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陳再見「黒豆,或者反賊薛嵩」『創作与評論』2017年第12期

陳再見は1982年広東陸豊生まれ。以下、老弭(ミイさん)から聞いた話が語られる。

 当時ミイさんはなお書記で、バイクを1台もっていて、昔のことを「あの時、私はまだ書記だったが」と話し始めるのが常だった。私は当時、もう子供ではなく小学校で代講していた。夏休みでその年は特に暑かった。他の話しを私が促すと、ミイさんは「黒豆のことを話そうか」といった。
 黒豆は女性の名前で、結婚して4日で実家に帰された。4日前に黒豆が結婚したときミイさんは黒豆の父親の米貴に招かれ、酒食をふるまわれ、バイクをヤマに住む新郎が新婦を連れてゆくのに貸してくれと言われた。しかしそんなに遠くまで走れないだろうと断った。結婚7日後、新婦宅では新婦を招くはずであったが、ミイさんは4日目にこの話はダメになる予感はして、黒豆の実家に行ってみた。果たして黒豆は実家に戻り泣いている。
 黒豆は新郎と夫婦生活(同房)を拒んだという。黒豆は自分には神様が寄り添っているという。新郎方ではこれは精神病だ、結納金を返せと言い出した。ミイさんが間に入り、半額返すことで折り合った。問題はまもなく文化大革命が始まったことだ。祠の類は壊され、黒豆も批判されることになった。しかし黒豆は批判に屈しなかった。
 文革が終わると、祠はすべて新調され、黒豆は村人の尊敬を得るようになった。革命委員会書記だったミイさんは書記ではなくなり、批判の対象にされた。

 昔々、この地に薛嵩(シュエソン)という人がいた。祖父母はもとよりその母からも疎んじられ他人の家に出されようとしたが、運命を著す「八字」を与える必要があった。おりよく運命を見る盲人が現れたので、占ってもらうと、この人は天子になるべき人(真命天子)と占ってのち、盲人は姿をけしてしまった。その後、薛嵩はゆっくり成長し、郭氏という奥さんをめとり、牛にまたがり牛を放牧した。彼はヤマの上にある馬跃池(馬躍池)と呼ばれるところが好きで、毎日そこで放牧した。そこが荒れていたので彼は黒豆を植えた。3年で実を結び5年後には、落ちた実が一帯を黒い絨毯のように埋めるまでになった。薛嵩は黒豆を、馬跃池(馬躍池)に捨てるように郭氏に指示してヤマを降りてしまった。郭氏が黒豆を池に捨てている話を聞いた薛嵩の母は郭氏を止めようとするが、郭氏は迷ったものの夫の指示だからと応じない。怒った母親は、郭氏を池の水中に投じてしまう。集められた大量の黒豆は、大金となり、母親は息子を褒め、別の奥さんをあてがった。
 城下の薛嵩が天子になるべき人(真命天子)との評判を聞き、皇帝の国師は一計を案じた。本当の天子か、野の盗賊か確かめましょうと。そこで卓上に金、黒土、紅粉を用意して、薛嵩の選択に任した。薛嵩は金を選んだ(薛嵩の考えはもし彼が国の天子となるなら、どれを選ぶにせよすべてはかれのものではないか)。(これに対し国師の謀は)薛嵩が何を選ぶにせよ、現皇帝が選ぶものが正しいと。 
 かくして皇帝に挑んだ薛嵩は破れた。ミイさんは村の外にある小さな墳墓が、薛嵩の墓だという。

 後日談。10年前、ミイさんが衛生院に女の人(黒豆)を送ってきたとき私は衛生院の実習医学生だった。医者は彼女は実際は石女で陰道を形成する手術をしたと明かす。彼女が結婚するはずだった人は終生結婚しなかった。黒豆が戻るのを待っていたかのように。数年後、ガンでなくなった。彼の親族が黒豆を呼んで招魂の儀式をした。黒豆は半日座り、話続けた。その後、儀式で使うものをすべて焼き払い、一般の人の生活をすごした。近年、黒豆は寺に入って幼い子を養女を迎えたが、その子が聾唖であることがわかり、黒豆は少しずつ自身話をしなくなり、今では二人の間だけで通じる言葉で二人の間だけで話すことができる。


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