を李城は何度もしたので、小官庄のことは一木一草までよく知っている土地の様に思えるほどだが、李城は電話の後、細かく行き方を書いて送ってきた。

 李城と私が知り合ったのは、私が小説を書き始めて間もない時。私は小説の中で主人公に素朴で現実的な名前を付けた。女性なら多くは王彩虹。男性ならすべて李城だった。そこで名刺に李城を見つけた時、驚き喜び、そして笑いが込み上げた。「李城というのかね!本当に李城?」。李城もまた驚いて、それから私同様に笑い出した。
 李城は引っ越し(搬家)業者で、20歳前後、やせていたが元気だった。その日、李城は上天気だった。小説に登場している話に加えて、古いソファーを上げることにしたので。その夜、李城はソファーを引き取りにきた。奇怪な生物のようなその移動を私はよく覚えている。
 当時、妻が胃がんで亡くなって間もなくでもあったので、わたしは気持ちが不安定だった。悲しさと寂しさを紛らわせるため、私は執筆に没頭していた。妻が選び、内装を決めた100平方余りの新居は、家内が居ないと大きすぎ、旧居の思い出も抜けがたかった。そんな新居の最初の来客が李城だった。彼は来るときは、定期的にきて、くるとソファーの礼をいい、一籠の野菜をもってきた。あとで分かったのは、李城の実家までは80キロ余り。彼はそこを自転車で往復していたのだ。

 秋になった。私はあまり外出しなくなり、家内が冬になる前に亡くなったことを思った。私たちに子供はなかった。私は逃げるように引っ越しをした旧居に足を運んで掃除をしたりした。暫く李城とも音信がなくなっていたが、ある晩、彼の名刺が本の間に挟まれていたのを発見した。それで電話をした。彼は「最近はどうですか。新しい小説はできましたか。」と聞いてきた。私は「運んでもらいたいものがある。」と答え、自分の答えに自分で驚いた。李城は大至急できて、花を旧居に届けてほしい、というわたしの依頼に納得した。借りたという電動三輪車で李城と私は、花木市場で梅や蘭の花を幾鉢かを入手してから旧居に届けた。
 その仕事が終わったあと李城は、会社には(この仕事を)届けてない。手助けしただけだとカネを受け取らなかった。このあといろんなこまごまとしたことを頼んだが、彼はすぐに来てくれた。そして「次に頼めなくなるから」と言っても、カネを受け取らなかった。こうして我々の間に一種の暗黙の結びつきが生まれた。李城は私の小説の中の李城に関心を示すようになった。外のソファーに座りながら雑誌のページを熱心にめくって、私の小説の中の李城は自分と似ている所があるとか、ひょっとしてこれは未来の自分かもしれないと言った。
 ある時、李城と話しながら歩いて歩いて、李城の住まいの近くまで行った。まもなく取り壊される民間住居のあるあたり。街燈もなく薄暗い。鉄の門があった。鍵で開けると突然明るくなった。部屋の中は本当に狭かった。寝床とその少し先にトイレ。物を置く台として壁に木の板が張られ、椀や懐中電灯、毛布、衣服が置かれていた。おそらくこれが李城の持ち物すべてなのだ。狭いけれど寝れれば十分だと李城は言った。外では犬が鳴いていた。李城を知ってすでに2年が経っていた。
 それから必要があると電話するのではなく李城の家に行った。尋ねるのは私ぐらいだったか。鉄門を開けると、彼が起きる音がした。彼の住まいの狭い空間が好きになり、大きな空間は不要に思えるようになった。いつも灯火を消して月の光の下で移動した。年齢から言えば私は彼の父親だが、李城は私を「ファン先生(方老師)」ときに「ファン兄貴(方大哥)」と呼んだ。彼の父親は80歳になるところなので、私を父と呼ぶには私は若すぎると。兄がいたが14歳のときに川でおぼれて亡くなった。姉がいるが、5-6歳のときに知能に問題があることが分かり、今は32歳になる。「だからその後、僕を養子に迎えたんだ。」彼は静かに言った。

 李城が来なくなって時間が経ち、部屋の中は修理が必要なところもない。ただ時に彼は時間を作って本を借りた。そして全く読んだ形跡はないが、返してきて,本の間にお金が挟まれていた。してもらったことにカネを払おうとすると、かれはいつもきっぱりと拒んだ。彼に上げた皮のオーバーは実家の父に、綿入れのクツは母さんにあげたとのこと。そしていつも実家の野菜を返済として置いて帰った。
 その後、引っ越し会社を辞めたことを知った。引っ越し会社の社長は高利貸しで貸付を受けたが返却できないので逃げたと。李城は、建築現場に行き、住むところを借りなくて済むので満足だと。

 いつも考えたのは、もし李城が農村に生まれず、家庭も違っていれば、今は、大学で学んだり、恋愛を語っている年齢だということだ。
 誰か相手はいないの?突然聞いた。
 李城は困った顔で笑って、まだいないけど、急がない、と答えた。

 2010年から2013年にかけて李城は6つの工事現場を転々とした。2つは工事が一時停止された。一つは取り壊し問題が解決しなかった。一つは投資家の資金が途絶えたという。

 (2014年の)ある日、強風の中、作業していた李城が、現場で落下した。命はとりとめたが、肋骨を3本折り、脾臓腎臓を破裂させる大けがだった。医者は、脾臓と左腎を切除し休息がともかく必要だと言った。李城は現場で1ケ月休息ののち工事現場を離れた。李城はこの事故で何の賠償も得られなかった。

 2014年冬。李城は化学工場の門番という新しい仕事を始めた。町の最東端でとても遠く、会う機会は少なかった。事故から2ケ月前後経ち、座ったり横になったりしながら伝達室の仕事をしていた。
 「体の具合はどうだ?」と聞いた。
 李城はとてもいいが、飯が食べられない消化できない、といい腹部を指した。李城は痩せて腰が曲がりとても小さくなった。年末までには小官庄に戻ると彼は言った。
 小官庄はとてもいいところだが4人の家族で6ムーの土地しかない。4人で食べれば、売るものは何も残らないーこう言ったあとで、李城は私を見つめて、次のように言って笑った。「僕はもう食べないし、両親も老いたからほとんど食べないので大丈夫」と。

 こうして伝達室で李城と話して3ケ月後、李城は小官庄に戻った。そして私はいま小官庄に居る。私の上げたソファーに彼は座っている。
 李城の話では小官庄の人のほとんどが引っ越してしまい人がほとんどいないという。
 李城はやせて2分の1ほどになってしまった。目は大きくくぼみ、歯が突き出ている。
 李城は言う。体はますます悪くなっている。1週間何も食べていない。食べると吐くので、水を飲めるだけだ。それに。いつも寒い。
 その日、太陽は李城の枕元まで届いていた。私は体を傾けて李城が絶え絶えに言う言葉を聞きながら、うなづいた。「引っ越しをしたい、引っ越し屋の鉄門から工事現場の詰め所へではなく、詰め所からあのような伝達室でもなく、あなたの小説の中へ。李城の運命はすべて一律ではなく、小説の中では良い未来がもてるように。両親と知恵遅れの姉にも良い未来がもてるように」と。

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