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胡耀邦 些細なことにこだわらず、我が意を伝えよ 1978

《胡耀邦文選》人民出版社,2015年,85-86

(胡耀邦 1978年11月3日在中共中央組織部一位幹部所寫報告上的批語)
   勇気をもって(大膽)仕事をしてほしい。それぞれの場所で我々の周りに放置された案件を真剣に解決することにさらに多くの方法を考えて欲しい。もっとも大事であること(核心的問題)は、全党が本当に迅速に、責任をもって、真剣に問題を処理すること(辦案)である。共産党員は具体的成果を出すこと(會幹實事)を求められるし、具体的成果は多いことが求められ、見せかけ(上面)であってはならず、実際とは異なる名声(虛名)を得ることがあってはならない。この点、さらに諸君に絶えず処理方法を考えることを要請する。

(胡耀邦 1978年12月6日 中共中央組織部幹部審査局関于"六十一人案"中十二位同志在"文化大革命"中去世善后工作的報告上的批語)
老幹部局、幹部審査局宛。私は誰がその他の問題を持っているかは知らない。もし何も特別に大きな問題がなければ、ただ仕事の上で正しくなかったということなら、それがたとえ重大なことでも、再度追究する必要はない。再び別の結論を出す必要はない。人はみな死ぬものだ。党に尽くして数十年仕事をし、死の床にありあるいは何か疑いをかけられ死んだ(人々)だ、さらに些細な傷を探すべきではない。もし重大な政治問題があるなら、それは別の結論でよい。私の意をすぐに所属単位に伝えよ。併せて可能な限り本人と家族に伝えよ。残っている問題は今すぐに解決すると。中央の文書(文件)が出されたあと、納骨の儀式を速やかに実施せよ。納骨で重要なことは適切な弔辞を書き誰か(しかるべき人)が参加することだ。
 この種のことの解決は早ければ早いほどよい。早くない、熱心でもないとしたときに生ずることすべてに責任があると心得よ。
(61人案は61人反徒集団とも呼ばれる冤罪事案(冤案)である。1936年に中共中央批准の下、国民党の北平軍人反省院に収監されていた人々は、反共を誓う文書に署名して出獄、その後、抗日闘争に加わった。毛沢東もこれを知っていたが、「文化大革命」が始まると1967年3月これを敵対行動(叛變)と認定して、その家族を含め迫害を始めた。薄一波についてみると、その妻胡明は迫害の末死に、子供たちは監獄に収監され、自身は病院に幽閉された。幽閉は1972年10月26日まで5年10ケ月におよび、そこでようやく妻の死を知っている。四人組が粉砕されたあと、これらの人々とその家族はたびたび、名誉回復の訴えを行ったが、中央組織部内部にはなおこれを抑える人たちがのこっていた。1977年から1978年にかけて、この問題の解決に胡耀邦はかなり尽力している。陳利明《胡耀邦》下卷,人民日報出版社,2015年,477-489)

#胡耀邦 #薄一波

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