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陶麗群《母親的島》2015

《2015年中國短篇小説精選》長江文藝出版社,2016年,207-222 著者の陶丽群タオ・リーチュンは広西田陽県出身。1979年生まれの女性である。壮族。少数民族作家である。このお話のどこか、夢を見ているような感覚は、少数民族の生活からきていることかもしれない。

 お話としては創作だが。読んだあと、とても不思議な感覚が残る。
 五十嵗的母親做出一個決定。
   “我要出去住一陣子。”
 私の母の家出の物語だ。農家で10人家族である。父、兄が3人、兄嫁が二人。その子供たちが2人。長女の私、母の10人である。今は家族で薬草を育てている。母はこの10人の世話に忙しい。50歳の母があるとき、「私はしばらく家を出たいと思う」と食卓で宣言した。しかしまるでモノであるかのように、母の話は無視された。母はしばらく震えながら立っていて、ふっと台所に消え、もう現れなかった。その日、母は後片付けもしなかった。父は私に片づけをさせた。私の部屋の隣にある母の部屋で、その夜一晩中、物音がしていた。翌日早朝、母は家を出て、帰ってくることはなかった。誰も朝ごはんを作る人もなく、兄嫁とその子たちはそれぞれの家に帰った。
 母はがどこに行ったのか皆目わからなかった。やがて隣の玉おばさんが、我が家の混乱ぶりと知って、お前のかあさんは毛竹島で、土地を耕しているよと教えてくれた。わたしの村は四方を水で囲まれていて、村の外からは船で渡るしかない。毛竹島は、薬草を作り始めるまえ、我が家で鴨の養殖につかっていた島で、水嵩の多い今は筏で渡るしかない。
 さっそく家族で毛竹島が見えるところまで行くと、母の姿を遠望できたが、声をかけると小屋に入ったまま出てこなくなった。
 玉おばさんによると、母は19歳のとき、祖母が父の嫁にと買った河北の人。我々の村では女の人が少ないのでそうした習慣がある。玉おばさんもそう。だから私たちは母の親類を知らない。彼女たちが、村の外に出る船に乗ることが許されないのは、脱出を防ぐため。私たちは、母の泣く声の中で大きくなった。母が家出して最初に思い出したのはそのことだ。
 その後、母がモノを取りに家に帰ったり、母に必要なモノを届けたりはあったが、母が家に帰ることはなかった。
 やがて母は毛竹島で野菜を育て、さらに鴨の養殖を始めた。野菜を売るために、父は手伝おうとしたが母をそれを拒絶した。その後は私が手伝って、母は何度も野菜を売った。父は野菜を売り終えたら、母はかえって来ると思っていた。
 やがて恐れていたことが起きた。豪雨である。父は兄たちと私を引き連れ、豪雨の中、毛竹島に向かった。幸い母は無事だった。
 彼女は野菜を売ったお金で鴨の子を大量に仕入れた。また父は手伝おうとしたが、母は上手だった。筋をたどって鴨を焼く店の主人と交渉し、市場価格より安くすることで鴨を引き取りに越させた。母はおよそ5000元の現金を得た。手伝いに来た私たち兄弟に100元ずつ配った。
 父は鴨を売り終わった母が家に戻ると思い、家を掃除させ、兄の嫁たちに戻るように伝えた。
 翌日早朝、私たちは毛竹島に行ったが母の姿はなかった。村の船頭は、母を乗せていないというが、船に乗って外に出るのを見たとの証言もある。父は母が残した衣類を床下におき、梅雨の季節が過ぎるたびにそれをまた陰干ししている。だが母は決して戻ってこなかった。

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